即位三十年記念式典
記念式典当日、ライラはジョージの用意したドレスを身に纏ってソファーに腰掛けてた。彼女がガレスから持ち込んだドレスは基本どれも全身を覆うものだったが、今回彼が用意したドレスは襟元が大きく開いていて、腰もくびれを強調するかのように細くなっているものだった。
「エミリー、羽織るものはないの?」
「ございません。そもそも鎖骨を見せる事の何が恥ずかしいのですか」
ライラは鎖骨を見せるのが恥ずかしいわけではない。鎖骨は見えるが胸元は見えないように体に密着しているドレスは、小さい胸を強調しているようで抵抗があったのだ。だから肩から何かを羽織って胸元をふわりと覆いたいと思ったのだが、それを豊満な胸を持つエミリーに言った所で理解してもらえないと思い、彼女は渋々諦めた。
「ジョージ様が初めて仕立てて下さったドレスに不満があるのですか」
「そういうわけではないけど……」
ライラは視線を伏せた。今回の式典には各軍の上層部も出席する。皆が儀礼用の軍服を身に纏うが、それは軍隊の色を表しているのでジョージが着る軍服は深紅色である。彼女に用意されたドレスは深紅、腰下の切り返し部分から見えるレースは黒で軍服と同じ配色にしたのは明らかである。
「本来でしたら背中もより開いている方が宜しいのです。そちらを譲歩したジョージ様には感謝をするべきだと思います」
ライラも頭ではわかっている。正装の場合、上半身の肌露出を増やした方が作法的には正しい。それでも恥ずかしいものは仕方がない。
部屋をノックする音がしてエミリーは扉へと向かう。初めて舞踏会へ出席した時は踵の高い靴での歩き方がぎこちなかったが、それが悔しくて彼女は密かに練習し、今では普通に歩けるようになっていた。
扉を開けてジョージとカイルが部屋に入ってきた。ジョージはライラに満足そうな表情を向ける。
「良く似合ってるよ」
「ありがとう。ねぇ、襟元はもう少し控えめにならなかったの?」
ライラの着ているドレスは採寸だけしてジョージが独断で仕立てたものであり、彼女も今日までどういうものかは知らなかったのだ。彼はにこやかに微笑む。
「十分控えめにしたつもりだよ。仕立屋にもう少し開けなくていいのか確認されたくらいだし。エミリーなんて背中まで堂々と開いてるじゃないか」
エミリーのドレスは前回同様ウォーレンが用意したもので、背中も肩甲骨が見える程に開いている。
「エミリーは胸もあるし見栄えがいいけれど、私はそうでもないし」
「俺がライラに似合うだろうと思って仕立てて、実際似合ってるなと俺が満足してるんだから、それでいいだろう?」
「本当に似合っている? 嘲笑されたりしない?」
「しないよ。堂々と胸を張っていれば素敵だと皆が見るから。どうしてそこまで自己評価が低いのか不思議だけど、俺はライラが一番綺麗で素敵だと思う」
優しい表情のジョージにライラは嬉しそうに微笑んだ。それをカイルは冷めた目で見ていた。
「カイル様は何故こちらにいらっしゃったのですか?」
「兄が接待役で忙しいので貴女を迎えに来たのですよ」
にこやかに微笑むカイルに、エミリーもにこやかに微笑み返す。ウォーレンはガレス王太子夫妻を会場まで案内するのでと、先にライラとエミリーの化粧をして一旦退室していたが、その時カイルが来るなどとは一言もエミリーは聞いていなかった。
「それはわざわざありがとうございます」
礼装の軍服は普段の軍服とは違う。動きやすさを重要視していないので身体に合わせたものになる。しかも今回は記念式典用なので夜会で着用する礼装軍服ともまた違う。鍛え抜いているジョージはとてもさまになっていて、自分の事に納得したライラはジョージに見惚れている。一方、カイルも剣が苦手とは思えない程に着こなしている。
エミリーは内心眼福だと思いながら、それを表には出さす無表情を貫いた。彼女とカイルの静かな戦いはまだ続いていて、あの後彼女はカイルに謀られないよう細心の注意を払っていた。ガレスからもカイルの嫁候補二人をカレンに連れて来て貰っているし、他国の女性も今回は数多くいるはずなので、誰でもいいから彼と夫婦にさせて、この無駄な戦いに終止符を打つつもりである。
「そろそろ行こうか」
ジョージが手を差し出したので、ライラは隊長夫人の顔つきへと変えて立ち上がると彼の腕に手を添えた。カイルが扉を開け、二人は廊下へと出て会場へと歩いていく。カイルとエミリーも廊下に出て、カイルが扉を閉めると腕を差し出したので、エミリーは手を添えジョージとライラの後に続いた。
会場には大勢の人が集まっていた。全国から貴族達は勿論の事、この大陸でレヴィ王国と交流のある国の外交官達、そしてサマンサが嫁ぐ予定のアスラン王国からも外交官が出席していた。ケィティ自治区代表のテオもパメラと共に参加している。
