カイルの過去 ―真実―
翌日ライラとジョージは彼女の両親と祖父に別れを告げ、リデルの屋敷を後にした。彼は黒鷲軍団基地に一泊する予定であるが、彼女は流石に軍団基地に泊まるわけにはいかないので、ウォーレンの好意に甘えてハリスン屋敷に一泊させてもらう事になっていた。
その前にとライラはエミリーを連れてクレアの所へと向かった。以前とは違い王宮から移動に使用している馬車で乗り付けたので、迎えに出てきたクレアは目を丸くして馬車を見つめていた。
「いやだわ、ライラ様。このような農家に豪華な馬車でいらっしゃるなんて」
ライラは帽子を被っているだけで変装をしていない。金髪を風になびかせながら微笑む。
「ごめんなさい。愛馬は王宮へ置いてきてしまったから馬車しか移動手段がなかったの」
「それにしてもエメラルドに会う為だけに大袈裟なのですよ」
そう言いながらクレアは家の方へと踵を返す。エミリーはクレアの態度が面白くなかったようだが、ライラはそんな彼女に笑顔を向けるとクレアの後ろをついて家の中へと向かった。仕方なくエミリーもライラの後に続く。
「お茶の用意を致しますから寛いでお待ち下さいね」
そう言ってクレアは奥へと消えていく。ライラは居間のソファーに腰掛けると、そこで寝ていたエメラルドを撫でた。
「エメラルド、いい子にしていた?」
エミリーはライラの側に控えようと近付いてから猫の存在に気付き一歩下がった。その様子を見てライラは笑う。
「エメラルドはとてもいい子よ。噛みついたり引っかいたりはしないわ」
「苦手な物は苦手なのです」
エメラルドは元々ジョージが拾った迷い猫である。軍団基地で猫を飼う事に気が引けた彼はクレアに託して、時折様子を見にきていた。戦争が終わり王宮で過ごす事がほぼ確定したのでエメラルドを呼び寄せようと思ったのだが、クレアが既にエメラルドを家族と認識しており手放せないと拒否をした為、この猫はジョージの愛娘からクレアの愛娘に変わっていた。
ライラがエメラルドを撫でていると奥から家政婦を連れてクレアが戻ってきた。
「ライラ様のお友達の方も座って下さって宜しいのに」
「私は友人ではなくライラ様に仕える者ですからお気になさらないで下さい。それとこちらはライラ様からのお土産です」
エミリーはそう言うと小さな缶をクレアに差し出した。家政婦は手際よくティーカップに紅茶を淹れるとライラの前に出した。
「それは私の実家の領地リデルで取れた茶葉なの」
「領地ですか? ライラ様は王女様ではないのですか?」
「私は王女ではなくて公爵家の娘よ。王女なら馬を駆ってジョージと一緒に出歩いたりしないわ」
ライラの言葉に納得したようにクレアは頷いた。エミリーは公爵令嬢も馬を駆って出歩いたりしないと思いながらも、余計な口を挟む事はやめた。
「私はガレスの事には詳しくないのですが、有名な物なのですか?」
「私の祖父が気に入っている茶葉というだけで大層な物ではないわ」
クレアの反応を見て、やはりリデルはレヴィでは有名ではないのだとライラは確信をした。本当はガレス王家以外には滅多に譲らない茶葉だと無駄に煽るのも気が引けたので、彼女は大したものではないと言ったのだ。
「それでは茶葉を一緒に作っている者と飲み比べをしてみますね。ありがとうございます」
クレアは嬉しそうに微笑んだ。ライラもそれを笑顔で受け止めた。
暫くクレアの屋敷に滞在した後、ライラとエミリーはハリスン屋敷を訪れていた。本来ならウォーレンは王宮に居る筈なのだが、この日は王宮からハリスン屋敷に移動をしていた。
「昨日はリデルへ赴かれたそうですね」
「予定を一日順延させてしまってごめんなさい。急に話が変わってしまったの」
「構いません。こちらとしても仕事よりカイルの嫁探しの方が重要ですから」
「その話は母に通してきたわ。今後母とエミリーの間で手紙のやり取りをして相応しい人を探すみたいだから、もう少し時間を頂戴」
「かしこまりました」
エミリーはライラの側に控えながら頭の中では別の事を考えていた。ここがカイルの話していたハリスン屋敷であり、彼の結婚相手が亡くなった場所である。今いる部屋は一階であるものの、階段を見たら何か思う事があるかもしれない。エミリーは結局カイルの前妻について、ライラには一切話していなかった。
「エミリー、心ここにあらずという雰囲気ですね。考え事はもう少し上手くしないといけません」
ウォーレンに指摘されエミリーは頭を下げた。彼女は顔に出していないつもりだったのだが考え事をしていた事を見抜かれ、内心面白くなかった。
「何を考えていたかはわかりますよ。この屋敷は私が薔薇色に染めていますが、別名血塗られた屋敷ですからね」
