王太子と赤鷲隊隊長
黒鷲軍団基地にて復興作業の確認と橋の復旧作業を指示した後、ジョージはライラと共に王宮へと戻ってきていた。そして戻るなり彼はエドワードに会いに行った。
「珍しいな、ジョージから来るなんて」
エドワードは自室のソファーに腰掛けてジョージを迎えた。ジョージは笑みを浮かべながらエドワードの向かいのソファーに腰掛ける。
「俺の行動を追いかけているなら、こうなる事は予測をしてたんじゃないの?」
ジョージの指摘にエドワードは微笑む。
「私も暇ではないから、意図しておかないと時間は作れない」
「グレンの後継として誰かを置くつもりは?」
「要らない。私達の中に入る事が出来る人間がいるとは思えない。国内の仕事ならば別に側近にしなくとも、適切な役人に回せばいいだけの話だ」
国内の仕事と言う言葉にジョージは引っかかりエドワードを見たが、彼は相変わらず微笑んでいる。
「エド兄上は何故、義姉上をレヴィに残した?」
「何故愛し合っているのに離れなければならないのか。ジョージがライラさんを手放す気がないのと同じだ」
ジョージはエドワードの返事に対し不満そうな顔をした。それを見てエドワードは微笑から真面目な顔つきに変わる。
「ジョージが未だにナタリーを名前で呼ばない意味はわかっている。だがライラさんともサマンサとも仲が良い。何故信用が出来ないのか私も疑問だよ」
「帝国と繋がっていない事はわかったけれど、何がしたいのかが全くわからない」
ジョージはエドワードがナタリーを愛しているのは嘘ではないと思っている。しかしアルフレッドの言葉が引っかかっていて、別の意味も含んでいるのかがわからなくなっていた。そもそもジョージは昔からナタリーの事を何を考えているのかわからない苦手な女性だと思っていた。
「それはジョージの悪い癖だ。考え過ぎるから見えなくなる。ナタリーを難しく捉える事がそもそも間違っている。彼女は国家についてなど考えていない」
ジョージが訝しげな表情をエドワードに向けると彼は微笑んだ。
「以前一緒に紅茶を飲んだ時に私は言ったはずだ。ナタリーの前ではただの男でありたいと。私はナタリーと一緒にレヴィを繁栄させたいとは思っていない。公私をわけて、私的な時間に彼女と幸せな時間を過ごしたいだけだ。勿論、彼女には私の跡継ぎを産んでは貰うけれど、将来王妃として難しい事を要求する気もない。むしろあまり表に出られると困る」
「皇女という肩書が邪魔だと?」
「あぁ。彼女の心の拠り所であるから棄教をさせてはいないが、宗教は無宗教のレヴィから見れば面倒だ。帝国はルジョン教の下にいくつかの民族が纏まった国であり、現在はその根底が揺れている。その話を元宰相に会って聞いてきたのだろう?」
ジョージはやはりエドワードは自分の行動を把握しているのかと、内心呆れながら頷いた。
「女神マリーの下に人は平等であり、善行を行えば誰もが死後楽園に行ける。しかし前皇帝の時代からその教えなど忘れたかのように権力を振りかざし始めた。女神への奉納という名の厳しい徴税は、徐々に人の心を蝕み始めた。半年前に決めた通り今は定期的に食料を輸入出来ているにもかかわらず、それを国民に配っている様子もない」
帝国と公国の約束が守られるように、レヴィも公国に協力をしていた。逃げ出した農民を保護して戻し、また人手不足に陥っている農村には人を派遣して畑の維持を手伝った。公国の国家経営が上手くない事にレヴィの上層部は気付き、王妃を通して反発されない程度に裏から支えたのである。レヴィとしてはローレンツ公国の崩壊を避けた方が国益に繋がるという見解だった。
「あの時決めた食料の量は皇宮だけで消費出来るような量ではない。それを囲い込んでいるのか」
「軍隊を鍛えているだろう? 皇宮と軍人用だ。軍隊は我が国を攻める為に鍛えているわけではない。内戦が起こりそうなので必死なのだ」
「その内戦と義姉上との関係は?」
「ナタリーは元々私の所に男児を産む為だけに嫁いできたが、彼女はその事情を知らされていなかった。本当に彼女は何も知らないし、今後知らせる気もない」
エドワードの冷めた言い方に、ジョージは探るような視線をエドワードに向けた。
「その言い方は帝国について何かを知っている?」
「以前帝国へ行った時に皇妃殿下とお会いした。その時に詳細は聞いている」
皇妃と聞いてジョージは眉根を寄せた。たとえ義理の親子だとしても、ナタリーに内緒のまま二人で話す事が可能だとは思えなかった。
「皇妃殿下はナタリーが帝国の内戦に巻き込まれないようにレヴィへ出し、時が満ちるのをじっと耐えておられる。残念ながらまだ数年はかかるだろうが」
「時が満ちるとは?」
「各民族が現皇帝陛下の態度を見限り、帝国から離脱して元々の民族だけの国に戻す。出来るだけ血が流れないよう穏便に事を進める事が皇妃殿下の願いだ。ルジョン教の熱心な教徒は聖戦だと血気盛んな者もいるそうで、その調整がかなり時間を要するようだ」
「俺はその宗教に詳しくないけど、皇帝が教皇だからひとつになったんじゃなかったのか?」
「そうだ。代々その正統な血が流れる者だけが皇帝を継いできた。その流れでルイ皇太子殿下の子供を誰かが産むべきなのだろうが、とある女性に固執していて誰も娶らないそうだ。このままではいずれ滅びる」
とある女性と言う表現にジョージは不機嫌そうな表情を向けた。それをエドワードは笑顔で受け止める。
「わざわざ見せつけたのに全く響いていないようで残念だな」
