016.ずるくて優しい(3)
通りのみんながやっと落ち着いた顔になった。やるべきことがわかったからだろう。
「じゃあ、みんな、今は逃げることが最優先だから、荷物は置いて行くんだよ。すべては命があってこそなんだからね」
ところがやっとみんなに「りせい」が戻ったのに、二人の男の人が人ごみを掻き分けて、おかみさんと私に詰め寄った。「冗談じゃねえぞ!」と私を指差し、怒りに満ちた声を張り上げる。私はその声とぎらぎら光る目に身体が凍り付いてしまった。
「――魔物の言うことなんざ信じられるかよ!!」
私はあっと息を呑んで目を見ひらいた。クルトと杖を買いに行ったあの日、私を道で蹴ろうとした人たちだったからだ。
「魔物は人間にとってカタキでしかねえ。俺たちを陥れるに決まっている!!」
「……あんた達は馬鹿かい」
おかみさんが呆れたように溜息を吐いた。今度は別の男の人の声が耳に届く。
「馬鹿じゃなければ阿呆か間抜けじゃのう。なら、あんたがたは人間なら信じられるのかいのう? 自警団は真っ先に逃げてしまったというのに」
銀の影がおかみさんと迫る男の人たちの間に割って入り、私をかばうかのようにさりげなく手を横に挙げた。向かいの部屋に泊まっていた冒険者、戦士で弓使いのアーベルさんだった。
『あっ、アーベルさん……』
アーベルさんはクルトと同じくらいの年に見えるけれども、ほんとうは七十歳を超えているおじいさんなんだと聞いた。銀の長い髪を三つ編みに束ねて耳がぴんととがっている。同じ銀の穏やかな瞳だけが生きた時の長さを伝えていた。アーベルさんは太古にとつぜん消えた「えるふ」という種族の末裔で、まれに人間からせんぞがえりで生まれてくるんだと言う。
アーベルさんは「安心しなさい」と呟くと、男の人たちに向き直り見下ろした。
「ワシはこの子を信じるぞ。先祖返りのエルフのワシよりも、よほど感覚が鋭いんじゃ」
男の人のひとりが更にいきりたつ。
「人間の俺よりそんな魔物を信用するって言うのかよ!!」
けれどもアーベルさんは冷静だった。
「ルナは誰かを騙すような子じゃない。よこしまな人間よりよほど真心がある。ワシは七十四年生きてきたが、ワシを親から盗んだのも、売り飛ばしたのも、虐げこき使ったのも、すべて人間でしかなかったぞ。魔物など一匹もおらんかった。それになあ」
振り返りおかみさんに抱かれた私の頭を二度軽く撫でる。
「ワシはこの子と仲良しなんじゃ。友だちを信じるのは当たり前じゃろ?」
男の人たちがぐっと黙り込み悔しそうに拳を握り締めた。
「は、エルフ風情が……」
「エルフも魔物も信じられんというのなら、お前さんたちは別の道を見つければよい」
「……」
他のみんなはおかみさんと私についてくるつもりみたいだ。仲間や家族ごとに意志を確認し合っている。その中から二人の女の人が音もなく私たちに近づいてきた。二人とも赤紫のロングスカートのワンピースの上に、膝まであるジャケットを重ねて着ている。服装と手の杖で女魔術師さんなんだと分かった。
「では、私たちがおかみさんとルナさんの護衛をします」
お姉さんたちは姉妹の魔術師でランクはCだけれども、二人とも水の魔術が使えるんだそうだ。
「火を消せるほどではありませんが、みなさんに降りかかる火の粉を払うくらいはできます。お二人ともよろしいでしょうか?」
おかみさんは「もちろんだよ!」とうなずいた。私を地面に下ろししゃがみ込む。
「ルナちゃん、道案内をお願いしていいかい」
私は「まかせて!」と大きくうなずいた。くるりと身をひるがえし走り出す。
『私についてきて!!』
できるだけたくさんの人間や生き物をこの街から外に出すんだ――私はそんな思いを胸に抱きながら道を駆け抜けて行った。
◇◆◇◆◇
私はおかみさんや魔術師のお姉さん、途中から加わった兵士たちとも力を合わせ、いくつもの通りの逃げ遅れた人たちを、マーヤから城壁の外へと避難させていった。
大通りはやっぱり炎に焼かれていて、お店やお家が崩れていて危ない。そんな中でもみんな生きている人を掘り出し、馬や背に担いで運び出して行った。
ここでの私の役目はガレキのすき間に潜り込み、下敷きになって気を失った人を探し出すことだ。
「――ルナ、もうケガ人はいないじゃろうな!?」
アーベルさんの声が響きわたる。私はうんしょとすき間から顔を出した。
『うん、もうこのへんにはいない』
アーベルさんは力強くうなずくと、「撤収じゃ!」と手をかかげる。
「そろそろ火が迫ってきている。皆の者、仲間は、相棒はそばにおるか!?」
「おうよ、無事だ」
「早く戻ろうぜ!」
みんながいっせいにある人は足で、ある人は馬でその場から駆け出した。私も後ろの人たちに混じって城門を目指す。
ところが大通りを抜け曲がり角を曲がったところで、小さな声が聞こえた気がして足を止めた。
『……?』
「う……ん」
倒れた壁の下に人がいる!!
