007.クマ男がやって来た(2)
「――ルナ」
クルトが手を伸ばし私の前からお皿を引いた。
「知らない人間から食べ物をもらうんじゃないぞ。欲しければもう一皿塩抜きを頼んでおく」
『えっ、ほんとう?』
私はその場にぴょんと飛び上がりたくなった。お皿丸ごともらえるのは初めてだったからだ。いつもは「食べ過ぎはいけない」と言われて、夕ご飯はクルトと半分こをしていた。
「おいおい、知らない人間ってつれないな」
クマ男は苦笑しクルトの肩を叩いた。
「まあ、これから仲良くなって行けばいいさ。さっそく本題だが俺と組まないか? あんたとやりたいクエストがある」
「……」
クルトは何も答えない。
「あんたは渡り者だろう。マーヤ市民とパーティを組んで依頼を引き受ければ、差し引かれる税金も半分以下になるぜ」
クマ男はぐいとクルトの肩を引いた。
「あんたも多分ギルドで聞いているだろ。今マーヤ市がじきじきに依頼をかけている。対象はトロサ山に住みついたワイバーンだ。俺はあんたとそいつを倒したい。依頼はパーティーでもランクA以上が条件だが、誰かが引き受けるよりも先に、俺たちが倒してしまえばこっちのもんだ」
――ワイバーン!?
不吉な響きに私はぴくりと耳をそばだてた。
トロサ山はマーヤ市を見下ろす小高い山だ。ワイバーンはコウモリの翼を持つ竜族で、ダンジョン近くや山に好んで住みつく。竜族の中では中型だけれども、それでも人間にはじゅうぶんに大きい。
おまけに獰猛で炎属性の魔術を得意とする。二人以上のパーティならランクA以上、ソロならランクS以上の冒険者でなければ、とても太刀打ちできないと言われていた。
クマ男はクルトの耳に声をひそめずに告げる。
「それも変異種で大きさが五割増しのやつだ。もとは山の向こうにいたらしいが、何があったかマーヤの近くにまで来ちまった。俺もそんなでかいワイバーンなんて初めて聞いたぜ。街のお偉方はいつマーヤを襲うかと戦々恐々としているだろうよ」
私はそれではっとなりクルトに目を向けた。きっと退治したキラー・ビーも、もとはトロサ山のすそ野にいたんだろう。ワイバーンに追われて西の森にまで来ていたんだ。
けれどもクルトはその話を聞いても顔をまったく変えない。そして一言だけクマ男にこう言った。
「腕試しに人を使いたのなら他を当たれ」
クルトの冷たく硬い声にクマ男が一瞬ひるむ。それでも焦った顔で「頼む」と縋り付いた。
「もちろん金は俺が持っているすべてを明日にでも出す。成功のあかつきには報酬もワイバーンの死骸もぜんぶあんたに渡す。俺は銅貨一枚だってこれで稼ぐ気はないんだ」
私はえっとなり目をまん丸にしてしまう。クルトが言い出す前に全財産を差し出すだなんて――クマ男はなぜそんなにクルトとワイバーンにこだわるんだろう。
クルトも同じ疑問を持ったらしい。前を見たまま「なぜだ?」とクマ男に尋ねた。
「――なぜそこまでするのか理由を言え」
めげずにクルトを追いかけてくるほどなのだ。きっと深く、重く、大きな理由なのだろう。
私はドキドキしながらクマ男の答えを待った。
ところがクマ男はうっと息を呑み目をさまよわせる。さっきまでの勢いがウソみたいだった。
「その、それは……」
一分、二分、三分、五分たってもクマ男は答えない。クルトはあいかわらず無表情だったけれども、私には「やっぱり変な奴だったか」と読めた。クルトはクマ男から目を外しエールの最後の一口を飲む。
「言えないのならこちらも聞く理由はない」
クマ男ははっとなり額から流れる汗をぬぐった。
「いや、くだらなすぎて、ここで言うには恥ずかしくてな……」
クルトがすかさずそこにつっこみを入れる。
「本人がくだらないと思うのなら、その程度でしかないんだろう」
「……」
『……』
ええっと、クルトのこういう態度ってなんていうんだっけ。ううんと、ううんと……そうだ! ケンもオロロンだ!!
思い出したと喜ぶ私の心の声に重なり、酒場のおばちゃんがどん!とカウンターに湯気の立つお皿を乗せる。
「はいよ!! 当店特製・魔マスの蒸し焼き、塩・ハーブ抜きお待ちね!!」
クルトはうなだれるクマ男をよそに、運ばれてきたお魚の身をほぐした。しっかり冷ましてから私に差し出す。
「ほらルナ、夕食だ」
私はちらりとクルトの隣の席を見つめた。クマ男がすっかりしょげかえっている。頭だけじゃなく心もさみしそうだった。
『い、いたにゃきます……』
私は気になりながらもお皿に顔を突っ込んだ。