難航するカイルの嫁探し
ライラとエミリーは赤鷲隊兵舎を訪れていた。今日は剣技鍛錬という情報を入手したライラは、どうしてもジョージの格好良い姿を見たかったのだ。エミリーはカイルに相応しい女性を探しに行きたかったのだが、侍女なのだから従いなさいとライラに強引に連れて来られていた。普段一人で平気なライラがこう言う時は何かがあるとエミリーはわかっていたのだが、男しかいない空間にライラだけを行かせるのも侍女としては気が引けて渋々従っていた。
兵舎の前では赤鷲隊隊員達が剣を振るっていた。少佐以上の隊員に若い隊員達が挑み鍛錬しているのである。赤鷲隊隊員にとってジョージに認められて手合わせをする事は憧れである。しかし国内一の腕と言われる隊長と互角に戦える隊員は現在一人しかいない。
ブラッドリーは普段の彼からは想像も出来ない真面目な顔つきでジョージに挑んでいた。他の隊員達には稽古をつけているくらいのジョージもブラッドリー相手では真剣にならざるをえず、その二人だけは異様な空気に包まれていた。それをライラは隊員達の邪魔にならない場所から惚けた表情で見つめている。
「ジョージが素敵過ぎるわ。ねぇエミリー。あんなに素敵な人が私の夫で本当にいいのかしら」
「宜しいのではありませんか」
エミリーは冷めた声で答えた。確かに剣を振るっているジョージは軍人として格好良いのだろうとは思うが、彼女の好みではない為ライラに同調は出来なかった。エミリーからしてみれば、ジョージが本当にライラの夫でいいのかを不安がるべきで、逆はありえないのである。エミリーはライラ至上主義である事に揺るぎがない。
ジョージの腕から剣が落ちて決着がついた。この二人で勝負をすると八割方ジョージが勝つのだが、今回のようにたまにブラッドリーが勝つ。ブラッドリーは汗を拭うとエミリーに気付き、嬉しそうに近付いてきた。
「エミリー。どう?」
「訓練ご苦労様です」
「何、その他人行儀な言い方」
「他人ですから」
ライラが持っていたタオルをジョージに手渡して嬉しそうにしているのを横目で見た後、エミリーは冷たい視線をブラッドリーに送った。以前の舞踏会でもはっきり断ったはずなのだがしつこいので、カイルだけでなくブラッドリーの相手も適当に探して押しつけなければと彼女は考え始めていた。
「俺よりカイルの方がいいって事?」
「何故そこでカイル様のお名前が出てくるのかわかりかねます」
エミリーの言葉にブラッドリーは嬉しそうな顔をした。
「じゃああの噂は嘘なのか」
「噂とは何でしょうか」
「エミリーがカイルに嫁ぐという話。やっぱりおかしいと思った。エミリーは俺と結婚してくれるよね?」
「絶対に致しません」
サマンサがウォーレンに話に行ったという情報はエミリーも掴んでいた。しかしそれが赤鷲隊にまで広がっている事は把握していなかった。ここに広がっているという事は王宮内でも広がっているはずであり、エミリーは訴える先をどこにするか必死に考えた。
「カイルと俺ならどっちがいい?」
全く懲りないブラッドリーにエミリーは辟易していた。普段の彼女なら上手くあしらう言葉を使う。しかし彼女は目の前の男を黙らせる方を選んでしまった。
「その二択しかないのならばカイル様に決まっているではありませんか」
この言葉はその場にいた全員が耳にした。決して隊員達は噂話を好まないが、一人の女性と二人の隊員、しかも隊長から特に信頼を得ている二人の争いとなれば、黙っていろという方が無理である。
「本当に申し訳ありませんでした」
その日の午後、ジョージの私室で仕事中のカイルに少しだけ時間を貰い、隣室へ移動してエミリーは謝罪をした。隊員の一人がカイルにブラッドリーとのやり取りを告げていたので、その場にいなかったカイルも状況は把握していた。
