母と娘
ジョージがアルフレッドに連れていかれた頃、応接間ではライラ、エミリー、サラ、エマの四人がソファーに腰掛けていた。女同士の話にあなたは必要ないから先に寝ていてとサラに冷たく言われ、クリフォードは渋々席を外していた。
「エミリー、ライラは問題なくレヴィ王宮で過ごしているかしら」
「相変わらず自由にされていますよ」
エミリーが笑顔で答えたのでサラはライラを睨んだ。
「ライラ、まさか王宮で大人しくしていないの?」
「王都に行く時はジョージと一緒ですから。一人では出歩いていません」
「一人で外出しないのは当たり前でしょう。しかもジョージ様を巻き込んでいるの?」
「それは隊長の務めも兼ねていますから。王都の見回りも仕事のひとつです」
「その仕事にライラが一緒に行く必要はないと思うけれど」
「お母様、落ち着いて。エミリー、お土産を出して」
ライラに言われ、エミリーは渡しそびれていた紙袋をテーブルの上に置いた。
「金平糖という御菓子です」
エマが紙袋から一つの包みを取り出して包装を綺麗にはがしていく。赤色の金平糖が入った瓶にサラとエマは物珍しそうな視線を向けた。
「色によって味が違います。それは苺です」
エマは瓶の蓋を開けると先程の包装紙の上に数粒出した。そのひとつをサラは手に取り口の中に入れる。
「優しい味ね。微かに苺の香りもして美味しいわ」
「レヴィ王都はこのような魅力的なお菓子がある素敵な場所なのですよ」
「美味しいお菓子と王都へ出かける事は関係ないわ」
「ジョージと一緒に散歩に出かける事が何故いけないのですか。お母様はお父様と二人で出かけたいとは思われないのですか?」
ライラの指摘にサラは嫌そうな顔をした。
「思わないわね。ライラも外交官時代を一緒に過ごしたのなら、あの人の面倒な部分は知っているでしょう?」
サラの指摘にライラは頷く事しか出来なかった。クリフォードがやむを得ず外務大臣として王都を離れる時は最短の予定を組んだ。しかもクリフォードは必ずサラが刺繍をしたハンカチを持ち歩き、それを抱えるようにして寝ていた。正直に言って実の父でも重いとライラは思っていた。
しかしライラは父の行動を思い出した事により、自分も似たような事をやっていたと気付いた。ジョージが戦場へ行った間に寂しくて枕を抱えて寝ていた。新婚と結婚二十年以上は違うとしても、自分の行動が重いと思っていた父に似ている事に自己嫌悪した。
「どうかされましたか?」
ライラが黙り込んだのを不思議に思い、エミリーがライラの顔を覗き込む。ライラは首を横に振った。
「お父様のようにならないように限度を覚えようと思っただけ」
「そうね、それは覚えなさい。少なくとも人前で身体を寄せる事はやめなさい」
「あれは幸せですと表現しようと思っての事で普段はしていません」
サラはライラに不満そうな表情を向けた後、エミリーに視線を移した。
「王宮内では弁えておられます。王都へ出かけた際はわかりませんが」
「ジョージ様の印象を悪くするような事だけはしないようにしなさい」
「わかっています」
サラの説教口調にライラは少し不満気に答えた。サラは小さくため息を吐くと、視線を再びエミリーへ移す。
「ところでエミリーはどうなの? ヘンリーが心配していたわよ」
「私は毎日ライラ様と共に楽しく暮らしていますので、心配して頂かなくて結構ですと父に伝えて下さい」
エミリーは淡々とそう言って頭を下げた。エマが寂しそうな表情をエミリーに向ける。
「エミリー、本当に結婚をしないつもりなの?」
「そのつもりはありません。王宮内でライラ様に仕える以上、どこかの家に入るわけにはいきませんので」
「私はカイルを勧めたのだけど、全然話を聞いてくれないのよ」
ライラの言葉にエマが期待の眼差しを向けた。
「カイル様とはどのようなお方ですか?」
「ジョージの側近をしているハリスン公爵家の三男で、将来の当主と言われているの。本当はカイルの嫁候補探しでガレスの女性を紹介して欲しいと言われているのだけど、私は乗り気ではないわ」
「ライラ様、真面目にウォーレン様に紹介をして下さい」
「だけどエミリーよりいい人はいないと思うのよね」
