ウォーグレイヴ家三姉妹
ガレスとの平和協定が締結してすぐに、レヴィ王国を支えていた宰相が高齢の為亡くなった。ウィリアム即位時より宰相として支えていた男の死を内心喜ぶ貴族は多かった。ウィリアムの信頼を勝ち取っていた宰相は、長い間他国の力を排してレヴィ王国だけでまとまっていくという自分の信念を貫いて仕事をしていた。これは至極真っ当な話であるが、それをよしとしない勢力もある。そしてその勢力を宰相は色々な手を使って抑えてきた。
ハリスン家は息子のロナルドが当主となったが彼は平凡な男である。今まで宰相が圧力をかけてきた貴族達に色々と言われて耐えられる器量はない。療養という理由で仕事を辞して領地に引っ込みたいとウィリアムに懇願し、ウィリアムはそれを承諾した。新宰相は侯爵家から選ばれたものの、ウィリアムは新宰相を特に重用する事はなく、エドワードやジョージを政治の世界に本格的に取り込み、王家中心の政治へと舵を切った。
ウィリアムの即位三十年式典は明日に迫っており、各国から要人達が徐々にレヴィ国内入りをしていた。王宮内は広いものの他国の要人達を一斉に担当するのは人員的に難しいという事で、王都に暮らす各公爵・侯爵家の人々が要人の王宮滞在中の世話をする事になっていた。
ハリスン家が担当するのはガレス王家の人々である。ハリスン家は領地に引きこもった父の代わりにウォーレンが取り仕切っていた。
「今回の滞在中、何なりとお申し付け下さい。ライラ様にはとてもお世話になっておりますので、誠心誠意務めさせて頂きます」
ウォーレンは化粧をせず、髪も後ろで一つに縛っていた。彼の前にはガレス王太子と王太子妃が腰掛けている。
「姉はこの国で問題なく暮らしているでしょうか」
ガレス王太子妃カレンは不安げな表情でウォーレンに尋ねた。
「問題をどういう意味で捉えるかによるとは思いますけれど、ライラ様は楽しそうに暮らしていらっしゃいますよ」
微笑むウォーレンにカレンも満足そうに微笑むと、扉をノックする音が響いた。
「ウォーレン様、ライラ様がお越しです」
「どうぞ」
扉が開きライラが部屋の中に入る。彼女はカレンを見つけると小走りで駆け出しそうになったが、それを慌ててカレンが手に持っていた扇子を出して制した。
「お姉様、ここは自宅ではありません」
「久し振りに会ったのに相変わらずかたいわね。ウォーレンはそのような事を気にしないし、ここは私の自宅みたいなものよ」
「お姉様は気にしないかもしれませんが、私には立場があります。ご理解下さい」
「私がいると話し難いでしょうから失礼させて頂きます。扉前に控えているのは当家の使用人ですので、何なりと命令して下さい」
ウォーレンはそう言うと立ち上がり、一礼をして部屋を出ていった。扉が閉まる音を確認してから、ライラはカレンに抱きついた。カレンは迷惑そうな表情を隠さなかったが、それはライラには見えない。
「元気そうで何よりよ。遠かったでしょう? 旅行中問題はなかった?」
「何も問題はありません。二国間を繋ぐ橋も完成していましたし、馬車移動で苦労もありませんでした」
「アマンダはどうしたの? 一緒に来たのでしょう?」
「アマンダは隣室にいます」
「そう、それならそちらに移動しましょう」
「王族でないお姉様がそのように勝手に王宮内を移動して宜しいのですか?」
ライラは抱きしめる腕の力を弱めてカレンを見つめた。ライラは嫁ぐまで自分の立場が王族に列しないと知らなかったが、カレンは知っているのか冷たい視線で見つめ返している。
「エミリーがいると大丈夫なの。彼女は王宮内何処にも行けるから」
「何故エミリーがそのような特別待遇なのでしょうか」
「ジョージが信頼している証を持っているからよ。ジョージの立場は知っている?」
「存じ上げております。総司令官閣下ですよね」
カレンの声色は冷静なままだ。ライラは意外そうな顔をした。
「お爺様もヘンリーも何も言わなかったでしょうに、よく知っているわね」
「私はお姉様と違ってお爺様とは懇意にしております。欲しい情報はいくらでも貰えるのですよ」
