005.ハチ退治に行こう!(2)
走って、走って、走って、低くを飛ぶキラー・ビーの背に飛び乗り、今度は高くにいる一匹に乗り換え、振り落とされる前に枝へジャンプする。
私は木から木へと飛び移り、キラー・ビーの攻撃を避けながら、鼻に全神経を集中させた。
キラー・ビーの指揮官と兵士は外見に区別がない。けれども、ひとつだけ指揮官にはある特徴がある。「ふぇろもん」と呼ばれる匂いだ。
人間はこの匂いを感じ取れない。蟲と獣の姿を持つ魔物だけがわかる。そう、私にはわかる。私にしかできないんだ!
「……!!」
私はある一匹のキラー・ビーに狙いを定めた。
第三陣の斜め前にいるあいつ――あいつがこの軍隊バチの指揮官だ!!
私は後ろ足で思い切り木の幹を蹴った。逃げ惑う敗残バチを空中のクッションにして、第三陣へとまっしぐらに突っ込んでいく。
慌てて兵士バチが針を向けるけど、私が小さいからか狙いを定めにくいみたいだ。
私はジグザクにジャンプして攻撃をよけ、指揮官の間近にまで近づいた。
キラー・ビーは蟲族でも殻がとても硬く、かまいたちの魔術を使えない私には倒せない。けれども、たった一ヵ所だけ柔らかく弱いところがあった。それは……目だ!!
私は前足の爪の全部を出し、指揮官の右目を左斜めに、左目を右斜めにしゃっと引っかいた。
『キィィィイイイィィィッッッッッッ―――!!!!!!』
大きな目の中の細かい目が痛みに赤に、緑にとまたたく。傷口からは透明の液体が漏れ出ていた。きっとこれがキラー・ビーの血なんだろう。
指揮官は思いがけないダメージに耐えられなかったのか、声もなくどすんと土の上に転がった。
私はしゅたっと着地し部隊を見上げる。残された兵士バチが唸るようにざわめいていた。
『ギ、ギ、ギ』
『ギギ……』
『ギギッ……』
一匹が身をひるがえしたのを合図に、四分の一の数となった軍隊は、クルトと私に背を向け一目散に逃げ出した。
『――クルト!!』
私は思わず振り返りクルトを見た。クルトもこちらに駆けてくる。私は嬉しさに任せその胸へと飛び込んだ。
『クルト、クルト、私、うまくできた?』
クルトは優しくほほ笑み私の背中を繰り返し撫でる。
「ああ、よくやった。上出来だ」
『……!!』
褒めてくれた!!
「帰ったらササミをやるからな。今はキラー・ビーの後を追うぞ。だが、その前に――」
クルトは私を肩に乗せるときびすを返し、もと来た道の脇にある一本の木に目を向けた。
「そこの男、命が惜しければ出てこい」
「みゃっ!?」
私は警戒にしっぽを限界にまで膨らませる。
まさか人間が紛れ込んでいただなんて! ハチにばかり気を取られてわからなかった!!
ところがクルトに驚きはないみたいだ。淡々と木陰にひそむ何者かに告げる。
「戦いの半ばからいたようだが何が目的だ」
「……」
草むらが音を立てたけれども、誰も出てこようとはしない。
「答えないのならその木ごと焼き尽くす」
「……!! ま、待ってくれ!!」
焦った声が上がり一人の男の人が姿を見せた。
縦も横も大きなブラック・ベアーみたいな人だ。焦げ茶のレザー・アーマーに袖なしのシャツ、黒いズボンにやっぱり焦げ茶のロングブーツを履いている。
アーマーから伸びる腕が太くてたくましい。片手にはロングソードを持っていた。これは戦士の冒険者の典型的な装備だ。
ちなみにクルトは魔術師なので、濃紺でたて襟の膝まであるジャケットに、白いズボンと黒いロングブーツ、その日毎のマントを羽織っている。職業ごとにだいたい決まっているのだ。
男の人の年はクルトよりきっとずっと上なのだろう。硬く黒い肩までの髪を後ろでひとつに束ねている。ほとんどない眉と目つきの悪い三白眼、横に広がる鼻に魚を丸飲みできる大きな口で、オデコは妙に後ろに広くなっている。
うん、ちょっと頭がさみしいブラック・ベアーだ。
クマ男は青ざめあたふたとしながらも、ズボンからカードを取り出して見せた。
「俺はランクBの戦士のフーゴだ。ほら、これがギルドカード」
確かにカードには「フーゴ・フォン・ゲッツ(二十五歳)」とあり、マーヤ市民の印章も押されている。クマ男はフーゴって名前なんだ。ところでそのフーゴがどうしてこんなところにいるんだろう?
「……」
クルトが目を逸らさずクマ男を見つめると、クマ男は必死に手を振り言い訳を始めた。
「い、いや、そのな、パーティ組んで受けようかな~と思っていた依頼が、もう取られたって受付の子に聞いて悔しくてさ。どんな戦い方をする奴だって気になって……」
そんなこんなでこっそり偵察にきたところ、クルトの魔術のすさまじさに腰を抜かしたのだそうだ。
「悪かった!!」
クマ男ことフーゴは勢いよく謝ると、今度は目を輝かせクルトを眺めた。
「しかし、お前はすごい魔術師だな。詠唱なしなんて初めて見た。ランクはSか、SSか、SSSか? なんて二つ名なんだ? 絶対有名なやつだろ?」
「……」
クルトはまったくの無表情だけれども私にはわかる。絶対に「面倒なことになった」って考えているよ。
◇◆◇◆◇
それからクマ男はクルトが追い払っても、また追い払ってもどすどすとついてきた。
女王バチを巣から誘い出してやっつけた時も、キラー・ビーの巣を起こした火で焼いている時も、木陰から顔をのぞかせ「すげえ、すげえ」と呟いていた。
最後に私たちが女王バチを解体し、証拠となるその心臓を取り出すころには、「来てよかったぜ」と溜息を吐いていた。
「……ルナ」
クルトが透明の宝石のような心臓を皮袋に入れながら、クマ男には聞こえないよう肩の上の私にささやく。
『どうしたの?』
「これが終わったらあの男を撒く」
『えっ?』
「そろそろササミを買う時間がなくなるからな」
『……!!』
私はこくこくと頷きクルトにしっかりとしがみついた。
「さてと」
クルトは手を拭うと立ち上がり、身を翻し進路を確認する。するとクマ男が「おっ」と叫び、木陰から草を払いつつ飛び出てきた。
「終わったか。なあ、あんた、話がある」
「――あいにく俺にはない」
ざわりとクルトと私の周りに風が巻き起こる。クルトが軽く片足で地を蹴ると、私たちははふわりと空中に舞い上がった。
途中何羽かの小鳥とすれ違ったけれども、みんな驚き「ピピッ!?」と鳴いている。クマ男も唖然としているみたいだった。
「お、おい!?」
何も知らなければ空を飛んでいるように見えただろう。実際には魔力で強風のブーストをかけ、高く遠くにまでジャンプしているだけだ。
三度目のジャンプの後には森の外れにまで来ていて、もうクマ男の姿は見えず声も届かなかった。私は目を白黒とさせながら森を振り返る。
『あ、あの男の人、にゃんだったの?』
クルトは「さあな」とジャケットの乱れを直した。
「よっぽどヒマだったのかもしれないな」