ライラは会場に入るなりアマンダに捕まった。ジョージには昨夜事情を話していたが、彼には会場の雰囲気次第かなと適当に流されていた。
「ライラお姉様、お待ちしておりましたわ。早速お願いします」
「アマンダ、まずジョージ様に挨拶をしなさい」
アマンダはライラの横の男性を見上げた。そこには人のよさそうな笑顔を浮かべているジョージがいる。
「初めまして、ジョージ・ローランズです」
「初めまして。ライラの妹、アマンダ・ウォーグレイヴです」
アマンダは膝を折ってお辞儀をした。そしてすぐにライラに向き直る。
「これでいいでしょう? 早くお願いします」
「よくないわよ。記念式典が終わって歓談の時間まで待ちなさい」
「まだ待たなくてはいけないのですか?」
「私はジョージ様の側にいなくてはいけないから式典中は動けないの。アマンダもカレンの付き人らしく持ち場に戻りなさい」
「わかりました。その代わり絶対に紹介して下さいよ」
「わかったから、早くカレンの元へ行きなさい」
絶対よとアマンダはライラに念押しをすると、カレンの方へと戻っていった。
「なかなか積極的な妹だね」
「申し訳ありません。アマンダは末っ子なので甘く育てられた部分もあるのですよ」
「それで例の人がライラに対する執着を忘れてくれるなら俺としては嬉しいけれど、それでライラの家族は納得するの?」
「父は大反対でしょうけど、祖父が納得するのなら父は意見が言えません」
二人は歩きながら会場の奥、王族が並ぶ一角まで来た。そこにはエドワードとナタリー、サマンサがいた。
「ナタリー様、お加減は宜しいですか?」
「えぇ。椅子も用意して貰えたので大丈夫です」
ナタリーのお腹は目立つようになっていたが、それを隠すように胸の下から切り替えがあり、ふわりと広がるドレスを着ているので一見わからない。
「お姉様、素敵なドレスですね。お兄様の趣味かしら」
「えぇ、初めてジョージ様に仕立てて貰いました」
サマンサは意味ありげな視線をジョージに向けた。ジョージはそれに対して意味あり気に微笑みを返す。
「見せつけるのも程々にした方がいい」
横から冷めた声でエドワードが口を挟んだ。ジョージはつまらなさそうな表情を浮かべる。
「エド兄上だけには言われたくありません」
「私は別に誰かに対して見せつけた事はないよ」
エドワードとジョージが無言で視線をぶつけていると、ウルリヒとフリードリヒが来た。フリードリヒは先日十五歳になったばかりで初めての式典参加である。二人を見つけたサマンサは笑顔で近付いていく。
「フリッツ。折角だからお兄様達を紹介するわ」
サマンサはそう言ってフリッツの手を引き四人の中へと案内すると、エドワードから順に紹介をした。フリードリヒも王妃に長らく囲われて育っていた為、サマンサとウルリヒ以外は面識がなかったのである。
サマンサが紹介し終える頃、会場には式典開始を告げるファンファーレが響いた。会場にいた全員が談笑をやめて正面を向き、王族達もそれぞれ立ち位置に移動する。
会場にウィリアムとツェツィーリアが入ると会場は静まり返った。宰相による開会の挨拶の後、式典は厳かに執り行われた。
式典が終了し歓談の時間となった。立食形式だがレヴィ料理が振る舞われ、各国の要人達は其々挨拶回りに忙しい。何事もなく式典が終わった事にジョージは胸をなで下ろし、警備は近衛兵と赤鷲隊隊員に任せてどうしようかと思っていると、ライラがジョージの背中に隠れるように移動した。ふと会場を見ると遠くからルイがこちらに向かってくるのが見えた。
「目敏いな、奴は」
「ジョージ、お願いだから守って」
ライラは隊長夫人の仮面を忘れて素に戻っている。ジョージは極力優しい声を出した。
「言われなくても守るよ。だから背中から左横に出てきて。そこだと守れない」
ライラがジョージの横に出ると、彼は彼女の腰に腕を回した。彼は国王から賜った剣を帯剣しているが、それを彼女との間に挟んだ。それは抜刀しないと言う意思表示である。
ルイがライラに声を掛けようとした時、横からアマンダがやってきた。図らずも出会いは準備されたのである。ライラはアマンダの腕を引っ張ると自分の横に引き寄せた。
「ライラ様、お久しぶりです」
「ルイ皇太子殿下、御無沙汰しております」
ライラの言葉にアマンダは紹介して欲しかった人が目の前の男性だと認識し、目を輝かせてルイの方を見た。
「本日は私の妹を紹介させて頂いても宜しいでしょうか」
「初めまして、アマンダ・ウォーグレイヴです。お会い出来て光栄でございます」