カレンは意味ありげに微笑んだ。ライラは不審そうな顔をした。
「カレンも御爺様の事は苦手だと言っていたでしょう?」
「ガレス王家に嫁いだ以上、国内で一番力のある政治家を苦手だと言って避け続けるわけにはいきません。お姉様も嫁いだのですから、そういう事情はおわかりかと思いますけれど」
「わからなくはないけど、生憎私は王家に嫁いでいないし、ジョージが何でもやってくれるから」
「あら、それはとてもいい結婚相手で宜しかったですわね。こちらはそうでもないのですよ」
カレンは冷めた視線をソファーにやり、ライラはその視線の先を見てはっとした。ソファーには困惑した表情のガレス王太子マーティンが座っている。
「御挨拶もせずに大変失礼致しました」
ライラは完全にマーティンの存在を失念しており、慌てて膝を折って挨拶をした。マーティンは柔らかく微笑む。
「いや、久しぶりに積もる話もあるだろうから、姉妹仲良く話すといいよ」
「そうですか。それなら遠慮なくそうさせて頂きますね。お姉様、行きましょう」
「いいの?」
不安そうにするライラにカレンは笑顔を向けた。
「えぇ。どこへでも行けるというのでしたら、私はお姉様のお部屋へ伺いたいのですが宜しいかしら」
「えぇ、勿論いいわよ。それならアマンダも連れて行きましょう。エミリーが美味しい紅茶を淹れてくれるわ」
「エミリーの紅茶なんて何年振りかしら。とても楽しみですわ。それでは殿下、少し外しますね」
「あぁ、楽しんでおいで」
気弱そうなマーティンにカレンは笑顔を向けると、ライラに目配せをした。ライラも頷くと控えていた使用人に扉を開けて貰い部屋を出る。廊下にはエミリーが控えていた。ライラはエミリーに紅茶の用意を頼むとアマンダを迎えに行き、自分の部屋へと案内をした。
「ライラお姉様、素敵なお部屋に暮らしていらっしゃるのね」
アマンダは部屋に入るなり興味深そうに部屋の中を見て回っている。一方カレンはまっすぐにソファーに腰掛けると背もたれに身体を預けた。
「あの部屋から連れ出して頂けて本当に助かりましたわ」
カレンはそう言いながら先程までの王太子妃の仮面を外してにこやかに微笑む。ライラは苦笑を零しながらカレンの向かいのソファーに腰掛けた。
「夫婦仲が上手くいっていないの?」
「お姉様も見たでしょう? あの人はこちらが話しかけないと何も話さないのですよ。私も息子を産みましたし、もういいかなとも思っていますけれど」
「もういいとはどういう事?」
「王太子妃としての最低限の義務は果たしましたから、後は好きにしようと思っています。私も本当はお姉様に憧れていて、一緒にお父様の側で外交官の仕事をしたかったのです。それなのにあの人が何度断ってもしつこくて、周囲から固めて逃げられなくなって……」
カレンは表情を歪めた。ライラは恋愛結婚だと思っていたので首を傾げる。
「カレンはマーティン殿下を好きではなかったの?」
「ガレス王国内で私の事を彼以上に幸せにしてくれる人はいないだろうと思っただけで、特に好きというわけではありません」
「そうなの? 結婚式の時はとても幸せそうにしていたでしょう?」
「あの頃は私も幼かったのです。何でも私の言う事を聞いてくれるという話でしたのに、ドレス一着買うだけで文句を言われる生活だなんて知っていたら結婚などしませんでした」
カレンが文句を言っていると部屋をノックする音がしてエミリーが入ってきた。やっと室内を見飽きたアマンダはカレンの横に腰掛け、エミリーはテーブルの横に茶器の乗ったカートを置くと一礼をした。
「カレン様、アマンダ様、御無沙汰しております」
「久しぶりね、エミリー。今日は何の紅茶を淹れてくれるの?」
「本日はサマンサ王女殿下御用達の紅茶にございます。リデルとは違う風味を楽しんで頂けたらと思います」
エミリーは微笑むと紅茶を手際よく淹れ始めた。
「お姉様、王女殿下御用達の茶葉も手に入りますの?」
「この茶葉は元々ジョージがサマンサに勧めたものだから、茶葉を生産している方から直接購入出来るのよ」