ライラは眉根を寄せた。血塗られた屋敷と聞いて気分が良くなるはずがない。
「昔の話です。ハリスンは土地名と家門名が一致している事からおわかりかもしれませんが、公爵家として長い歴史があります。しかし穏やかにその血を継いできたわけではありません。まともな神経の持ち主は淘汰され、生き残るのは私のような人間ばかりです」
ウォーレンは意味深な微笑を浮かべた。その微笑みはとても冷えており、中性的な顔立ちも相まってライラは背筋が凍るような気がした。
「その点カイルは特別です。カイルが当主になればハリスン家も印象が変わるでしょう。ですからそれに相応しい女性が必要なのです」
「特別?」
「ライラ様は兄グレンの話を何か御存知でしょうか」
「エドワード殿下の側近で半年前に亡くなった事しか知らないわ」
エミリーはカイルの前妻との一件を話されるのかと焦ったが、以前口を挟んで怒られている為彼女は何も言えなかった。しかしウォーレンが語ったのは祖父が宰相で祖母がレヴィ王女である事、父ロナルドが凡人である事、それ故に祖父が兄グレンに期待をした事だった。
「兄は優秀だと言われていました。祖父も大いに期待をして幼い頃より他の公爵家の息子達と共にエドワード殿下の側に置きました。しかし兄とエドワード殿下は相性が悪かったのです」
「エドワード殿下は誰とでも仲良く接しそうに見えるけれど違うのかしら」
「いえ、エドワード殿下はそういう方です。祖父が兄に対しエドワード殿下の一番になるように強要し、エドワード殿下は側近三人を平等に扱い、兄は自分の立ち位置を見失っていったのです。そのような兄が心労のはけ口をどこにも求める事が出来ず、最初は煙草と酒に逃げていたのですが最終的には薬物にも手を出す始末で、死因も薬物によるものと思われます」
薬物と聞いてライラの顔が歪んだ。そういう代物がある事は知っているが、公爵家の人間が手を出す物とは彼女には思えなかったのだ。
「出来ましたら兄を軽蔑しないで頂けますか。兄は祖父の犠牲者です。決して加害者になった事はありません」
ウォーレンの言葉にエミリーは反応をする。それを彼は見逃さなかった。
「エミリーはあの一件をカイルから聞いているようですね」
「あの一件? まさか私が気にしていたハリスンの闇を聞いていたの?」
ライラは訝しげな表情をエミリーに向けたが、彼女は無表情のままだ。
「ハリスンの闇とはカイルの言葉でしょうか。カイルの前妻に関しては、闇と言う程の事は起こっていないのですけれどね」
ウォーレンの冷めた声にライラとエミリーは彼の方に視線を向けた。
「カイルの結婚について祖父の策略があったのは事実です。その妻の不貞も事実です。しかしそこに兄は利用されただけで絡んではいないのです」
「どういう事?」
ライラは不貞と言われても何を指しているのかわからなかった。エミリーは仕方がなくカイルから聞いた話をライラに話した。話を聞くにつれライラの顔は歪んでいった。
「兄は確かにここを訪れてはいますが、女性に乱暴を行ってはいません」
ウォーレンの言葉に、ライラだけでなくエミリーも腑に落ちないと言った表情を彼に向けた。
「不貞の相手は執事です。カイルが勘違いしたのを良い事に咄嗟に兄に濡れ衣を着せたのです。確かに兄の性格は年を取るにつれ歪んではいましたが、弟の嫁に手を出すなどという事はしません。兄があの時屋敷に行ったのは、他の使用人から密告がありその執事に忠告をする為でした」
「それならば何故カイルは勘違いをしたの?」
「兄は不器用なのです。カイルは一時女遊びが酷い時がありまして、兄は心配して質の悪そうな女性を引き離そうとしていたのですが、それがカイルには横取りされているように見えていたのです。兄は自分が悪者になってカイルを守っていたのですが、カイルには兄の本心を調べる気がないようなので、その事実は一生知らないでしょうね」
再びウォーレンが冷めた微笑を浮かべる。ライラは目の前の男の本心が一切読めなかった。
「その辺りを全て踏まえた上で、是非カイルに似合う女性を探して頂きたいのです」
「ちなみにその執事はどうしたの?」
「勿論カイルの前妻シャーロットが亡くなったと同時に解雇をしています。祖父の執事は一人ではありませんし、そのような不貞者を雇う義理もありません」
「そのシャーロットは結局事故なの?」
「事故と証言したのはその執事です。都合が悪くて彼が階段から突き飛ばした可能性もありますが最後まで事故と言い張り、他に目撃者がいなかった以上事実は闇の中です」
「シャーロットの侍女は事故で納得したの?」
