ウルリヒの選択肢
ウルリヒは王宮内にある議場に呼び出されていた。何故国王である父がわざわざ自分を議場へ呼び出すのだろうと不思議に思いながらも、扉をノックして室内へと入った。そこには父ウィリアムだけでなく二人の異母兄エドワードとジョージも同席していた。ウルリヒの表情に一瞬にして緊張が走る。
「そのような所に立っていても仕方がない。そこに腰掛けるがいい」
ウィリアムの言葉に頷いて、ウルリヒは勧められた席へと腰掛けた。エドワードは相変わらずの笑顔で、ジョージは無表情である。ウルリヒは一体何が始まるのか見当もつかなかった。
「ウルリヒ、今後について希望はあるか?」
ウィリアムからの突然の質問にウルリヒは答えられなかった。ライラに言われて考えてはいたものの、どうしたいかの結論はまだ出ていなかった。
「希望がないのなら今から言う中でどれが一番いいか考えるがいい」
ウィリアムはそう言うと視線をエドワードに送った。エドワードは頷き、淡々と説明を始める。まず王家が没収したレスター領で新たに公爵として領主を務める事。この場合結婚相手は自由。次にクラーク家の長女を娶り、クラーク公爵領の名前を変えて新領主を務める事。第三としてラナマン領主の長女を娶りラナマン伯となる事。この場合その領地は伯爵領から公爵領に格上げする。最後にローレンツ公国に婿入りする事。
「待って下さい。僕……私は公国語を話せません」
ウルリヒの言葉に全員が不思議そうな顔をした。どうやら三人とも勝手にウルリヒが公国語を話せると勘違いしていたようだ。
「フリッツは話せますが、ぼ……私は簡単な挨拶しかわかりません」
「ツェツィーリアがいるのだからそれは何とかなるだろう。とりあえず考えてみるがいい」
ウルリヒは困り、助けを求めるようにジョージを見たが、ジョージは無表情のままだった。ウルリヒはライラの事もあり、最近ジョージにも近付けていなかった。
「ウルリヒ、決められなければ父上が決める。その前に結論を出した方がいい」
「今の情報だけでは考えられません。もう少し具体的に教えて貰えませんか」
ジョージは意地悪そうに笑うと机の上にあった資料をウルリヒの方に滑らせた。父の前で雑過ぎると、ウルリヒは内心焦りながらその資料を受け止める。
「ローレンツ公国は女性が君主になれるから、ウルリヒは君主の配偶者となる。責任感も少なくていいのではないか」
エドワードはウルリヒに対して笑顔で凄んでいる。ウルリヒは初対面の時からこの異母兄が怖くて仕方がない。ジョージとは違って人を寄せ付けない雰囲気を纏っている気がするのだ。勿論、それがウルリヒに対してわざとしているとは考えが及ばない。
「その点も含め一度考えさせて頂きます」
「あぁ、そこまで急いでいない。後悔しないようゆっくり考えるがいい」
ウィリアムにそう言われ、ウルリヒは一礼すると書類を手に議場を後にした。
「自分で妻を選ぶ権利もあるなんてウルリヒを甘やかしているのではありませんか」
エドワードが冷めた目でウィリアムを見る。
「お前には側室を持つ権利があるだろう? そこまで私は関与しない」
「それだと側室の持てない私の扱いは何ですか?」
ジョージがわざとらしく不満そうにウィリアムを見る。ウィリアムはそれを無表情で受け止めた。
「お前は自由に選べるのに選ばなかったから、テオ殿が心配したのだ。言っておくがあれはテオ殿が進めた事で、私が頼んだのはサマンサだけだ」
「サマンサを何もアスラン王国など遠くへやる事はないのではないですか」
エドワードが不満そうにそう言った。エドワードにとってもサマンサは可愛い妹であり、いくら何でも遠いと彼は納得出来ていなかった。
「私も遠いとは思う。しかし他国へ嫁げば基本的に母国へ戻ってくる事はない。それなら幸せになれる国がいいだろう」
ウィリアムの表情は柔らかく、娘を心配する父親そのものだった。
「私はアリスを手放す覚悟が出来るか自信がありません」
「今からそれでは大変だな。言葉を覚えて、お父様大好きと言われたら余計に難しくなる」
エドワードはアリスにそう呼ばれる所を想像したのか表情が緩んだ。
「いいですね。早くそう言われてみたいものです」
「私はどうもエド兄上の娘に対する溺愛具合が慣れないのですけれど」
ジョージは王宮にあまりいなかったので、エドワードのアリスへの溺愛がしっくりきていなかった。王宮で過ごしている者達の間では有名な話で、皆が違和感なく受け入れている事もジョージには不思議で仕方がない。そんなジョージにエドワードは微笑む。
「ジョージも娘を持てばわかる」
「そういうものですか?」
「そういうものだよ」
一方、ウルリヒは資料を自室に持ち帰って一生懸命読んでいた。しかしどれも乗り気がしない。
「ウルリヒ殿下。どうされるのですか?」
ダニエルがウルリヒに尋ねる。ウルリヒの側近であるダニエルは、ウルリヒの決定に従い、どこだろうと仕え続ける義務がある。