ジョージはたとえ相手とどんなに仲良くなろうとも、市場価格そのままで購入するという点は譲らない。好意で安くしようとすると断固として拒否をするし、融通をきかせて貰う事もしない。それは王族と特別視をして欲しくないというよりは、市場の適正価格が崩れないようにする為の行動である。ライラも彼のその信念を聞いて納得し従っていた。
「お姉様はサマンサ殿下と随分と仲が宜しいのですか?」
「えぇ。今は一緒にアスラン語を学んでいるのよ」
「アスラン語?」
カレンは聞き覚えのない言葉に訝しげな表情をする。エミリーは淹れ終わった紅茶を配るとライラの隣に座った。ライラの実家ウォーグレイヴ家ではこのように一緒に紅茶を飲む事が当たり前なのである。
「海の向こうにあるサマンサが嫁ぐ国よ。私も一緒に行く予定なの」
「王女殿下の嫁入りに一緒に行くとはどういう事なのでしょうか」
「ジョージがサマンサの護衛をするから、私は通訳として一緒に行くの。まだ確定ではないけれど、ジョージはお願いした事は守ってくれるから」
ライラは楽しそうに微笑んだ。そんな彼女の笑顔を見てカレンは困ったような表情を浮かべる。
「お姉様は嫁いでも自由でいらっしゃるのね。しかも結婚相手も素晴らしいみたいで本当に羨ましいですわ」
「ジョージはとても格好良いの。今は明日の件で忙しいみたいだから明日紹介するわね」
「ライラ様、格好良いという言葉は誤解を招くのでやめた方が宜しいですよ」
「エミリーの好みとは違うかもしれないけれど、ジョージは格好良いの!」
「つまり端正な顔立ちはしていないけれど、仕事は出来るという事でいいのかしら」
カレンはライラとエミリーの会話だけでそう判断した。カレンもまたライラが男性の顔立ちに特に興味を持たない事を知っている。そもそも自分の整った顔立ちに興味のない女が、男の顔立ちを気にする方がおかしいのだから、これは自然な事だとカレンは思っていた。
「仕事が出来るなんて最低ですわ。どこが宜しいのですか?」
大人しく紅茶を飲んでいたアマンダが不満そうに口を開いた。ライラはジョージを否定されたようで面白くなくアマンダを睨んだ。
「アマンダの好みが妙なのよ。私はいたって普通だから」
「仕事の出来る男の隣にいて何が楽しいのですか。私がいないと何も出来ない男を支える事こそが至高ですわ」
「それならアマンダが殿下と結婚すればよかったのに」
カレンは冷めた視線をアマンダに送ると紅茶を口に運んだ。
「マーティン殿下は何も出来ない方ではなく、カレンお姉様を前にすると何も言えないだけではありませんか。そのような方など私は御免ですわ」
エミリーは無言で話を聞きながら紅茶を飲んでいた。この姉妹は皆ガレス王国で最高の教育を施されていて、帝国内の言語も叩き込まれている。同じように育てられたようで男性の好みが明らかに違うのが不思議だった。共通しているのは誰もが顔立ちのいい男性に興味がない事である。顔立ちが整っている父親が残念な男のせいかもしれない。
「だけどあの人は本当に何も出来ないわ。帝国語も訛っているし、政治についてもそこまで詳しくないし、私がドレスを新調出来なくても大臣に掛け合ってくれないし」
「カレン様、マーティン殿下を責めるのは筋違いですよ。カレン様を基準にしたら出来ないように感じるだけという話ではありませんか」
「私はお姉様ほど優秀でもないわ。その私より出来ないのなら、無能も同然よ」
エミリーはマーティンに心の底から同情した。そしてジョージが優秀で良かったとも思った。ライラはここまで相手を見下す事はないだろうが、教養が高い分相手に求めるものは自然と高くなる。むしろアマンダのように何も出来ない男を自分の力で何とかしたいと思う方が、平和かもしれないと思った。
「カレンも十分優秀よ。一緒に帝国へ行った時も、要人の方々と色々情報交換をしたのでしょう?」
「それはあの人が訛りを馬鹿にされないように庇っていただけです。私はお姉様と違って話せる事を隠さなくてもよかったですし。そう言えばあの時の皇太子殿下はどうしたのですか?」
「気になるなら明日式典で探してみなさいよ。私は式典の時は端に控えているから」
