ジョージとライラの日常5
「義姉上とどうして仲が良いの?」
夜、寝室でジョージはライラに腕枕をしながらそう言った。彼女は彼の言いたい意味がよくわからず首を傾げる。
「ナタリーが何かしたの?」
「いや、むしろ何もしていないと思うけど」
ライラはジョージの言いたい意味が理解出来ず眉根を寄せた。
「お義兄様の相手として相応しくないという話かしら」
「そうは思ってないと言ったら嘘になる」
「私としては何故ナタリーがお義兄様を好きなのかが全くわからないのよ。聞いてみたけれど、とても曖昧で全然納得出来ないの」
「エド兄上は昔から女性に人気だよ。それはライラの好みの問題じゃないの?」
「仕方がないでしょう? 私の好みがジョージである以上、お義兄様に惹かれない事は許容して欲しいわ」
エドワードとジョージは見た目も性格もかなり違うが、どちらも本当の自分をごく一部の信用した人間にしか晒さないという事では一致している。ライラはジョージの素は見ていても、エドワードの素を完全には見せて貰えていないのである。勿論、エドワードの素を見た所で、ジョージしか見る気のない彼女が惹かれる可能性は限りなく低い。
ジョージはライラの言葉に満足したような表情を浮かべた。
「ライラから見て、エド兄上はどう見えているの?」
「どうと言われても、王太子らしいとしか言いようがないわよ。不特定多数の女性に声を掛けるという行動の理由をサマンサから聞いたけど、それもどうなのかと」
スティーヴンの告発で混乱した王宮が落ち着き始めた頃、ライラはサマンサに引っ張られてナタリーの部屋へと向かった。そこでナタリーからエドワードと無事に向き合えた事と、サマンサからエドワードが女性に声を掛けていたのは相思相愛になれる人を探す為だった事を聞いたのだが、ナタリーの代わりを探す為に半年前まで女性に声を掛けていたという所がライラには腑に落ちなかった。エミリーに詳細を話して意見を聞いたものの、男女の仲というのは男女の数だけあるのですから全てを理解する事は出来ません、と説明を貰えなかったのである。
「エド兄上のあの行動をサマンサが何と説明したの?」
「相思相愛になれる相手を探す為と。ジョージは違うと思っていたの?」
「正直エド兄上の女性関係には興味がないから気にしてなかった」
ジョージにしてみれば、エドワードがどの女性に声を掛けようと誰を側室にしようと気にならない。彼にとって興味があるのはエドワードが問題なく王位に就く事と、赤鷲隊隊長の後継者が育つ事だけであり、それ故に姪の名前も覚えていなかった。そしてその問題なく王位に就く事に関して、王妃がナタリーで本当にいいのかが彼にとっての懸念でもあった。
「それなら何故ナタリーを気にするの? ナタリーはお義兄様には勿体ないほどの女性だと思うわよ」
「俺にはそう見えないから、聞いてるんじゃないか」
少し苛立った様子のジョージの表情を見て、ライラは納得したように頷いた。
「ジョージは王妃としてナタリーが相応しくないと思っているのね? だけどサマンサはナタリーこそが相応しいと自信を持っているわよ」
「その根拠も俺にはわからない」
「私はジョージの為になる事なら何でもしたいし、仕事も楽しい。だけどナタリーは自分の一番の仕事はお義兄様の子供を産む事だと信じているわ。最近、公務に関してはどういう意味があるのかを尋ねたりするようにはなったみたいだけれど、あくまでもそこまで。政治に口を出そうだなんて思っていない」
ライラの言葉を聞いて、政治に興味を持っていないからこそ皇女でも傍に置けるとエドワードが判断したのかとジョージは納得した。しかし、それを聞いて彼の疑問は深まっただけだった。
「それで何故義姉上と仲良くなれるの?」
「政治の話をしない気楽な関係もこの王宮では必要でしょう? 私は今まで宗教に興味がなかったのだけれど、次にナタリーが大聖堂へ行く時に一緒に連れて行ってもらう約束をしているの」
宗教と聞いてジョージは一瞬眉根を寄せた。ライラは慌てて首を横に振る。
「私はルジョン教の信者になる気はないから安心して。大聖堂の横に孤児院があって、そこへ一緒に行くのよ。子供達に勉強を教える施設があるのは素敵でしょう? 宗教に関係なく、市民達が気軽に学べる場があってもいいと思って、その参考として見に行くの」
ライラは微笑んだ。レヴィには大学はあるものの、それ以外に学校はない。裕福な家庭では家庭教師を雇って子供に教育を施す事もあるが、一般市民は基本的にそこまで教育に熱心ではない。彼女は自分が幼少期から色々と教育を施された事に関して感謝をしていたので、それを一般市民にも広げればより平和になると思っていた。
「隊長夫人と関係ない仕事をしようとしているの?」
