024.海賊ヴォルフガング(2)
男の人は何を思ったのか、手をすっと前に差し出した。
『……?』
私が首をかしげていると、「ん? おかしいな」とまた頭をかく。
「おい、お手」
『……』
「お代わり」
『……』
「なんだ。なんもしねえじゃねえか」
だって、それは犬の芸だよ!
男の人は「うーん」と唸っていたけれども、やがて「おっし」と大きく頷くと、私をいきなりひょいと摘まんだ。
「みゃっ!?」
首根っこを掴まれてしまうと動けない。私はぶらんと釣り下がったまま、やっぱりかちんと固まっていた。男の人はうーんと唸りながら歩き始める。
「どんな調理法ならいいんだ? 塩抜きか? 煮るか? 焼くか?」
ちょっ、ちょうりほう!?
頭の中に鍋にほうり込まれて、グツグツ美味しく煮込まれる、私とお魚が思い浮かんだ。
ど、ど、どうしよう。海賊に料理されちゃう! 食べられちゃうよ!
◇◆◇◆◇
男の人が私を摘まんで向かった先は、船の奥にあるひときわ広い部屋だった。やっぱり壁も床もくすんだ木でできている。
けれども何もなかった廊下とは違って、赤紫のじゅうたんが敷かれていて、きれいな木でできた机やタンスやベッド、ガラス細工のランプも置かれていた。宿屋なら一番高い部屋になるんじゃないだろうか。それくらい中にあるものはぜいたくに見えた。壁には大きな丸い窓もあって外が見られる。
あっ、もう夕方になっていたんだ。遠くに入り江がのぞめるということは、やっぱりどこかに停まっているんだろう。
男の人は部屋に足をふみ入れるなり、私をぽいとベッドに放り投げた。
「みゃっ!!」
私は真っ白なシーツの上に、軽い音を立てて落ちてしまう。男の人は「待っていろよ」と言い残すと、そのまま部屋を出ていってしまった。私はぼうぜんとしながらその背を見送る。
ど、ど、ど、どうすればいいんだにゃ!? 待っているだけじゃ料理されちゃう!!
私はだっしゅつできないかと窓を見あげた。
すぐ外には海があるのに、どうやって逃げるというの!?
やっぱり料理されちゃうんだと涙がにじむ。
ううん、諦めちゃダメだ! こうなったらあの海賊が扉を開けた瞬間、ツメを立てて目にねらいを定めて……。
私は腰を引いて肩をいからせると、さっきの男の人が来るのを待った。
勝負は一瞬で決まるにゃ! 失敗は許されないにゃ!
けれども私の必死の戦意は、静かに扉が開けられるなり、霧みたいに消え失せてしまった。だって男の人はお皿を持っていて、そこからいいにおいがしたからだ。
こ、このにおいは……大好きな鶏肉だ!
男の人はお皿を床に置くと、人差し指でくいくいと手招きをした。
「取って食いやしねえから。鳥の胸とササミの部分だぞ。茹でただけなら食えるらしいな」
『……!!』
騙されちゃダメにゃ、いけないにゃと思うのに、足が勝手にお皿に近づいちゃう。私はお皿の中のお肉のにおいを嗅ぐと、たまらずに顔をつっこんで食べだした。
「おーおー、食ってる食ってる」
男の人の嬉しそうな声が聞こえる。おそるおそる顔を上げると、男の人は顔をくしゃりと崩して笑っていた。その笑顔にクルトを思い出す。
クルト、ごめんなさいにゃあ……。知らない人から食べ物をもらっちゃった。おなかが空いて食べちゃった……。
「ん、どうした? まずかったか?」
男の人が私の顔をのぞき込んだ、そのすぐあとのことだった。扉が続けて三度目小気味よく叩かれ、女の人がひょいと顔を出したのだ。男の人がなんだと顔を上げる。
「ビアンカか。どうした?」
女の人は真っ赤な面白いドレスを着ていた。胸と足に切れ込みが入っているんだよ! メロンくらいに膨らんだ胸が、もうちょっとで見えそうだ。気だるげに扉にもたれかかって、男の人を細めた目で見つめている。
「そろそろ陸の店に戻らなくちゃいけないし、店の子たちを代表して挨拶に来たのよ」
女の人は目を男の人から私に移して、「やーだっ!」と甲高い声を上げた。男の人の隣にしゃがんで私の顎を撫でる。
うにゃ、うにゃ、うにゃにゃ……。この女の人って撫でるのがうまい。すごいてくにっくだにゃあ……。
「やだ、可愛い。ねえ、この子猫、雌なの?」
「みたいだな。タマねぇし」
「あらあら、じゃああたしのライバルね。あなた、動物好きだものね。もう、この雌猫っ!」
私がうにゃうにゃと女の人になつく間に、男の人が「バーカ」と笑った。
「人間の女ほどじゃねえよ。まあ、けど、猫みたいな女だったら、確かに俺の理想かもな」
ニヤリと笑って女の人を見つめる。
「綺麗で、純粋で、でも残酷で、気まぐれで、俺の思い通りにならない、そんな女だったら最高だ」
「あたしの目の前でそれを言う?」
「お前なら許してくれるだろ」
女の人は「ひどい男ね」と笑うと、男の人といっしょに立ち上がった。
「海の男ではあなたが一番好きよ。悪いことをしていて、あたしに夢中じゃない男って素敵」
「世界一って言えよ」
男の人は女の人の腰に手を回すと、胸に抱きよせて唇を重ねた。私は鶏肉の美味しさも忘れて、二人が何度もちゅうをするのを眺める。
す、すごいにゃあ。あんなに何度もやって、息が苦しくならないのかにゃ!? そんなに人間って美味しいのかにゃ!? あっ、もう一回やってる!!