「国境の警備は必要以上に厳しくしてある。もうレヴィの地に足など踏み入れさせない」
「ところがそうはいかない。父上の即位三十年式典が控えている」
ジョージは明らかに嫌そうな顔をした。帝国とレヴィは表面上今でも友好国である。節目となる式典に友好国から使節団が祝いを述べに来るのを断るわけにはいかない。
「皇太子が来なくても外務大臣辺りで済むだろう?」
「しかしこちらは皇帝即位祝賀会に私が出向いている。同じ立場の者を遣わすのが礼儀というものだ」
「それは確かエド兄上は間に合わなくて、スティーヴンしか出席してないという話ではなかったか」
ジョージはその話を実は知らなかった。半年前にカイルがライラに説明して初めて知ったのだ。
「それはそうだが足を運んでいるのは事実だ。多分ルイ皇太子殿下が出てくるだろう。私としても出来れば彼には来てほしくはないのだが」
ジョージは訝しげな表情をエドワードに向けた。
「エド兄上も帝国へ行った時に何かあった?」
「私はない。ナタリーが嫌がる事をしたくはないだけだ。彼女は身重だからそれを理由に参加時間を短縮出来るように考えている」
「それならライラも式典には参加させない方向で調整して欲しい。彼女は王族ではないし、抜け道があるだろうから」
「それはジョージが考えてほしい。私はこれでも忙しい」
わざとらしい言い方のエドワードにジョージは冷めた視線を投げかけた。
「毎日娘に会う時間を作っておいて?」
「私は父上とは違う父親になりたい」
エドワードの声色はどこか非難めいていた。ウィリアムが息子を誰一人として構わなかった事は家族だけでなく、ある程度の地位のある者ならば誰でも知っている話である。サマンサにだけは愛情を注いでいたが、息子よりは構っているというだけで溺愛しているというわけではない。
「次が息子でも同じように愛すると?」
「当たり前だろう? 私とナタリーの子供が可愛くないはずがない。だが、最近父上の気持ちはわからなくもない気がしてきた。母上があれほど露骨にチャールズを可愛がって面白いはずがないだろうから、私の事を受け入れ難いと思っても仕方がない」
「それで母上をエド兄上の母親代わりとして王宮に迎えたのか」
エドワードは呆れたように笑った。
「ジョージはあの時の言葉に騙されたのか」
「騙された?」
「初めて三人で話し合った時、私は父上から本音を引き出したくて、わざとクラウディア様の事を出したが、母上の不貞の話に切り替えられてしまった。本当は父上が唯一、自分の妻にと望んだ女性がクラウディア様なのだよ。私の母代りの女性というだけなら、ジョージとサマンサが存在するはずがない。クラウディア様もまた父上を愛しておられたから、私の事も愛しい人の息子として愛情を持って育ててくれた」
ジョージの表情は腑に落ちないといったものだった。実際彼は両親が一緒にいる所を見た事がない。母は常に近くにいたが、父とまともに会話をしたのは赤鷲隊へ入隊する時が初めてである。そんな彼にエドワードは優しく微笑みかけた。
「これはあくまでも私の想像で父上の本心はわからない。気になるなら直接聞いてみたらいい」
「いや、今更いい。だけどじいさんと父上が仲がいいのは間違いないだろうから、借金が嘘だったというのは納得しているし、母上はいつも笑顔だったから幸せだったのだろうとは思う」
「クラウディア様は厳しい事を言っても最後は笑顔で励ましてくれた。クラウディア様がいなければ私は歪んでいただろうな」
ジョージは含みのある笑顔をエドワードに向けた。エドワードは将来国王になる器を持っているとジョージは認めてはいるが、歪んでいるかいないかと聞かれれば歪んでいると即答出来る。クラウディアがいなければ仕えにくい国王になった可能性を思えば、ジョージは母の偉大さを感じずにはいられなかった。
「何か言いたげだな」
「いや、別に。その式典はいつになる?」
「父上が即位した年月も覚えていないなんて、それで赤鷲隊隊長がよく勤まるな」
「俺は近衛兵ではないから、父上の即位の時期は仕事上関係ないし」
悪びれもないジョージの態度にエドワードは呆れた表情を浮かべた。
「隊長として父上に忠誠を誓ったのなら覚えておくべきだと思うが。四ヶ月先だからまだ考える時間はあるだろう」
「夏か。覚えておく」
「それならもういいか? 今ならまだアリスに会う時間が少し作れる」
ジョージは呆れたような笑顔をエドワードに向けた。
「別に今からでなくとも夜もあるだろう? 最近会食を減らしたわけだし」
「夜は夫婦の時間であり、家族の時間と夫婦の時間は別だ。その為にわざわざ乳母だけでなく子守も雇っている」
そう言いながらエドワードは立ち上がると、ジョージに早く出て行けと言わんばかりの視線を向けた。ジョージは小さくため息を吐くと立ち上がる。
「その様子だと、まだ義姉上相手に苦戦しているの?」
「一生愛し続けると言葉にするのは簡単だが、それを実践するのは簡単な事ではない。執務中はどうしてもレヴィの事しか考えられないから、ジョージに割く時間が勿体ないと思う事は仕方がない」
「俺個人に時間は割かなくてもいいけど、レヴィの為に赤鷲隊隊長との時間は割くべきじゃないか」
「だから渋々アリスと会う時間を今日削っただろう? ほら早く」
エドワードが足音を立てて扉の方に近付くと、外に控えている従者が扉を開けたのでジョージは仕方なく部屋を出た。エドワードは部屋を出るなり庭へと向かって行く。その背中を見てジョージは一抹の不安を感じながら自分の部屋へと戻った。