「い……痛……」
やっぱり女の人の声だ。それも聞き覚えがある。まさか、まさかこの声は――。
『――エリカお姉さん!!』
冒険者ギルドの受付のお姉さんだ!!
私は慌てて曲がり角の建物に駆け寄った。ここはギルドでもお肉屋さんでもないはずだ。なのに、どうしてエリカお姉さんがここにいるの!?
ううん、今はそんなことを言っていられない。早く、早くお姉さんを助けなきゃ。
私は壁と地面とのはざまに身体を捻じ込んだ。やっぱりお姉さんがうつ伏せなって倒れている。きっと逃げようとして壁が倒れ動けなくなったんだろう。
私はお姉さんに駆け寄ると「起きて!」と頬を舐めた。
『お姉さん、エリカお姉さん!!』
私の必死の呼び掛けに白い手がピクリと動いた。うっすらとまぶたが開いて優しい茶の瞳が私をうつす。
「る、ルナちゃん?」
お姉さんは目を瞬かせ、再びうっとうめいた。
「ああ、そうか……。私、ここのお手伝いに来て、巻き込まれて……」
身体を押し潰されているからなんだろう。お姉さんの声がどんどん小さくなって来た。
「ルナちゃん、私はいいから、逃げて……」
『ダメ、絶対にダメ!!』
私は必死にお姉さんの袖を口で引っ張った。けれどもピクリとも動かない、動かせない。その間にもどんどん火が近づいてきて熱くなって来る。
やがて私がはぐれたことに気が付き、どうしたのかと探しに来たんだろう。アーベルさんが「ルナ!!」と叫ぶ声が聞こえた。
「ルナ、どこにいるんじゃ!! 早く来い!!」
『アーベルさぁぁぁん!!!』
私は泣きながらアーベルさんを呼んだ。
『助けて! ここにエリカお姉さんがいるの!! お願い!!!』
「何じゃと!?」
アーベルさんが壁の前で立ち止まる気配がする。けれどもすぐにそれは苦しそうな息に変わった。
「ルナ、ダメじゃ。間に合わん。このままではお前も火に巻き込まれてしまう……!!」
『そんな……!!』
私はそれでもエリカお姉さんのそばから離れなかった。
だってこんなに暗くて狭いところでひとりぼっちになるなんてだめ。絶対にだめなの。
「ルナちゃん、逃げて……」
『嫌だ……。嫌だ。嫌だよぅ』
火の手が迫って来たのか、熱気が私とお姉さんの頬を焼く。
「くっ……」
アーベルさんが後ずさる音が聞こえた。
「ルナ、早く来てくれ。このままでは、焼け死んでしまう……!!」
『嫌、いやだぁぁぁ!』
私はガレキとガレキの間に白く輝く、まん丸の真月と添え月を見上げた。
どうして私はこんなに小さいんだろう。もっと大きな身体があれば、長い手足があれば――そう、私が人間だったら……!
私はカッと目を見ひらいた。
お月様、お願い。どうかお願いです。私に力を貸してください。今この時だけでいいから……!
私が強く、強くそう願った次の瞬間だった。ぱちんと身体の奥で何かが弾けるような音がして、お月様と同じ金の光が胸からあふれ出してきた。
『……!?』
光はどんどん広がって、私を、エリカお姉さんを包み込んでいく。そしてそのまぶしい光の中で、私の身体はゆっくりとかたちを変えていった――。