アマンダは瞳を輝かせたまま膝を折って一礼すると嬉しそうに微笑んだ。一方ルイはアマンダにさして興味を持った様子はなかった。
「初めまして、ルイ・シェッドです」
「ルイ皇太子殿下、是非私と少しお話して頂けないでしょうか」
ライラの方に向き直ろうとしたルイにアマンダは話しかけた。
「いや、私はライラ様と――」
「私はルイ皇太子殿下のような素敵な男性に人生で初めて出会いました。少しで宜しいので是非お話して頂けませんか」
一歩足を進めたアマンダにルイは一瞬怯んだものの、素敵な男性という響きが良かったのか彼は頷いた。
「少しだけなら」
「それでしたら向こうへ移動しましょう」
アマンダはルイの腕に手を回すと、彼の従者の方へ目を向けた。彼に対して国でこのように強引に対応する女性はおらず、彼は彼女にされるがまま移動した。
「凄いな、彼女」
「えぇ。アマンダの積極性に驚きました」
ジョージとライラが呆れてアマンダとルイを見送っていると、ナタリーが近付いてきた。
「今の方はどなたでしょうか。兄と関わらない方がいいと是非忠告をしたいのですけれども」
「私の妹ですが、彼女がルイ皇太子殿下を気に入ったみたいなのです」
ライラの声にナタリーは怪訝そうな顔をした。ライラは困惑した表情で微笑む。
「ナタリー様にこのような事を申し上げるのは失礼だとは思いますが、妹は無能な人が好きで、どうやら本当に気に入ったようなのですよ」
「よくよく話し合ってからの方が宜しいですよ。兄は本当に自分の非も認められないような人ですから」
「私も勧めないと申したのですが、一度言い出したら聞かない子なので」
ライラはアマンダが移動した方を見た。彼女は帝国の要人達の所までルイを連れて行き、積極的に話しかけている。
「兄の血を残さないとルジョン教の今後が不安だという話は聞いておりますが、教皇は信仰の厚い者が務めるべきだと私は思っていまして、正直兄には血を残して欲しくないのです」
ナタリーは不安そうな表情を浮かべた。ライラは以前ジョージに言われた通りナタリーから聖書を借りて読んでいるので、ルジョン教については理解したつもりである。
「私の祖父は既に引退しておりますし、妹の肩書はガレス公爵家の三女です。帝国に嫁ぐには少々弱いと思います」
「妹君を是非説得して下さい。シェッドの首都は約半年雪に覆われるような所です。食事もレヴィと比べたら雲泥の差ですし、決して暮らしやすい所ではありません」
「お言葉ありがとうございます。是非妹に伝えます。それよりナタリー様はそろそろ退席された方が宜しいのではありませんか?」
「お気遣いありがとうございます。今日は体調もいいですし、殿下と挨拶回りをさせてもらおうと思っています」
ナタリーが微笑むとエドワードが近付いてきた。ナタリーは会釈をすると、エドワードと共に挨拶回りへと消えていった。
「俺達も面倒だけど挨拶を受けに行くか」
「えぇ、そうですね」
ライラはもう一度アマンダの方へ視線をやった。変わらず積極的にルイに話しかけている。本当に妹の趣味はわからないと思いながら歩き出そうとして、彼女ははっとした。
「ジョージ様、このままでは歩き難いので手を離して頂けませんか」
「このままでもいいだろう? こちらが動かずとも相手が近付いてくるだろうし」
ライラはジョージを睨んだ。ルイの事があった時は別段何とも思わなかったのだが、冷静になってみると腰に手を回されているのが恥ずかしくなってきたのだ。
「ライラはいつになったら慣れるの? 結婚して結構経つよね?」
「そのような事を言われましても、本日のジョージ様はとても格好良いので、普段通りとはいかないのです」
ライラがジョージから視線を外すと、彼は嬉しそうに微笑んだ。
「ライラも今日はとても綺麗だよ」
「追い打ちかけなくて宜しいですから」
ライラは少し頬を紅潮させている。ジョージは元々自分の容姿に劣等感を抱いていたが、彼女が何度となく格好良いと言い、真っ直ぐに愛してくれるので今は気にしなくなっていた。だから彼女にも気にしないようにと今回ドレスを仕立てたのである。ただ彼女の場合は自己評価が低いだけで、むしろ羞恥心の方が勝っているようだ。
「それならもう言わない方がいい?」
ジョージは意地悪そうに微笑んだ。ライラは必死に平生を保とうとしていたが、悔しそうな顔を隠そうとしているのは彼には明らかだった。
「出来たら二人きりの時だけにして」
ジョージに聞こえるかどうかの囁きに彼は満足すると腰から手を外し、ライラに腕を差し出した。彼女はそこに手を添えると一旦瞳を閉じてからゆっくりと開けた。彼女が仮面を被り直す時の癖である。
その後、記念式典はつつがなく閉会を迎えた。