「私は常に平和の為に何をするべきか考えているだけよ。無知よりも知識を持った方が正しく生きていけると思うし、戦争をするよりも平和の方が幸せだと気付けると思うの」
「俺が隊長でいる間は戦争を絶対にしない」
強くそう言いきったジョージにライラは笑顔で頷く。
「王宮内も柔らかい雰囲気に包まれたらいいと思うの。王妃殿下対ナタリーの話は帝国派が追い出された事や、ナタリーの侍女二人が帝国へ帰国した事で消えたけれど、同じような事が起こらないようにしたい。その為にも私はナタリーと仲良くしていきたいと思っているわ」
「でも義姉上が皇女である事実は変わらない」
「だけどナタリーの懐妊を皆は前向きに捉えてくれているわ。まさかナタリーが男児を出産しても、その子を将来王太子と認めないつもりなの?」
「その器があれば俺が口を挟む事はない。レヴィが平和ならそれでいいから」
「それなら今からとやかく言っても仕方がないわ。ひとつ言っておくけど、ナタリーは自分が正妻から降りてもいいし、側室も何人いても構わないと言ったのを断ったのはお義兄様よ」
ライラの言葉にジョージは意外そうな表情を向けた。その表情を見て彼女は不機嫌そうに彼を睨む。
「ジョージとナタリーの接点がほぼないから仕方がないけど、ナタリーを妙な目で見ないで。ナタリーは長らくレヴィに馴染めなかった事を気にしているし、馴染もうと一生懸命だからその邪魔はして欲しくないわ」
「義姉上が母国と完全に切れているつもりでも、帝国側はそう思っていないかもしれないだろう?」
「帝国側に何か動きがあるの? それでナタリーの動向を気にしているの?」
「ライラは先日リデルへ行った時、元宰相と何を話したの?」
急に話が変わりライラは一瞬眉根を寄せた。彼女はリデルの屋敷に行ったその日は母達と話しただけで終わったが、翌日アルフレッドに呼ばれて少しだけ話をしていた。
「祖父にこの結婚について感謝を伝えただけよ。祖父も仲良くしろと言っただけだったわ」
ジョージはそれだけなのかと思ったが、実際呼ばれてから戻ってくるのに十分もかからなかったので、長々と会話をしていないのは間違いない。
「それから何故か手紙を書くと言われたわ。要らないと断ろうとしたら、今後レヴィで暮らす為に必要な情報を流すから大人しく受け取れと。まだ何か引っ掻き回したいのかしらね」
「それは俺宛の手紙だ。今後帝国側に動きがあれば色々と教えてくれるらしい」
ライラは話が変わったわけではなく自然な流れだったのかと理解をしたものの、何故レヴィで暮らすのに今後も帝国の情報が必要なのかがわからず、暫く視線を宙に彷徨わせた後、ひとつの事に思い当たりジョージを見つめた。
「話し合いをした時に言っていた、帝国は長く持たないかもしれないという話が現実味を帯びてきたという事?」
「それはルイ皇太子の器を問題視した発言だったけど、実際は皇帝の態度も良くないらしい。義姉上は宗教を信仰したままだから、完全に縁を切ったと断言出来るものかわからなくて」
「それでもナタリーを残すと決めたのはお義兄様でしょう? それはお義兄様に聞いてみればいいのではないの?」
「聞きに行ったのに欲しい回答が得られなかったから、ライラの意見を聞こうと思ったんじゃないか」
ライラはエドワードの事を一筋縄ではいかない人物だと思っているが、ジョージでさえも本音を引き出せないのかと思うと、ナタリーは騙されているのではないかとさえ思えてきた。しかしサマンサはエドワードとナタリーが上手く行く事を望んでいたようだったし、彼女の中では何が正しいのか見えなくなっていた。ただ、ナタリーに対しての誤解だけは解かなければと彼女は思った。
「帝国は政教一致の国で、ナタリーも帝国にいた時はずっと国民の為に祈っていたらしいの。レヴィに来てからは全世界の人の為に祈っているらしいわ。信仰していない人達にも女神マリーは微笑んで下さると言うのだけど、博愛過ぎるわよね」
元はレヴィ王国であるガレス王国も国教は定められていない。信仰の自由は認められていたが、ライラの育ったウォーグレイヴ家では何も信仰していなかった為、彼女も宗教には一切関心がない。それ故にナタリーにルジョン教の話を聞いても特に何も響かなかった。むしろ博愛的な宗教国家が他国を攻めた現実がわからず更にナタリーに尋ねたものの、帝国の内情に詳しくないからわからないと言われて、彼女は腑に落ちないままになっていた。
「ライラ、今度その聖書を読んで内容を俺に教えて」
「私が? 興味があるなら自分で読めばいいでしょう?」
「俺はレヴィ語しかわからない。聖書は帝国語で書かれているだろうから」
ライラはジョージに丸め込まれそうになったものの、すぐに気付いて彼を睨んだ。
「レヴィに大聖堂があるのだから、レヴィ語の聖書も存在しているはずだわ」
「でもそれを取り寄せると不審に思われるかもしれない。ライラが義姉上に聖書を貸して欲しいと言った方が自然だと思う」
