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魔術師は黒猫がお好き-転生使い魔の異世界日記-  作者: 東 万里央
第一話「月の光と胸の痛み」
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008.はじめての胸の痛み

 結局クルトはクマ男を店に残して支払いを済ませ、食べきれなかった魚をお持ち帰りに包んでもらい、私を小脇に抱えて強風のブースト・ジャンプで宿屋に戻った。


 クマ男は今度は座ってうなだれたまま追いかけてすら来なかった。


 クルトはその後何ごともなかったかのように、ランクBのソロのクエストを次々こなし、お金を稼いでポーションや薬草を買い溜めていった。


 私はその間もクマ男が気になっていたけれども、クマ男はあれからちらりとも現れず、クルトも話に出さずどうしようもなかった。


 そんな中で私たちはマーヤでの二週間目を迎えた。


 私たちのいる宿屋は第三通りの片隅にある。大通りからは少し外れているけれど、安くてきれいで居心地がよかった。


 一階は小さな食堂になっていて、入り口の扉の上には豚の形をした鉄の看板、隣にはお肉の塩漬に使ったタルが置かれている。これは「こんな料理があるよ」「こんなに美味しいよ」って宣伝のためなんだそうだ。


 私はそのタルのフタに座り日向ぼっこをしていた。


 まだ午前だけれどもお日様が当たって気持ちがいい。私は暖かさにうとうととしながら、時々我に返って慌てて座り直していた。


 ちょっと前起きたばかりなのに、いけにゃいいけにゃい。


 通りがかりの女の人二人が立ち止まり、私を見つめながらささやき合っている。


「あれ……あの猫置物じゃないわよね?」

「ホンモノでしょう。ほら、少し動いた」

「七ヶ月くらい? きっとまだ子猫よね」


 私は思わずカッと目を開けた。もう子猫じゃないのに!!


「あ、ほら、やっぱり生きていた」

「かーわいっ♪ 触らせてくれるかな?」


 落ち込んで尻尾をタルの上からだらんと垂らす。


 もう一歳にもなっているのに……。


 見るとその二人だけではなく後ろに男の人もいる。男の人は右の肩に大きな袋を引っかけ、「んん……?」と首を傾げて私を見ていた。縦も横も大きいちょっと頭がさみしい人だ。


 私は心の中で「あっ」と声を上げた。


『――クマ男!!』

「ああチビクロ、やっぱりお前だったか」


 クマ男がどすどすと樽に近づいて来る。女の人二人は「きゃっ」と声を上げ、そろってどこかに走って行ってしまった。


 今日のクマ男はレザー・アーマーを着ていない。ロングソードも置いてきたのか、生成りのズボンに長袖のシャツ、紐で前をくくるベストを着ている。ごくふつうの街の人間の服装だった。


 クマ男は腰を屈めて私のいる高さに合わせた。


「お前たちこんなところに泊まっていたのか。まあ、大通りの辺りにゃ花街もあるからなぁ。さすがにお嬢ちゃんにゃ見せたくはなかったか」

『はなまち?』

「あ、こっちの話こっちの話。ガッハッハ」


 私は不思議に思いながらもクマ男に尋ねる。


『今日クマ男はクエストじゃないの?』

「ん……いや、もうクエストはな……。今日は実家の手伝いなんだ。取引先が近くにあるのさ」


 クマ男はなんだか気まずそうだ。私には答えず宿屋の二階に目を向ける。


「あー、お前がここにいるってことは、クルト・フォン・ハンスもここか?」


 私はたいして気にせずううんと首を振った。


『今はいにゃいよ。朝市に買い出しにいった』


 朝市では新鮮なヤギのミルクが手に入るんだそうだ。クマ男は意外だと言った表情になる。


「ヤギのミルクぅ? あいつそんなもん飲むのか?」

『ううん、クルトじゃなくて、私がもらうの』

「……へ?」


 なぜかクマ男の目がテンになった。


『栄養がたっぷりだからなんだって。時々こうやって買ってきてくれるの』

 