「今回の噂の発端はサマンサ殿下と伺っていますから私に謝って頂く必要はありません」
「ライラ様にお願いしたのですが聞き入れてもらえず、妙な噂が続くかと思いますけれども早急に対応致しますので、今暫く辛抱して頂けると助かります」
ライラがしつこくしたのは、ブラッドリーよりカイルがいいと言わせたかったのかもしれないとエミリーは思い至った。あの時ライラは乗り気だった。ライラが自分の幸せを願ってくれている事をエミリーは嬉しく思っていたが、彼女は結婚する事が幸せとは思っていないので実は困っていた。
珍しく困った表情をしているエミリーにカイルは微笑んだ。
「貴女でも困る事があるのですね」
「レヴィ王宮をしっかり把握していなかった私の落ち度です。ご迷惑をおかけして本当に申し訳ありません」
「私は別に困っていないので大丈夫ですよ。兄が私の妻を探しているのは今に始まった事ではありませんから」
カイルは柔らかく微笑んだ。エミリーは謝っているのに、好みの顔の男が微笑み続けていると言う状況にいたたまれなくなった。
「必ず相応しい方を探して噂を上書き致します」
「そこまで気にして頂かなくても結構です。申し訳ありませんが仕事が残っていますので、戻らせて頂いても宜しいでしょうか」
「お忙しい所、お時間を割いて下さりありがとうございました」
カイルは頷いて立ち上がった。エミリーは一礼をして部屋を出るとそのまま厨房へ足を向け、紅茶の用意をしてからライラの私室へ向かった。
扉をノックして部屋に入ると、ウォーレンがソファーに腰掛けていた。エミリーはライラにお茶の用意をしに行くと告げてから部屋を出てカイルに謝罪をし、すっきりしてからライラと一緒に紅茶を飲もうと二脚のティーカップを用意していたのだが、これでは自分は飲めないと心の中で舌打ちしたもののそれを表情には出さなかった。
「私はすぐに戻りますから、お茶は要りません」
「宜しいのですか?」
「えぇ」
ウォーレンが遠慮をしたのでエミリーは素直にそれを受け止め、ライラの分だけ紅茶を淹れるとテーブルの上に置いた。
「それで用件は何かしら」
エミリーが部屋を離れていた時間は長くはない。ウォーレンは先程来たばかりなのだろう。そもそも前触れもなくこの部屋にいる事がエミリーには信じられないのだが、この王宮ではそんな人間が複数いるので、彼女は既にそういうものだと受け入れていた。勿論、ライラの立場なら本来前触れを出さずに訪ねるのは失礼にあたるのだが、ライラ自身があまり気にしていないので適当になってしまっている。
「ライラ様には妹君がいらっしゃいますよね」
「ガレス王太子妃に何の用があるの?」
「彼女に用はありません。もう一人いらっしゃいますよね」
ウォーレンの問いにライラは不快そうな表情をした。
「あの子はガレスから出さないわよ?」
「ですがライラ様の側に親族が一人いるのもいいと思います。王都にあるハリスン屋敷も十分広いですし、毎日この王宮に通いたいのでしたら手筈も整えます」
「それは御遠慮下さい」
二人の会話にエミリーが割って入った。
「ライラ様の末妹君がカイル様と夫婦になるのは難しいと思います」
「私はライラ様にお尋ねしています。貴女は黙っていて欲しいですね」
端正な顔立ちで睨まれ、エミリーは口を噤んだ。本来なら会話を遮ってはいけないという事を彼女もわかっているので、謝罪を込めて一礼した。
「エミリーを責めないで。あの子は駄目」
「どういう事でしょうか」
「父があの子は嫁に出さないと宣言しているから諦めて。もう父の悲しむ顔は見たくないの。私がここに来るのも、とても大変だったのだから」
ライラは視線を落とした。この政略結婚の話が浮上した時、最初から彼女の父は反対した。最終的には折れたものの最後までいつ帰ってきてもいいと言っていた。彼女はジョージと幸せに暮らしているのでガレスに帰る気は一切ないからこそ、父が愛している妹をこちらの都合で引っ張ってくる事などしたくなかった。