女の人はやっと男の人から離れると、扉の向こうから投げキッスを贈った。
「じゃあね、男前の船長さん」
私は呼び名に絶句して、その場に飛び上がる。
せ、せ、せ、船長!?
男の人がまた「バーカ」と笑った。
この男の人は海賊船の船長なんだ!
◇◆◇◆◇
メロンの女の人が帰ったあとには、部屋にはまた船長と私だけになった。船長は床のお皿を見ると「ん、全部食ったか」とまた笑う。
こうして笑うといい人に見えるから困るにゃ……。で、でも、船長は海賊なんでしょう!? 貿易船からいろんなものを盗んで、人間を誘拐してみのしろきんを取って……。
私がいっしょうけんめい警戒していると、船長がまた私の首筋をひょいと摘まんだ。
「んじゃ、寝るか」
え、ええっ!?
「明日は早いからな」
私を高々とかかげながら、目を合わせて話しかける。
「しっかしお前どこから来たんだ? ノラの割には毛艶がいいから、陸の飼い猫が迷い込んで来たって感じか」
違うよ。しゅっかされたんだよ!と言いたくても、首根っこを押さえられている。
「っても、もうどこの港からかはわかんねえよな。いざとなったらビアンカに預けるか……それとも船でネズミ除けに飼っとくか?」
私はみゃっと声を上げそうになった。
ど、ど、ど、どうしよう! このままじゃクルトの使い魔から、海賊の猫になっちゃうよ! ネズミを捕まえるのは好きだけど、毎日ネズミがご飯じゃ飽きちゃうにゃ!
「まあ、明日のことは明日考えるさ」
船長は私をベッドにぽすんと落とすと、上着とシャツを脱いで裸になった。
わっ、やっぱり身体中に傷あとがある。これは剣で切り付けられたもの、あれはボウガンで射られたあとだろうか。
そういえばクルトの左胸にも傷あとがあったと思い出す。大きな星を思わせるもので、昔ずっと弱かった子どものころに、つけられたものだと言っていた。けれどもクルトの心臓は右にあったから、今でも生きているんだよって。
クルトが小さかったころに出会っていたら、自由に人化できる能力があったら、そんな傷あとは絶対残さなかったのに……。
そんなことを考えながら船長を見あげていると、船長はベッドに腰を下ろして私の頭を掴むように撫でた。
「とりあえずお前ももう寝ろ」
手を組んで枕にするとどさりと寝ころがる。
『……』
私も次はおとなしくシーツの上に丸まった。
ここは船長の言うとおりにしておくにゃ。とりあえずお腹もいっぱいになったし、だっしゅつの方法は明日になってから考えよう。そう、必ずヴェンディスに戻って、クルトに「お帰りなさい」って言うんだ。
まぶたを閉じる前になんとなく窓を見あげる。まん丸の真月と添え月が空に輝いていた。こんなにきれいな満月はマーヤ以来だ。空が曇っていないからか、どっちのお月様もはっきり見える。
――お月様、どうかお願いです。クルトのもとに帰れますように……。
私はそうしてゆっくりと眠りに落ちていった。いつの間にか月の光が降りそそいで、私の姿を変えていくのにも気づかずに……。
◇◆◇◆◇
……なんだかさっきからほっぺが痛い。誰かに引っ張られている気がする。
「おい、起きろ」
「……」
「起きろってんだ。ったくこの女は大胆なのか、鈍感なのかどっちなんだ」
ダイタン? ドンカン? それって美味しいの?
私がやっとの思いで重いまぶたを開けると、どあっぷになった男の人の顔があった。
「にゃっ!? 誰にゃっ!? あっ、船長だったにゃ……って!?」
私は思わず喉を押さえる。
人間の声が出ている!?
慌てて顔や身体をぺたぺたと触ると、耳もヒゲもしっぽもなくなっている。代わりに長くて黒い髪と白い手と足があった。
私は「どうして」とぼうぜんと呟いた。
どうして人化しているの!?
船長は気だるげに起きあがると、いぶし銀の前髪をかき上げた。
「どうしては俺のセリフだ。どうして俺のベッドに女がいる。ビアンカの店の新顔か? ずいぶん積極的な営業だな」
「だがな」と片ひざを立てて頬杖をつく。
「さすがに朝っぱらからその気にはなれねえぞ」