ジョージはライラが式典に参加しなくてもいいように色々と考えたのだが、彼が式典に出ないという状況をどうしても作り出せなかった。彼女を一人部屋に残してその間に誘拐でもされたら困るので、それなら隣に置いておいた方が安全だろうという結論に至った為、彼女は明日式典に参加する事になった。勿論彼女は彼の隣を離れる気はない。
「ですが戦争でレヴィが勝ったのですよね? よく平気な顔をして来られますね」
「あの人の神経は私には理解出来ないから、その辺は平気なのでしょう。レヴィと帝国は今でも表面上は友好国のままだし」
帝国派が一掃されたとはいえ、レヴィと帝国の貿易も戦争以前と変わらぬものであり、違いと言えば国境での入国審査が少し厳しくなっただけである。
「実はその人が気になって、私は無理を言って連れて来て貰ったのですよ」
アマンダが楽しそうに微笑んだ。その言葉を聞いてライラの表情が曇る。
「やめておきなさい。ルイ皇太子殿下はアマンダの手に負える人ではないから」
「それは見てみないとわからないでしょう? 皇太子殿下という肩書がありながら能無しだなんて魅力的な人、他にいないと思うのですよ」
ライラはルイのような人間が何人もいる世界など見たくもないと思いながら、アマンダの好みの異常さに言葉を失った。能無しが魅力的という表現の意味が理解出来なかったのだ。カレンも呆れた顔をしている。
「アマンダ様、ルイ皇太子殿下に近付かれるのでしたら、それなりに覚悟が必要でございますよ」
「私も帝国語はわかるから大丈夫よ」
「ライラ様から伺った話によると、言葉はわかるのに通じないようですよ」
アマンダはエミリーの言いたい意味がわからず眉根を寄せた。ライラはエミリーの言葉にはっとした。
「そう、話が噛みあわないの。出来るか出来ないかという問題以前に、会話が成立しないのよ」
「それはライラお姉様が相手の事を考えずに話すから噛みあわないのですよ。無能な人にはそれなりの話し方をしなければいけません」
アマンダの言う事はもっともだとライラは納得しかけたが、そういう話ではないと思い直した。
「賢くないのではなくて、もっと根本的な考え方が違うのよ」
「ライラお姉様がそう感じても、私には違うように感じるかもしれません。私にも幸せな結婚をする権利があります。邪魔をしないで頂けないでしょうか」
「幸せになって欲しいから彼だけはやめておきなさいと言っているの」
ライラの説得にもかかわらず、アマンダはライラを睨みつけた。
「ライラ様、ここは一度紹介されたら宜しいではありませんか。実際話をしてみてから考えればよい事です」
エミリーの提案にアマンダは強く頷いた。ライラは出来ればルイとは関わり合いたくないと思ったが、アマンダを黙らせるには確かにその方が早いだろうと提案を受け入れる事にした。
「わかったわ。そこまで言うならカレンに紹介して貰いなさい」
黙って聞いていたカレンだったが、急に自分の名前が出てきて訝しそうな表情をライラに向ける。
「私はもうルイ皇太子殿下とは関わり合いたくないの。今回もガレス王太子妃と付き人なのでしょう? 私のいない所で勝手にやって頂戴」
「カレンお姉様、宜しくお願いします」
「何故私がそのような事をしなければならないのですか」
「エミリーも連れて行っていいから」
「私は別件で忙しいので御容赦願います」
エミリーは今回もウォーレンの相手を務める事になっている。今回の記念式典には各国の要人が来るが、その要人達の中には自国の姫をエドワードに売り込みに来る人もいるという情報をウォーレンは掴んでいた。その中にいい女性がいれば、カイルの為に引き抜こうという計画である。
「誰でもいいですから、とにかく紹介して下さいね」
アマンダはにっこりと微笑んだ。その面倒な役割を他の三人は押し付け合ったが、エミリーはルイと面識がないので紹介出来ないと当然の事を言い、カレンも三年程前に挨拶しただけの関係では難しいと言い張り、最終的にライラが折れる事になった。ライラはジョージに相談をして、何かいい案を出してもらおうと思った。