悪役令嬢にゃん!
「ふ、み゛ゃぁあああーーー!」
なんなのよなんなのよなんなのよ! 苛立ちを叫んでも口からは猫の鳴き声しか出てこない。びしょぬれの身体はつめたいし、まとわりついて気持ち悪い。
手足に伝わる地面も汚らしいし、庶民の歩く道はくさいしうるさいし、ほんとなんでこんなことになったの! むかむか。わたくしがなにをやったっていうの。だって悪いのはあの女じゃない! なんでわたくしがこんな目に!
わたくしはこの国王家の血を引く、由緒正しい高貴なジャガランディ公爵家長女、ティタマリア・ジャガランディですのよ!
ふしゃあ! と言いながら踏み出した目の前で虫が跳ねて、勢いよく後ずさった。き、気持ち悪い! 全身の毛が勢いよく逆立つ。なんなのよもう、こんな……。
「にぃ」
か細い声が出ても、手を差しのべてくれる人はいない。ううっ、と口を引き結ぶ。なんで、なんでわたくしが……。
猫なんかにならなきゃいけないの!
すべての始まりは、コラット・ラグドールという女だった。コラットは男爵家の庶子で、ずっと平民として生きてきたのに、成人を目前にしたこの時期に突然引き取られたのだという。
それでもちゃんと男爵令嬢としての分をわきまえていれば、顔のかわいさでちょっと目立ったくらい許してあげた。だってわたくしの方がかわいいし美しいし気高いし。なのにあの女といえば、わたくしのサーバル殿下に近づいて、わたくしのサーバル殿下と踊って、わたくしのサーバル殿下と出かけた!
わ、た、く、し、の! サーバル殿下は、凛としたお姿と低い声が麗しいこの国の第一王子で、わたくしとはハトコの関係にある。婚約はしてなくて、婚約者もいなかったけど、身分も親しさも国の利益を考えたってわたくしと結婚するはずだった。なによりわたくしの艶やかな赤い髪と殿下の紺髪が並ぶと朝と夜の全てを統べる王国といった風情で、美しいわたくしの横に並び立つに相応しかった。
なによりわたくしの天才的な治癒魔法の才能は、いずれ王妃になる人間としてまさに女神の如き慈悲深さを象徴していたし、珍しい才能を遺憾なく発揮する姿は評判が良くてよく称えられた。
なのに殿下はわたくしじゃなくてコラット男爵令嬢を側に置くし、笑いかける。コラット嬢もにこにこ笑って、わたくしが注意しても聞きやしない!
これはもうやるしかないと、公爵家の書庫に眠る本を引っ張り出して、決めたの。
──あの女に、呪術をかけてやろう、って!
呪術なんてやったことないから、あんまりむずかしいことはできない。呪術の本で一番初歩なのは、相手を動物に変える術。なにに変えてやろうかしら、ネズミなんていいんじゃないかしら、と思ったけど、ネズミに姿を変えられたお姫様のお話を読んだばっかりだったからやめた。
それで、殿下の嫌いな生き物にしてやることにした。
殿下が嫌いな生き物は、猫。猫が近づくとくしゃみと涙とじんましん、つまり殿下は猫アレルギー。これは猫一択! 猫になって殿下に縋っても嫌悪の表情で追い払われてしまえばいいのだわ! おーっほっほっほっほ!
なんて高笑いしてエロイムエッサイム、猫になあれって呪文を唱えた。
ら、なぜかわたくしが猫になっていた。なんで!? なんでなの!?
混乱してにゃあにゃあにゃあにゃあ言いながら部屋をうろうろ、そしたら侍女に見つかった。みてちょうだい、この不自然なからっぽの服! 開かれっぱなしの呪術の本! とさらににゃあにゃあ。
侍女は「うるさいわね、奥様に見つかったら大目玉だわ」と外にぽいっ。お母様ってば動物全般だいきらいなのよね、毛皮のコートは大好きなくせに。だからってわたくしにそんな扱いをしていいと思っているの!? と怒りのままにまた門に手をかけてにゃあにゃあ。それで今度は水をかけられた。
わたくしの怒りは頂点に達しそうになったけれど、猫の高さから見る侍女の厳しい顔ったら! 石を投げつけてきそうな様子で、わたくしすぐさま逃げ出した。
で、今に至るというわけ。ほらね、わたくしが猫なんかにならなきゃいけない理由はないでしょ? まして、こんなみじめな思いをしなきゃいけない理由なんてないじゃない。
とぼとぼ歩いてたら疲れてきてしまった。ああ、なんてかわいそうなの、わたくし。柔らかなベッドも、甘い香りの香油も、寝る前に一杯の紅茶を飲むことさえできないなんて!
汚らしい地面の、それでもきれいでやわらかいところに腰を下ろして、身を縮める。意識せずとも、いつか見た猫のようにくるりと丸まって、わたくし自身の身体を枕に目を閉じた。ああさむい、風邪をひいてしまうじゃないの。
これもぜんぶ、あのコラット嬢のせいだわ……。
「ふみぃ……」
「あれ、子猫?」
未練がましくひとつ鳴いたら、若い男の声がした。びっくりして立ち上がって一歩下がる、までは身体が勝手に動いたのに、そこで身体が止まってしまった。ぱっちり開いた目は、傾いてきた陽の影であっても男の姿を捉えさせる。
あら、この男。
じっと見てくるそれは、わたくしにも見覚えのある男だった。ええと、たしか名前は、ツシマ? 異国の人間で、つまらないぼさぼさの黒い髪をして、わたくしがたまに訪問してあげていた治療院にわざわざ勉強しにきたと噂されているのを聞いた。異国の平民なんてあいさつをする価値もないし、よく知らないけれど、遠目に見た金の瞳がきれいだなと思ったことだけ覚えている。
なに、この男、このあたりに住んでいるの。そんなわけないわね、だってわたくしの公爵家の近くだもの。国随一の高級住宅地に間借りできる部屋なんてないわ。高級な集合住宅はもっと東のほうにあるはずだし、なんでこんなところに居るのよ。
「ふしゅ」
んん、威嚇の声ってこんなんだったっけ。とにかく手を伸ばしてくるんじゃないわ! わたくしに触って良いと思っているの!?
「よーしよし、大丈夫だからな。ここ馬車とか通るし、寝床もないだろ。いい子だから、ほら、おいで。」
にしても、わたくしだからいいものの、こんなまじめな顔で猫に話しかけるなんて、この男マヌケなのかしら。
「ああっ、よく見たらびしょぬれじゃないか! かわいそうに! 暖かいところにつれてってやるから、ほら、大丈夫だぞー」
でもこいつについていけば、こんな汚らしいところで寝なくてすむ……? 平民だし、美しいわたくしに尽くすのは当然だし、そうね。わたくしに仕えたいということなら、仕えさせてあげてもいいわね。
ゆっくりゆっくり差し出してくる手に、仕方なく立ち上がって近づいてあげる。と、男の金色が優しく細められた。
ふん、丁重に扱わないと容赦しないんだから! わかってるわね!
このあとツシマに拾われてほだされたり、殿下が猫アレルギー発作で倒れたり、呪いが解けたりするはずですが、気晴らしなのでここまで。
ティタマリアは偉そうないいこです