ライラはガレスにいた頃、舞踏会は適当な理由をつけて逃げていたものの、貴族令嬢ならサラ主催のお茶会である程度は顔見知りである。
「しかもエミリーは王宮で仲人みたいな事をしているの。自分の事は棚に上げて」
エミリーはしつこいブラッドリーをかわす為に、ブラッドリーに似合いそうな女性を王宮に勤める使用人の中から探して引き合わせていた。そしてそれが案外上手くいき、彼女は自分の仕事に集中出来ると思ったのだが、何故か赤鷲隊隊員から自分にも似合う女性を探して欲しいと依頼が舞い込むようになり、彼女は赤鷲隊腕章を返そうか悩みながら渋々対応をしていた。
「侍女業務は出来ているの?」
エマが不安そうな表情でエミリーに問いかけた。
「大丈夫です。ライラ様が王都へ行かれたりしている間にこなしていますから」
「だからカイルと結婚をすれば副隊長夫人になるのだから、そのような事はお願いが出来ない流れになるからいいわよと提案したのだけど、全く聞く耳を持ってくれないの」
「ライラの気持ちはわからないでもないけれど、身分が違う所に嫁ぐのは大変なのよ。だから無理強いをしてはいけないわ」
サラは諭すようにライラにそう言った。サラは男爵家から公爵家へ嫁ぐという異例の身分差結婚をしているが、エミリーがカイルに嫁ぐ場合は平民から公爵家になる為より厳しい。いくらエミリーがライラと同じ環境で育っているとはいえ、エミリーはあくまでもライラの侍女として教育されていたのであり、貴族令嬢の教育は施されていないのである。
「他の隊員や王宮で働いている方にいい人はいないの?」
エマも身分違いの結婚には反対の様子でエミリーに問いかけた。
「特にいません。私の事はいいではないですか。本当はウォーレン様からカイル様にアマンダ様を紹介して欲しいと依頼があったのです」
アマンダという名前を聞いてサラとエマは顔を見合わせた。アマンダはライラの六歳下の妹である。
「アマンダは無理よ。いくらレヴィと平和条約が結ばれて交流が可能になったとはいえ、彼が国外に出すとは考えられないわ。そもそもライラがエミリーを相手に勧める男性なら、アマンダの好みから外れるでしょう?」
「えぇ、その話は先に断っています。妹以外のガレス令嬢なら協力をしてもいいとは伝えましたけれど」
ライラの言葉にサラは安堵の表情を浮かべた。
「アマンダ以外なら私も協力するわ。言葉の壁もないのだから二国間の交流が増える事はいいと思うの」
「私も交流が増える事を望んでいます。その為に自分が出来る事を考えながら、レヴィで暮らしていこうと思っています」
「大人しくしなさいと言っても聞かないでしょうから、せめてジョージ様の迷惑にならないようにだけはしなさい」
「わかっています」
ライラはつまらなさそうに頷く。サラは娘の態度が少し気に入らなかった。
「エミリー、今後私宛に手紙を貰えないかしら。ライラが余計な事をしていないか不安で仕方がないわ。表向きはカイル様の相手探しという事なら不自然でもないでしょうから」
「かしこまりました」
「何故私ではなくエミリーなのですか」
「誰よりもライラをわかっているエミリーからの視点が一番正しいと思えるからに決まっているでしょう? それとお義父様がジョージ様を呼び出した事も気がかりなのよ。二人でしか話せないような重要な事がありそうで、その詳細も出来たら知りたいというのもあるわね」
「お爺様が何を言ったとしても、ジョージは聞く耳を持つ必要はないと思うのですが」
「だけどライラの結婚はお義父様が決めた事なのだから、裏があると思うのは自然でしょう? 帝国に嫁がせようと思っていたのを変えるなんて余程の事よ」
「お母様はお爺様が私を帝国に嫁がせようとしていたと御存知だったのですか?」
ライラはサラに訝しげな表情を向けたので、サラは呆れた顔を返した。
「帝国の言葉を覚える環境を整えたのだから何かあると考えるのが普通よ。むしろ気付いていなかったライラがおかしいの。その辺りは彼の血が流れているのよね」
「それならば教えて下さっても宜しかったではないですか」
