エミリーの密かな決意
「今日はどういった用件かしら」
相変わらずウォーレンは前触れもなくライラの部屋を訪れていた。最近のライラはジョージと王都へ出かけたり、サマンサとアスラン語を習ったりと予定がある日も多いのだが、ウォーレンはそれを把握しているかのように、必ず部屋にいる時間にやってくる。エミリーは一体どうやって情報を得ているのか気になっているものの、突き止めるには至ってなかった。
「愚弟の結婚相手を探す事をやめようと思います。エミリー、今までの協力に礼を言います」
ウォーレンはライラの後ろに控えているエミリーに軽く頭を下げた。それに対しエミリーも一礼をして応える。
「ハリスン家の存続を諦めたの?」
「いいえ。カイルが自分で決めると言ってきましたから、私は手を引く事にしたのです」
「それでいいの?」
「えぇ。カイルは狙った女性は必ず落とすと言われた男です。また私の好みも知っているはずですから妙な令嬢は選ばないと思っています」
「カイルが誰に決めたかは知らないの?」
ライラの質問にウォーレンは意味深な笑みを浮かべた。
「見当はついていますけれど、確信はありません。紹介される時の楽しみにしておこうと思っています」
ライラは複雑そうな表情を浮かべた。カイルが自分で選ぶのならそれに越した事はない。元々彼は三男であるし、赤鷲隊副隊長という肩書もあるので、家の事など気にする必要もないのだ。だが彼女としてはエミリーと夫婦になって欲しかったのである。
「サマンサの言う事は守らないつもり?」
「私はサマンサ殿下の臣下ではありませんから、話を聞く必要はありません。そもそもあれは命令ではなく提案ですから、何の問題もないでしょう」
「サマンサにもこの件は伝えるの?」
「いいえ。サマンサ殿下は愚弟が誰も選ばないから相手を押し付けたかっただけで、誰かを選ぶのなら文句は言わないと思います」
ウォーレンの言葉にライラは納得し、それ以上彼に言う言葉を見つけられなかった。そんな彼女からエミリーの方へ彼は視線を移す。
「エミリー、紹介して欲しい男性がいたら遠慮なく言って下さい。ライラ様の侍女を続けたいという条件を受け入れる人もいるでしょうから」
「お気持ちだけありがたく頂いておきます」
エミリーは再度一礼をした。カイルの左手薬指から指輪が外されたのだから、そのうちこうなるだろうと彼女は予測していた。しかし彼が一体誰を見初めたのか、彼女には全く見当がついていなかった。
「そうですか。気が変わったらいつでもどうぞ。私は顔も広いですが権力もありますから」
「それを言ってしまうのはどうかと思うわ」
「私が謙遜をすると嫌味になると思いませんか。容姿端麗で頭脳明晰の次期公爵家当主、私に適う男が貴族の中にいるとは思えません」
ウォーレンは微笑んだ。その微笑は優しそうに見えるのに不思議と恐怖も感じる。ライラはつくづくこの男を敵に回したくないと思った。
「次期公爵家当主はカイルではないの?」
「カイルは赤鷲隊にいる間は嫌だと言うので、一旦私が預かる事になりました。順当に行けば私ですし、公爵家当主の方が宰相になるのにも有利でしょうから問題ありません」
「宰相を狙っていたの?」
「殿下が私を兄の代わりとして側近にしなかった理由はそこにあると思っています」
エドワードが国王として即位し、赤鷲隊隊長がジョージ、宰相がウォーレン。想像しただけでもレヴィ王国は盤石なものになるとライラには思えた。
「それで他の公爵家は納得するかしら。現宰相もそこまで歳でもないでしょう?」
「現宰相は飾りです。あの侯爵など簡単に引き摺り下ろせます」
「そのような事を簡単に口にしていいの? どこで誰が聞いているかわからないわよ」
「構いません。私は色恋に興味もなければ蓄財にも興味はありません。清廉潔白な私を思った事を口にしたと言うだけで失脚させられる人間など、この国にはいません」
こんなに腹黒そうなのに清廉潔白とはおかしいとライラは思ったが、確かにウォーレンには浮いた噂はないし、公爵家当主でさえ弟に譲ろうとする彼が私腹を肥やすようには見えない。