「納得したようですよ。シャーロットの貞操観念が乱れていた事も、身籠っていた子供がカイルの子供でない事もわかっていたはずですから」
「シャーロットは執事に無理矢理、という事なのかしら」
「まさか。執事が祖父の計画を知らなかったとは考えられません。女の誘惑に負けたと考える方が妥当です。勿論、これは私の憶測であり事実はわかりませんが、乱れた生活によってシャーロットの目のくまが酷かったという証言は得ています」
ライラは表情を歪めた。彼女には結婚している身でありながら、他の男性を誘惑すると言う心境が理解出来ない。まだ男性に襲われた方が納得も出来るのだが、執事が主の孫の嫁に手を出すという話も考えられなかった。
「ライラ様、世の中には色々な女性がいます。ライラ様には理解が出来なくとも、快楽から抜け出せない人間もいるのですよ」
ライラは表情を歪めたままエミリーを見る。エミリーは微笑んだ。
「そのような事を理解する必要はありませんし、カイル様にそのような人を勧める気もありません。そういう人もいると聞き流して下さい」
ライラは不服ながらも頷いた。理解しようとした所で理解出来る気がしないのならば聞き流すしかないというのはわかったのだ。その様子を見てウォーレンはエミリーに視線を向ける。
「ライラ様のいない場所でお話するべきでしたでしょうか」
「いえ、貴族の方々は政略結婚が多いので、割り切って浮気をされている方もいらっしゃいます。ライラ様自身にその気持ちがないからと言って、他者を否定してはいけません。そういう事も徐々に理解して頂きたいと思っております」
「難しい事を言うわね」
「ライラ様はとても運が良かったのですよ。その点だけは忘れないで下さいね」
エミリーが優しい笑顔を浮かべたのでライラも微笑んで頷いた。
「お二人の仲の良さはこちらも聞き及んでおります。今夜ジョージ様が乗り込んでくるのではないかと心配をしております」
「ジョージは仕事が第一だからそのような事はしないわよ」
「さようでございますか。それでしたら久々にジョージ様のいない夜を満喫されて下さい。私は自室に引きこもりますので、何かあれば使用人を呼んで頂いて構いません」
「わかったわ。色々と配慮をしてくれてありがとう」
「いえ、赤鷲隊隊長には仕事をして頂かねばなりませんから、その奥様をもてなす事はレヴィ王家に仕える者としての義務です」
真面目な表情のウォーレンにライラは微笑んだ。
「それは私を買いかぶり過ぎではないかしら」
「ジョージ様がライラ様を大切にされている事は、宿屋ではなくこの屋敷に泊める事で証明されています。私はジョージ様の臣下ではないのに、あちらこちらと呼びつけられる事に関しては少々思う所はありますけれども、立場としてはジョージ様が上なので逆らえません」
「それはごめんなさい。ウォーレンは王宮で仕事があったわよね」
「いえ、ハリスンの領主代理としてこちらに来る必要がありましたので構いません」
ウォーレンはハリスン領主代理としては勿論、彼の趣味で造った薔薇園の様子を確認する為に定期的にハリスンを訪れている。今回はその時期をジョージに利用されたのである。
「その任は解かれたのではないの?」
「ハリスン常駐が解かれただけです。祖父も父も王都を離れる事が出来ませんから、私がこの土地を見るしかないのです。カイルの息子に譲るまでは守りますよ」
「それは随分と気の長い話ね」
「私がカイルの嫁探しを急いでいる理由はおわかり頂けましたか?」
「それはわかったけれど、カイルの意思を無視するのはどうかしら」
「カイルの意思を尊重しますと、ハリスン家は断絶の道へ進むしかありません。それはジョージ様も望まれていないと思いますが」
ウォーレンにそう言われライラは頷く事しか出来なかった。彼女ははっきりとジョージの口からハリスン家を存続したいと聞いている。
「エミリーが嫁げば丸く収まるのに」
「収まりません。昨日の話は聞かれていましたよね」
エミリーは鋭い目つきでライラを睨んだ。
「聞いたけど、エミリーはそういう事を上手く対応しそうだから」
「私にも出来る事と出来ない事があります。私に出来る事はカイル様に相応しい女性を探す事ですから」
エミリーの言葉にライラはつまらなさそうな表情をしたが、エミリーはそれに対し厳しい視線を向けた。
「エミリー、宜しくお願いします」
エミリーは視線をウォーレンに向けると一礼をした。ライラは彼に不満そうな表情を向けると微笑を返された。ライラはその意味を図りかねたが、それでは失礼しますと彼は一礼をして部屋を出ていってしまったので、彼女は結局心にもやっとしたものを抱えたまま過ごす事となった。