「教えた所で何が出来たと言うの? こちらは好きな相手を選んでいいと伝えていたし、ライラが本気で好きな人を連れてきたのならお義父様を説得しようとも思っていたけれど、そうしなかったのはライラでしょう?」
ライラは返す言葉がなかった。確かにルイに嫁がされる可能性を先に知っていた所で、彼女が取れた行動はない。
「その話は終わった事だからこれ以上はやめましょう。ライラがジョージ様を好きなら経緯はどうあれ結果的にはよかったのだから。問題はその先にお義父様が何を考えているかの方だとは思わないの?」
「お母様は何か思い当たる事があるのですか?」
「帝国絡みなのは間違いないでしょうけど、お義父様もヘンリーも口が堅いからそれ以上はわからないわ。私は戦争が二度と起こらないのならば、それで構わないし」
「ジョージは二度と戦争はしないと言っていました。彼が動かなければレヴィは戦争をしないはずです」
ライラの言葉にサラは頷いた。それはまるで自分の考えがあっていたと確信したような素振りだった。
「二人の結婚は平和の為でもあるのだから、その為に尽力しなさい。私達も精一杯平和の為に頑張るから」
「お爺様は実際の所、引退はされたのですか?」
「えぇ。ライラが嫁いだ後からここを動いていないわ。カレンが子供の顔を見に来て欲しいと手紙をしたためたらしいのだけど、城にも顔を出していないみたい」
カレンはライラの二歳下の妹でガレス王太子妃である。
「カレンがそのような手紙を書くなんて、陛下がお爺様を呼び出したいという事でしょうか」
「多分そうでしょうね。でももう完全にガレス政界からは引いているわ。ライラの結婚をまとめる為に説得をしに行ったのが最後。だからこそ何かあるのかと思って、彼の嘘を承知した上でお義父様に会う為にわざわざリデルまで来たのよ。まさか本当にライラを連れてくるとは思わなかったけれど」
「私もお母様に会えるとは思いませんでした。お父様にこのお土産を託すだけのつもりでしたし」
「それにしてもよく調印式まで出てきたわね。王宮からは簡単に出られないと思っていたのだけれど」
「簡単には出られません。ジョージが色々な人と折衝してくれているみたいで」
ライラの言葉にサラは訝しげな表情を向けた。
「この調印式にライラが出席出来るように、ジョージ様が根回しをしてくれたの?」
「えぇ。前からお願いしていたのです。父に会いたいからと」
そう言いながらライラは視線を外した。そのやり取りをしていた時を思い出して少し恥ずかしくなったのだ。そんな娘の態度にサラはため息を吐いた。
「ジョージ様も一筋縄ではいかない人みたいね。ライラは彼に似ている所があるから不安だけど、しっかりとジョージ様の事を理解してあげなさい」
「私とお父様、似ているような所がありますか?」
ライラは不満そうな表情をサラに向けた。
「仕事先まで強引に妻を同行させる事と、夫にお願いして仕事先へ同行した事は同じだわ。調印式は国家間の問題であり、里帰りに使っていいものではないのよ」
「お父様が最後まで心配をしていたから安心して欲しかったのです。私は幸せにしていますと」
「それは今回十分に伝わったから、次からは国家間の問題に首を突っ込む事はやめておきなさい」
サラの言葉にライラは渋々頷いた。
「エミリー、ライラの事をこれからも宜しくね」
「かしこまりました」
「でも本当にいい人がいたら遠慮せずライラを置いて嫁いでね。私にとってエミリーも娘だから幸せになって欲しいの。ライラの為に自己犠牲だけはしないと約束して」
サラは力強い眼差しをエミリーに向け、エミリーはその眼差しを受け止めた。
「はい、ありがとうございます」
「それとヘンリーに手紙を書いてあげて。本当は心底心配をしているのよ」
サラの注文にエミリーは嫌そうな表情をした。その表情を見てサラは微笑む。
「本当に似た者親子ね。ここへ来る時にライラ経由で手紙を渡せるかもしれないと伝えたのに、ヘンリーは何も書く事はありませんと言っていたわ」
「わかりました。奥様に手紙を差し上げる時に父宛の手紙も同封致します」
エミリーは父と似ていると言われた事が癪で渋々そう答えた。その言葉にエマは嬉しそうに微笑んだ。