「純粋にこの国を支えたいという事かしら」
「そうですね。それとカイルの子供とライラ様の子供を結婚させて美しい従孫を愛でたいですね」
ウォーレンの言葉にライラは呆れた表情を浮かべた。
「その話、諦めていなかったの?」
「諦める訳がないではありませんか。端正な顔立ちは極めるべきです。歴史に名を残すような美男子がハリスン家を継ぐ。素晴らしい事です」
「顔で決めるの? そこは資質で選んだ方がいいと思うけれど」
「劣る資質の子供が生まれるとは思いません。万が一そうなってしまった場合は周囲を固めるだけです。執事を筆頭に優秀な人材を集める事は難しくありません」
「従孫となるとかなり長生きしないと難しいのではないの?」
「祖父が今年まで生きていたように、ハリスン家は元々長生きの家系です。勿論健康にも美容にも気を遣っています」
そこに美容はいらないだろうとライラは思ったが、美を追求しないのはウォーレンらしくないので一生変わらないのかもしれないと聞き流す事にした。
「ライラ様も美容や長生きに興味がおありでしたら、いつでも相談に乗りますよ」
「そうね、興味がわいた時は宜しく」
「えぇ。それではこの後は会議がありますので、これで失礼致します」
ウォーレンはそう言うと一礼をして部屋を出て行った。扉が閉まるのを確認してから、ライラはエミリーに隣に腰掛けるように手で合図をする。エミリーは一礼するとソファーに腰掛けた。
「エミリー、カイルの相手は誰なのかしら」
「私は存じ上げません」
「そうなの? 色々と情報収集をしているのでしょう?」
「していますけれど、カイル様の噂もなければ、女性の影もありません」
ライラの質問にエミリーは淡々と答えた。その態度がライラには不満だった。
「エミリーはこれでいいの? カイルが別の人を選んでも」
「カイル様は幸せになるべきだと思っておりますから、カイル様がご自分で納得して選ばれた方との幸せな結婚を心から願うのみです」
エミリーの表情が変わらないので、ライラはこれ以上続けても無駄だと判断をし、諦めの表情を浮かべた。
「私が口出ししていい事ではないから、この話はここで終わりね」
「そうですね」
「それなら赤鷲隊の人はどうなの? 相手を探して欲しいではなく、エミリーがいいと言う隊員もいたはずよね」
「そのような事を言われた事はありません」
「そうなの? 赤鷲隊隊員は見る目がないわね」
エミリーは以前赤鷲隊兵舎前でブラッドリーよりカイルがいいと発言してしまった為、赤鷲隊隊員は誰も彼女に声を掛けなかった。赤鷲隊隊員はジョージの事を誰もが尊敬しているが、カイルの事も優秀な副隊長と認識しているのである。だからその副隊長がいいと言ったエミリーは高望みをする女性と勘違いされていた。
「私の事は気になさらなくて結構です。仕事が一つ減り、よりライラ様に仕える時間が増えたのですから」
「私に仕える時間が増えてもやる事はないと思うわ」
「私はライラ様とこうして会話をするだけで満足です」
エミリーは微笑んだ。ライラも嬉しそうに微笑むと、別の話題へと切り替えるべく表情を引き締めた。
「もうすぐナタリーが出産するわ。男児だった場合、誰か動くかしら」
「暫く動きはないのではないでしょうか。帝国派は本当に一掃されています。ただその子が黒髪だった場合、皆がどう受け止めるのかは想像出来ません」
レヴィ王国は広いが二民族しか存在しない。この国を征服した金髪の民族と、元々暮らしていた栗毛の民族である。栗毛の民族の中で優秀な者が爵位を賜り、また征服者である貴族の次男以下が騎士や平民になる事でこの二民族の混血は見られ、上流貴族で栗毛を持つ者がいれば、騎士で金髪を持つ者もいる。ただし黒髪はいないのである。
「アリスは金髪だものね。栗毛でもジョージの話から察するといい目では見られそうもないわ」
「レヴィ王国始まって以来のシェッド帝国との婚姻ですから。ナタリー様が継承権を持っておられないので、男児が生まれても帝国の皇位継承権はないとは思いますが」
「それはルイ皇太子の息子が生まれれば問題ない話よ。アマンダがどこまで本気かわからないけれど」