「ダニエルはどこがいいと思う?」
「私も公国語は簡単な挨拶しかわかりません。しかしレスター領は帝国との国境、納めるのは一番難しいかもしれません。一方ラナマン領は木材に石材と資源が豊かですし、クラーク領は国内一の小麦畑を有しています。令嬢との結婚に抵抗がなければ、どちらかがよろしいのではないでしょうか」
ダニエルも資料に目を通し自分の意見を述べた。ウルリヒはそれでも尚決めかねた。ここでライラに相談に行きたい所だが、流石に行き難い。ウルリヒははっとして顔を上げた。
「ちょっと出かけてくる」
「どちらまでですか?」
「王宮内だからついてこなくていい」
ウルリヒはそう言うと資料を手に持って自室を出た。今日は議場にジョージがいたのだから、カイルは赤鷲隊兵舎にいるだろうと判断し、そのまま向かって行った。
「そういう相談はダニエルにして下さい」
カイルは冷めた目でそう言った。赤鷲隊兵舎のカイルの部屋は応接室と寝室のある副隊長に相応しい部屋で、ウルリヒは応接室のソファーに腰掛けていた。
「ダニエルだけだと意見が偏るから他の意見も聞きたくて」
「それで何故私なのですか」
「ジョージとライラ姉上の所は行き難くて」
ウルリヒは視線を落とした。カイルは困ったように微笑む。
「この前の舞踏会で女性を探さないからこうなるのですよ」
「だって結婚と言われても実感がわかなくて。まだ早くない?」
「ウルリヒ殿下は十八歳でしょう? 特に早いとは思いません。公爵家として外に出ても王位継承権は保持しますし、色々な経験を積ませたいという親心ではないですか」
「でもジョージには次期国王はエドワード兄上だからとはっきり言われたよ」
カイルは意外そうな顔をした。ジョージはずっとエドワードを王位にと決めていたものの、ウルリヒにそう告げた事は知らなかったのだ。
「そうですね。赤鷲隊隊長としてはエドワード殿下しか考えられないでしょう。陛下の狙いまでは私の考えが及ぶ所ではありませんけれど」
「父上か……父上は何を考えているのかわからないから」
ウィリアムは息子全員に対して父親らしいことは一切してこなかった。しかし最近ではエドワードとジョージを近くに置き、国家運営に携わらせている。ウルリヒも一度議会に参加したものの、その時何も出来なかったせいか、次からは呼ばれなくなっていた。
「陛下は現在即位二十九年目の偉大な方です。私達の考えが及ぶはずがありません」
ウィリアムは父を急病で亡くし二十一歳で即位した。当時まだ婚約者もいなかった彼に娘を嫁がせたのが、当時ハリスン家の力が強くなることを危惧していたレスター卿である。ウィリアムも公爵家同士の力関係を均衡に保つには必要だと頭で理解し受け入れた訳だが、そのような男達の打算にオルガは長男出産までしか付き合えなかった。しかしこのオルガの夫に対する裏切りをきっかけに、レスター家が取り潰しになる事態にまで発展するなどとは誰も予測しえなかっただろう。オルガの裏切りについてウルリヒは勿論カイルも知らない。
「ジョージは僕が選ばなければ父上が選ぶと言っていたから、選ばずに任せたらいいのかな」
「ウルリヒ殿下がそれで後悔しないのであれば宜しいのではありませんか」
カイルは冷めた目でウルリヒを見た。赤鷲隊は十五歳から隊員を受け入れているので、同年代の赤鷲隊隊員と比べるとウルリヒは幼く感じられた。特にカイルはジョージに長く仕えており、十八歳から隊長職を全うしている姿を間近で見てきている。ジョージは自分の考えを持っており、人にあまり相談をしない。
「カイルは冷たいな」
「ウルリヒ殿下の相談の仕方が悪いのです。私でないといけない相談ならお受け致しました」
「カイルにしか出来ない相談?」
ウルリヒはカイルが何を言っているのかわかっていない様子だ。ジョージにライラ、そしてダニエルに相談出来ずカイルに相談出来る事。それは結婚相手についてである。公国の姫は情報しか持っていないが、クラーク公爵令嬢とラナマン伯爵令嬢は面識もあり、どういう女性か把握している。
「ウルリヒ殿下は隊長の近くで二年間何をされていたのですか。折角の機会だったのですから学んだ事は活かさないといけません」
「学んだ事……つまりカイルの得意分野の相談ならいいという事?」
ウルリヒがジョージに尊敬の眼差しを向けるきっかけになったのは、適材適所の的確さである。
「私の得意分野は裏方です」
カイルは赤鷲隊に所属しているものの兵士として戦場では役に立たない。しかし彼が兵站を整えているからこそ先日の戦争も素早く移動が出来、ルイ皇太子殿下を捕虜にする事に繋がったのである。
「それならその裏方の意見として、領地経営がし易そうに見えるのはどこ?」
カイルは欲しかった質問と違うと思いながら、単にどこがいいかよりは一歩踏み込んだ質問に柔らかく微笑んだ。