「妹君はそれで宜しいのですか」
「いずれ自分で嫁ぎたい相手を見つければ父も納得するわよ。でもカイルはその相手になりえない」
ウォーレンはエミリーに説明を求めるような視線を投げた。
「ライラ様の言葉に嘘はありません。彼女は好みが少し特殊でして、整った顔立ちにも仕事が出来る事にも興味は持たれません。何も出来ない人が好みなのです」
「つまりカイルよりブラッドリーを好みそうという事ですか?」
ブラッドリーはレスター家の次男であるが、違和感なく厩舎にいられる程貴族の雰囲気はない。髪は栗色で顔も平凡なので、スティーヴンと兄弟と言われても納得出来る人はまずいないくらい似ていない。
「私はブラッドが何も出来ないとは思っていないけど、その二択ならブラッドでしょうね」
「エミリーとは逆という事ですか」
ウォーレンの言葉にエミリーは一瞬反応した。何故午前中のやり取りをもう把握しているのか不思議だったが、彼女は無表情を取り繕った。
「そう言えばサマンサから聞いたのでしょう?」
「伺いました。ただサマンサ殿下の我儘に、こちらも付き合っていられません」
ウォーレンの言葉にエミリーは胸をなで下ろした。彼が反対するのであれば自分の自由は確保出来たようなものである。
「しかし最終手段になるとも思っていますよ。カイルはエミリーの事を嫌っていないみたいですからね」
「エミリーを嫌う人なんている訳がないでしょう? もしいるならここに連れて来て。私が納得するまでエミリーの良さを延々と語って思い違いを訂正するわ」
ライラの言葉にエミリーは思わず表情を綻ばせた。エミリーはライラの良さを知っている人間は少数でいいと思っているので、その場合は愚かな人と冷めた視線を送るだけではあるが、根本的な気持ちが一緒なのが嬉しかった。
「エミリー、その表情はいいですね。うちの子が貴女に落ちた理由を垣間見た気がします」
「その話は水に流して頂けたのではないのでしょうか」
「えぇ、彼はハリスン領に返しました。もしかして彼がいるから、カイルに嫁ぐのが不都合という事でしょうか」
「違います。私は一生ライラ様にお仕えすると決めているのです」
エミリーは何度ライラの側を離れたくないと言えば伝わるのだろうと、ため息を吐きたい気分になったが、ウォーレンの前では失礼にあたるのでぐっと堪えた。
「結婚が難しいという事でしたら、カイルの子供さえ生んで頂ければそれでも結構ですよ。乳母や教育係はこちらで用意致しますから」
「その言い方は失礼だわ。エミリーに謝って」
ライラは不機嫌そうにウォーレンを睨んだ。
「失礼致しました」
ウォーレンは自分の失言を素直に認め、ライラとエミリーに頭を下げた。
「カイルが自発的に女性を探す可能性はないの?」
「長らく縛り付けられていた黒鷲軍団基地から戻ってきましたので、女性と触れ合う機会は今後増えるとは思うのですが、カイルを落とすのは結構難しいと思います。先日の舞踏会でも完全拒否でしたからね。ライラ様の侍女が増えれば意図は伝わるでしょうが、その侍女候補もなかなか見つからない状況ですし」
ウォーレンは困ったような表情を浮かべた。カイルに好意を持っている女性は簡単に見つかるのだが、カイルが受け入れそうな女性となると話は別である。エミリーはウォーレンが求めている女性像を把握している為、ウォーレンの悩みは理解していた。しかしウォーレンが本気でエミリーも候補者の一人と思い始めている事にはまだ気付いていない。
「それなら仮に侍女を増やしてみる? 頭ごなしに駄目と決めつけるから視野が狭くなるのよ。まぁ、私の侍女を務められるかはわからないけど」
「ライラ様は我儘を言う感じもしませんし、誰でも務まりそうですけれど」