「それも不自然だと思うけれど」
「今度大聖堂に行くんだろう? その前に予習しておきたいと思うのは不自然ではないと思う」
ライラは暫く考えたものの、反論する言葉が見つからず諦めたようにため息を吐いた。
「わかったわよ。だけど読むのに時間はかかると思う」
「今日明日帝国が攻めてくるわけじゃない。元宰相の予測ではあと三年くらいかかるらしいから」
ジョージの言葉にライラは訝しげな顔を向けた。リデルで呼び出された時に何の話をしたのか、彼女はあえて聞いていなかったのだ。
「ジョージ、祖父とそのような話をしたの?」
「あぁ。それで手紙の約束をした」
「だけど祖父はガレスの政治から完全に引退したと母に聞いたわ。もう半年以上リデルの領地から動いていないと」
「元宰相はもっと大きな局面を見ている。この大陸の平和の均衡を考えて動いていて、その為にはもうガレスの政治に関わっているのが煩わしくなったのかもしれない」
「帝国で何か起きそうな事に対して、祖父が関わっているの?」
真剣な表情のライラにジョージは微笑みながら頷いた。その顔を見て彼女は嫌そうな顔をする。
「もう祖父とは関わらないでいいと思ったのに、まだ暫く関わらないといけないの?」
「俺も対岸の火事なら目も向けないけど、帝国で内戦が起きて難民が流れてくると困る。出来る範囲で対策をしたい」
「そうよね。上層部で揉めて戦争を起こしても、当事者は高みの見物をしていて、被害を受けるのは基本平民だもの。だけど、それと聖書に何の関係があるの?」
「内戦の原因がその聖書の解釈の問題か、皇帝の義務を怠慢しているか、そういう話らしいから」
「食糧難の次は宗教問題なの? 面倒な国ね」
「食糧難は突発的な事だ。宗教問題はもう何十年と水面下で蓄積されていた問題」
「その問題を祖父は長らく知っていたのに、私には何も言わず帝国へ嫁がせようとしていたの? 相変わらず呆れるわね」
不機嫌そうなライラにジョージは微笑む。
「その話はもう忘れたら? 俺達は今幸せに暮らしているわけだし、感謝も伝えたんだろう?」
「伝えたわよ。祖父があの時レヴィの突然の攻撃を水に流せと言わなければ、私はここにいなかっただろうから」
「周囲の思惑はこれからも色々とあって、俺達を都合よく動かそうとするかもしれないけれど、俺達はこうして話し合って決めた道を進めばいいんだよ」
柔らかいジョージの声色にライラは微笑みながら頷いた。彼は優しく彼女に口付けをする。
「絶対に相談すると約束をして。勝手に決めたりしないで」
「赤鷲隊の機密は言えないけど、それ以外は相談するよ」
「祖父と話した事はそれで終わり? もう他に隠している事はない?」
「元宰相とはないけど、四ヶ月後に父上の即位三十年式典があるらしい」
「らしい? 何故断言ではないの?」
「今日エド兄上に初めて聞いたから。しかもそれにルイ皇太子が来る可能性があるらしい」
ルイと言う名前を聞いてライラは明らかに嫌そうな顔をした。
「実際来るかは未定だし、もし来てもライラとは会わせないようにするから大丈夫」
「そう、出来たらもう会いたくないわ。どうしても会わざるを得ないのなら、私はずっとジョージの腕にしがみ付いているから」
真剣な表情のライラにジョージは笑顔を零す。
「しがみ付くの? 手を添えるではなくて?」
「手を添えたくらいなら引っ張られるかもしれないでしょう?」
「それなら俺がライラの腰を抱いていた方がより安全だと思う」
「そ、そこまでしなくていいわよ。それは恥ずかしいから」
ライラは頬を赤く染めて拒否をした。ジョージは腕にしがみ付いている方が式典でも不自然であるし、密着度も高いと思ったのだが、彼女の中では違うらしい。
「ライラの基準が未だに謎だよ」
「どうして? 腰に手を回される方がいやらしいでしょう?」
ジョージは腕枕をしていた腕を引き抜くと、ライラに差し出した。彼女は不思議そうに彼を見上げると、ほらと言わんばかりに腕を出されて彼女はそこにしがみ付いた。
「こっちの方がいやらしくない?」
「どこが?」
「ライラが俺の腕を胸に押し当てているように見えない?」
ジョージに指摘されライラは慌てて腕を離した。ジョージは楽しそうな表情を浮かべている。
「ごめんなさい、気付いていなかったわ。だけどわざとではないの」
「見せつけるには腰に手を回すよりも効果はあるかもしれないし、俺はどっちでもいいけどね」
意地悪な表情のジョージに、ライラは口を尖らせて彼の腕を軽く叩いた。
「出来たら会わない方向で調整して」
「あぁ。その式典の詳細を調べて考えるよ」
ジョージはライラの髪を少し持ち上げ口付ける。彼女ははにかむと身体を彼の方へと向けた。二人の視線が絡み合い、彼は彼女の頬に手を添えると優しく唇を重ねた。