「公国の内情がわからず配偶者としてどこまで政治に関与出来るかわからない為、他の三件で申し上げますと、まずレスター領は一番難易度が高いでしょう。今回の戦争の影響は必ず出ます。現在仮領主という事もあり、そこへ新たに入り領民の支持を得るのは簡単ではありません。一方、クラーク公爵家は領民からの支持も得ており長閑ないい場所です。大きく稼げる土地ではありませんが穏やかに暮らせるでしょう。ラナマン領は前伯爵が横領の嫌疑で領地を没収された場所です。資源は豊かですが、一度離れた領民の心をまとめるのは一苦労するかと思います」
カイルの話をウルリヒは頷きながら聞いた。言っている事はダニエルとそこまで変わりないが、よりわかりやすい。
「クラーク公爵令嬢はこの前の舞踏会で挨拶した中にいたよね?」
「覚えていらっしゃったのですか」
カイルは自分の嫁候補の希望を閉ざす為にあの舞踏会でウルリヒを連れ回したので、クラーク公爵令嬢は外せなかった。しかし令嬢の方が二歳年上で身長も高かった為か話は弾まなかった。
「覚えているよ。高慢そうだった人でしょ?」
「彼女は少し可哀想な境遇なので、そこは見逃してあげて下さい」
「可哀想な境遇とは?」
「クラーク卿は跡取りである長男を事故で亡くしています。彼女はその時から公爵令嬢の立場を失ってしまったのですよ」
「今でも公爵令嬢だろう?」
何もわかっていないウルリヒにカイルは冷めた視線を送る。
「違います。クラーク家は現当主が亡くなった時断絶し、領地は王家に返還されてしまう為、実家がなくなるのです。それをウルリヒ殿下が結婚する事によって名前は変わるものの、彼女の実家を失わないように対策するというのが狙いでしょう」
王家の王位と赤鷲隊隊長を継がない男子が爵位を賜ると公爵となる。それは王家が直系の相続人を失った場合の予備という側面がある。男性にしか王位相続権がない為、直系の男子がいなければそこで断絶である。クラーク家の長男は事故で亡くなっており、クラーク卿は新たな跡継ぎを産む為の側室を迎えていないので、断絶は決定事項なのである。
「つまり僕が希望を言わない場合、父上が選ぶのはクラーク家令嬢との婚姻という事?」
「それは私の考えが及ぶ所ではありません」
「ラナマン伯も同じ状況?」
「いえ。ラナマン伯には長男がいらっしゃいますが、横領による領地没収の為、血縁相続は出来ません。そしてその娘は嫁ぎ先がまずありませんからその救済になるでしょうが、血縁相続に近いものがありますので領地替えの可能性は捨てきれません」
「その伯爵令嬢はどんな人なの?」
「正直に申し上げればウルリヒ殿下とは合わないと思います。クラーク令嬢より更に高慢そうな雰囲気がありますから」
ラナマン伯爵令嬢長女は先日ジョージの所に来たアンジェリカである。カイルが肩に担いで王宮から追い出した時もずっと喚いていた。現在彼女は伯爵領の片隅で母と弟と肩身の狭い生活をしている。
「つまりクラーク家か公国の二択という事だよね。言葉がわかる分クラーク家の方が対応しやすいかな」
「ウルリヒ殿下、公国語がわからないのですか?」
「何で皆僕が公国語を話せると思っているの? 母上はレヴィ語を話せるから僕は知らないよ」
「そうですか。言葉の壁がなければ公国が一番だとは思うのですけれど」
「さっきわからないと言ってなかった?」
「どこまで政治に関われるかはわかりませんが、公国が独立を維持する為にレヴィ王家の婿を欲しがっても不思議ではありません。ウルリヒ殿下なら従兄弟に当たるわけですから、公国側の抵抗もあまりないでしょうし」
婚姻による結びつきはやはり強い。特に今回の戦争で二大大国の力関係がはっきりした。近隣国は帝国よりレヴィに近付こうとするのは時間の問題である。しかしサマンサは既に海の向こうアスラン王国の王子と婚約しており、次に打てる手と言えばエドワードの所に娘を送り出す事である。しかし公国は君主の性別を不問としており、婿に貰うという他国とは違う婚姻関係を結べるのである。
「話をしたりは出来ないかな? 顔も合わせず結婚出来るかなんてわからないよね」
「エドワード殿下も隊長も結婚式まで顔合わせはしていませんけれど」
カイルはライラが休戦調停式に参加していた事は知らない。勿論、あれはライラの一方的なものであり、ジョージにとって顔合わせにはなっていないが。
「それが普通なの?」
「普通でしょうね。私も亡き妻とは結婚式まで会話した事がありませんでした」
「皆すごいな。僕には想像出来ないよ」
「それでしたら一度陛下にお願いされてみてはいかがですか。案外聞いて貰えるかもしれません」
「そうかな? でも言うだけ言ってみようかな。うん。ありがとう、カイル」
ウルリヒは笑顔でそう言うとカイルの部屋から出ていった。カイルは初めて言われたお礼の言葉に驚いたもののすぐに笑顔になった。カイルにとってもウルリヒは可愛い弟のようなものなのである。