 私はとりあえず背中をこれでもかとぐーんと上に曲げ、次に前足をいっぱいに伸ばして身体を弓のように反らせ、最後にタルの上から飛び降りクマ男を見上げた。


『ヤギのミルクならケット・シーでも飲めるし、私の身体がじょうぶになるからってクルトが言っていた』


 今朝目をさますとクルトはベッドにはいなくて、代わりに「市場でヤギのミルクを買って来る。くれぐれも宿の近くから離れないこと。知らない人間にはついていかないこと クルト」――と書かれた紙の切れ端が置かれていた。


 ベッドに眠る私を起こさずに、そっと朝市に行ったみたいだった。だから私はここで見張りをしながら、クルトの帰りを待っているのだ。


「くっ、そうか、そう言うことか」


 クマ男は話を聞くとお腹を抱えて笑い出した。


「あいつ使い魔に使われているのか。しっかり貢いでやがる。はははっ、こりゃあ傑作だ。どっちが主人かわからねえな。うん、確かにお前も魔性の女だ」

「にゃ……?」


 目をしばたかせる私の頭をぐりぐりと撫でる。


「せっかく会えたんだし、俺もお嬢様に献上するか」


 そしてごそごそと担いだ袋から、四分の一に割ったサンドイッチを出した。間には茹でたササミが挟まれている。


「ほれ、これやる。俺の朝飯の残りだが、塩少ないやつだから」

『……』


 私はクンクンとお肉のにおいをかいだ。うん、安全みたいと確認し口で受け取る。


「おいおい、俺は知らない人間だがいいのか? お前の主人に怒られちまうぞ?」

『クマ男は知らない人じゃないよ』


 私はサンドイッチをきれいに平らげると、後ろ足と前足をちゃんとそろえて上を見た。


『私にははじめて会った人は知らない人、二度目に会えた人は友だち、三度目に会えた人は仲良しなんだ』


 クルトと私は村から村、街から街、国から国へと旅をする。同じところに行ったことはない。だからこそ、二度と会えないと思うからこそ、私は会う人みんなを好きになった。


『クマ男は二度目。だから友だちなの』


 私にはこの街に友達と仲良しがたくさんいる。窓口のお姉さんとはもう大親友だ。あのね、エリカって名前なんだって!


「……」


 クマ男はくしゃりと顔を崩した。


「そっか。俺は友だちか」


 心から嬉しそうにガハハと笑う。


「じゃあ、友だちだってことで頼んでもいいか。あいつに"悪かった"って伝えて欲しいんだ。もうつきまとったりしないから安心してくれってさ」


 私は目がまん丸になりながらも「にゃんで?」と聞いた。


「どうして? ワイバーンと闘いたいんじゃなかったの? クルトと一緒がいいんじゃなかったの?」


 クマ男は「そりゃあな」と息を小さく吐き空を見上げる。


「けど、あいつがあの強さでランクBのままって、たぶんなんかワケありなんだろう? 前はつい舞い上がっちまって、思いつきもしなかったけどさ。渡り者にはそう言う連中が結構いるからなぁ」


 ワケアリという聞き慣れない響きに私は戸惑う。


「ん、何だ、お前も理由は知らないのか?」


 尋ねられてもうつむくことしかできなかった。


『……知らにゃい』


 私はそこで初めてそうなんだとぼうぜんとする。私はクルトのことをなんにも知らないんだ。クルトは私を子猫のころから育ててくれた人だ。世界で一番強くて、優しくて、温かい。


 でも、ほんとうにそれだけしか知らない。あとはクルトという名前だけで、今まではそれだけでよかった。それだけで幸せになれた――はずだった。


「そっか。お前も知らないならよっぽどなんだろうな」


 クマ男は袋を手に取り立ち上がった。


「んじゃお前の下僕……じゃない、ご主人様によろしくな」


 手を振りながら大通りに向かって歩き出す。私は「さようなら」の挨拶もできずに、その後姿を見送ることしかできなかった。胸が小さく、けれども確かにチクリと痛んで、生まれて初めて知るその痛みに立ち尽していたからだ。

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