006.クマ男がやって来た(1)
こうしてキラー・ビー退治は無事に終わり、クルトと私は達成の証拠の女王バチの心臓を持って、マーヤの冒険者ギルドへと向かった。
キラー・ビーの女王バチの心臓は魔力の塊で、ハイ・ポーションの原料にもなれば、麻痺や中毒のステータス異常の特効薬にもなる。だから、道具屋や薬屋はみんな欲しがるんだそうだ。
今日はずっと天気のいい一日だったから、クエストへ行った冒険者が多かったんだろうか。四階の達成の承認所とアイテムや素材の鑑定所、三階の商人ギルドの支店の素材の買い取り所、二階のほうしゅうの受取所にはどこも行列ができていた。
とくに受取所はごった返している。それでも私はこれが終わればササミを買ってもらえると、うきうき、わくわくとして順番を待っていたのだ。
「では、次の方どうぞ」
クルトが職員のお兄さんにギルドカードと、「達成」の印章の押された依頼書を渡す。お兄さんは素早く依頼書を確認すると、「お疲れ様でした」とカウンターにコインを並べた。二枚の大きな金貨と十枚の銀貨だ。
「二十一ゴールドですね。確認をお願いします」
私はお金を革の袋に入れるクルトに話しかけた。
『クルト、ほうしゅうが少ないよ? 三十ゴールドじゃなかったの?』
クルトが袋を懐にしまいながら答える。
「この国では商品や報酬額が税込みでの表示になっている。差し引かれるとこの額になるから間違っていない。これも現国王の政策だと聞いたが思い切った改革をしたな」
『ぜいこみ?』
私は首を傾げた。
「税は国や街を維持するための費用だ」
『……いじ?』
……にゃんだか騙されているみたい。クルトが笑いながら肩の私の頭を撫でる。
「女王バチの心臓は十四ゴールドだったから、三十五ゴールドは稼げたことになる。税は俺たちがマーヤにいるために必要だから仕方がない」
『……』
やっぱり時々人間の社会は分からない。
職員のお兄さんは最後にギルドカードを裏返し、「ああ」と伏せていた顔を上げクルトを見た。指先でとんとんとカードの端を叩く。
「クルトさん、マーヤ他国の十都市を合わせて、クエストの達成が規定数を超えています。ランクAへの昇格試験を受けることができますが、申し込みをして行きますか?」
クルトはほとんど迷わず首を振った。
「――いいや、必要ない」
お兄さんが意外だといった表情になる。ほとんどの人はここで「じゅけん」をするのだろう。ランクBとAはたったワンランクだけれども、評価に天と地ほどの差があるからだ。
「ランクAになればより報酬額の高い仕事を受けられますが……」
クルトは肩をすくめ「いいんだ」苦笑した。
「少し前にランクAクラスの魔物を倒そうとして、返り討ちにあって命からがら逃げて来たばかりだ。まだ俺には早いんだろう。もっと数をこなしてからにする」
お兄さんもこれで納得したらしい。「よくある話ですよ」と慰め、ギルドカードをクルトに返した。クルトはお礼を言うと「ああ、そうだ」とカウンターに腕をつく。
「この辺りにまだやっている肉屋はあるだろうか?」
「ああ、はい。ありますよ。もう少しで閉店ですから早く行った方がいいですね。ここを出てもう一本向こうの通りで、つきあたりの曲がり角を曲がって――」
ところがお兄さんの親切な説明を、野太い怒鳴り声がさえぎった。
「なんだって!? あんたがランクBぃ?」
クルトと私は思わず顔を見合わせ、まさかとおそるおそる振り返る。
やっぱり後ろにあのクマ男が立っていた。でっかい身体が入り口をふさいでいる。
追いかけて来たんだ!!
クマ男はどすどすとクルトに近づくと、ぐいと顔を近づけ鼻を鳴らした。
「どう見てもランクBってレベルじゃねえだろ!!」
どあっぷになったオデコは、やっぱり後ろに広くてさみしかった。
◇◆◇◆◇
――この酒場はクマ男おすすめの店らしい。
エールやワインなどのお酒だけではなく、近くの川から取れた魚の料理が絶品なのだそうだ。煤でくすんだカウンターの奥には、棚にずらりと酒瓶が並んでいる。床には酒樽がいくつも置かれていた。
昨日行った食堂とは違って、人間の大人がたくさんいる。木のテーブルでもカウンターでも、みんな顔を赤くしていて、おしゃべりや歌を楽しんでいた。
「さあ、飲んでくれ。俺の奢りだ」
「……」
クルトは無表情のまま注がれたエールをぐいとあおった。私はカウンターの上の布にチョンと乗せられている。大人しくはしているけれどもクマ男をにらむのは忘れない。
だってこの人のせいでお肉屋さんに間に合わなかったのだ。ササミと、ササミと、ササミのウラミ! フーッ!!
怒りをこらえているのはクルトが私に謝り、「この男を早く片付ける」と言ったからだ。
片付けると言っても退治するわけではない。さっさと話を聞きさっさと終わらせ、無茶な要求を突き付けられた場合には、絶対払えない依頼料を吹っ掛けるのだ。
もちろんニコニコ一括の前払いだ。それにクルトは、「どっちにしろ明日にはササミを朝一番に買う」と約束してくれた。
だからがまん、がまん、がまんするの!
クマ男は上機嫌でエールを飲み干し、次にまじまじと私を眺めた。
「ずいぶん賢い猫だと思っていたら、そうか、こいつはケット・シーだったんだな」
え? かしこい? かしこいって私のこと?
「ああ、そうだ。お前のことだ」
クマ男の言葉に私は思わず顔を輝かせる。
ほんとう? ほんとうに?
クマ男は今度はガハハと笑い始めた。
「猫の顔色なんてわかるかと思っていたけど、この嬢ちゃんはずいぶん素直だな」
「……」
コップを持つクルトの手がぴくりと動く。けれどもやっぱり無表情のままだ。クマ男は「そう言えば」とカウンターに頬杖をついた。
「ケット・シーのメスの人化は、昔一度だけ見たことがあるが、あれはちょっとヤバかったな」
ヤバい?
「そう、魂を持っていかれちまう美しさだった……。妖精か、女神か、月光の化身か、とにかくこの世ならざる美女さ。あれが魔性ってやつなのかね。まあ人間の女と同じで、あんなメスはそういないだろうが、叶うのならもう一度お目にかかりたいもんだ……」
クマ男は夢見るような目で私をじいっと見つめた。
「……そういやあのメスも黒猫だったな」
「にゃ?」
ん、どうしたんだろう? クマ男は注文した川魚の蒸し焼きを私の前に押し出す。
「……おいチビクロ、これ食うか?」
『……!!』
お魚。大きな、いいにおいのするお魚。お腹がすごく空いているから、とても美味しそうに見える。け、けど、けど――。