アマンダは実際ルイを見て本気で気に入った様子で、ガレスに帰った後必死に父親を説得している。その話をライラはアルフレッドやサラの手紙で知った。アルフレッドはアマンダでは手に負えないと判断し説得を試みているのだが、反対されればされるほどアマンダは意固地になっており、どちらが折れるのか彼女にはわからなかった。
「私も少しだけ記念式典の時に様子を窺いましたが、アマンダ様は本気でしたよ」
「だけどルイ皇太子殿下をアマンダがどうにか出来るかしら。宗教問題もあるからただ結婚というわけにもいかないし」
ライラはジョージに頼まれルジョン教の聖書を読み込んだ。公国が帝国から独立をした解釈の違いも理解した。その上で祖父から送られてきた帝国の現状と各民族の宗教に対する姿勢を覚え、シェッド帝国で今後何が起こるのかを彼女なりに把握していた。そしてその情報はエミリーと共有している。
「アマンダ様には少々荷が重すぎる気はします」
「少々どころかかなり重いわよ。私なら遠慮したいもの」
「それは役目ではなくルイ皇太子殿下の相手を、ですよね?」
「どちらも嫌。絶対に隊長夫人の方が自由だもの」
「それはジョージ様が色々と配慮をして下さっているからです」
エミリーにライラはつまらなさそうな表情を向ける。確かに王都へ一緒に行けるように手配をしてくれたのはジョージだが、彼もそれを望んでいたから手配をしてくれたのであって、自分の我儘を通したわけではないとライラは思っている。
「エミリーも昔は恋人がいたのだから、相手に思う所はなかったの?」
「私は寂しいという感情が乏しい人間なので、それに関しての苦情を口にした事はありません」
「エミリーは感情が乏しいのではなくて、殺してしまうのでしょう?」
ライラに指摘されエミリーは一瞬表情を歪めた。彼女が今まさに胸の奥で殺そうとしている感情を言い当てられたような気がしたのだ。しかしすぐに表情を戻して微笑む。
「生きていくのに面倒な感情はなくてもいいのです。残念ながら父似なので」
「そこはヘンリーではなくエマに似るべきだったわね」
「母と過ごした時間の方が圧倒的に多いのに不思議です」
「そういうものなのではないの? 私も母と過ごした時間の方が多いけれど父に似ている所もあるし」
ライラがエミリーに微笑んだので、彼女も笑顔で返す。嫁ぐ前は気付かなかったが、ライラの恋愛に関しての部分は父親譲りだと彼女は思っている。
「エミリー、本当に私の事は気にしなくてもいいから。この人だと思える人がいたら遠慮なく嫁いでいいからね」
「ありがとうございます。ですがこの歳までそのような人に出会えませんでしたから、私には縁がないのですよ」
「そのような事はないわ。私も昨年までは縁がないと思っていたし、ヘンリーは三十歳越えてからの結婚でしょう?」
「男性と女性では適齢期が違います」
エミリーの表情は変わらない。ライラは一瞬言葉にするか迷ったが、エミリーをじっと見つめた。
「これはエミリーの負担になるかもしれないと思って今まで胸にしまっていたのだけれど、言ってもいい?」
「何でしょうか?」
「お母様とエマの関係は素敵だと思わない? 私もエミリーに侍女兼乳母をしてもらって、一緒に子育てをするのが夢なのよ」
ライラの母サラとエミリーの母エマは公爵夫人と侍女というよりは友人の雰囲気である。これは元々サラが男爵令嬢で実家に侍女がいなかった為に、接し方がわからず自然とそうなった事ではあるが、ライラはその関係がずっと羨ましかった。そしてその気持ちはエミリーにもよくわかるので頷いた。
「わかりました。ですがアスラン王国へ行かれるまでは妊娠をされる予定はないですよね。それまでに相手を探してみます」
「無理はしなくてもいいけれど、いい人がいたら内緒にしないで教えてね」
「わかりました」
エミリーは微笑んだ。結婚相手を強引に探したとしても子供に恵まれるかはわからないが、彼女はライラの夢を叶えたい気持ちになった。彼女はライラ至上主義である。心を殺して適当な男性を探そうと密かに決意をした。