「ライラ様は御一人で何でも出来る方ですから、主要な仕事が話し相手になるので色々詳しい方でないと難しいのですよ」
エミリーの説明でウォーレンは納得した。ジョージが気に入った時点でライラが普通の公爵令嬢ではない事はわかっていた。会話をしていても元々の賢さ、教養の高さは窺える。大切に育てられた貴族令嬢とでは会話が噛み合わない可能性は高い。それが出来なければ侍女として仕事がない。しかしウォーレンはもう一つ理解した。エミリーはライラと会話が成立する程賢いのだと。
「カイルがこの部屋に入る事も少ないけどね。扉の向こうから声を掛けるだけだから」
「ジョージ様はそこまで嫉妬深いのですか?」
「カイルはそう判断しているのではないの? 私は大袈裟だと思っているけど」
「しかし、それですとライラ様の侍女を増やしても効果はなさそうですね」
ウォーレンの指摘にライラは小さなため息を吐いた。
「ハリスン公爵家の存続がこんなにも難しいとは思わなかったわ」
「ですがまだ時間はありますから諦めませんけれどね。ライラ様の妹君でなくとも、平和条約締結後のガレス貴族令嬢という手もありますから」
「妹以外なら協力してもいいわよ。母は顔が広いから適切な子を見つけてくれるかもしれないし」
「でしたら先に平和条約が纏まるように動く事にします」
ウォーレンの発言にライラは訝しげな表情を向けた。
「国家間の条約締結にそのような私情を挟んでいいの?」
「表立って言わなければ問題ありません。ライラ様も早く締結して欲しいのではありませんか」
「それはそうだけど」
「それなら問題ないではありませんか。それでは方向性が決まりましたので今日はこれで失礼致します」
ウォーレンはそう言うと一礼して部屋を出ていった。ライラはエミリーに座るよう指示してから紅茶を口に運ぶ。エミリーは冷めてしまったと心の中で残念に思いながら紅茶をティーカップに注ぐと、それを持ってソファーに腰掛けた。
「勝手にあのような事を仰って宜しかったのですか」
「母なら協力してくれるわ。それに条約は本当に早く締結して欲しいの。二国間の行き来が自由になれば手紙も送れるでしょう? 両親に私は幸せだと伝えたいの」
ライラは微笑んだ。エミリーも微笑む。
「結局父の間者は見つかりませんでしたし、ブラッドも何も知りませんでしたけど、テオ様が先代と繋がっているのなら、そこから伝わっているとは思いますけれどね」
ブラッドリーを疑っていたエミリーとジョージだったが、結局彼は赤鷲隊以外の手紙の差配はしていなかった。ただ単にエミリーの近くにいたかっただけだったのである。
「でも出来たら自分の口で伝えたいわ。今ならまだ父が外務大臣だから条約締結の時に出てくると思うの。その場に私も行けばいいわけだから」
「しかし前回は休戦協定だったのでジョージ様が代表でしたけれど、平和条約ならレヴィも外務大臣が出席されるのではありませんか」
エミリーの当り前の指摘にライラは表情を歪めた。
「外務大臣は誰になったかしら。私を連れて行ってとお願い出来る人?」
「いけませんよ。そのような事をジョージ様がお許しになるはずがありません」
「それなら外務大臣にその役目をジョージに譲ってもらうようお願いすればいい?」
ライラの発想にエミリーはため息を吐いた。
「それはライラ様が口出しされていい案件ではありません。どうしてもという事でしたらジョージ様にお願いして下さい」
「そうね。ジョージに言ったら聞いてくれるかもしれないわよね。そうしてみる」
ライラは微笑んだ。エミリーはいつになったらライラが大人しく王宮に居てくれるのだろうと思いながらも、これが主なので仕方がないと笑みを零した。穏やかな昼下がり、ライラの常識外れな発想を聞きながらお茶を飲むのは、エミリーにとって至福の時である。