015.ずるくて優しい(2)
『クルト……!!』
私はクルトを起こさなければとベッドに駆け寄った。ところがクルトはもう身体を起こして杖を手に取っている。
『クルト、たいへん!』
足もとでみゃあみゃあ鳴く私にクルトは大きく頷いた。
「ワイバーンが来たんだな?」
ひらりとベッドから飛び降り、壁にかけたジャケットを手に取る。素早く身にまといマントを肩に留めると、最後にあの杖を手に取った。青空色の目に緊張と戦意が宿る。私はそんなクルトに必死に訴えた。
『とても大きなワイバーンなの。この宿屋の三倍はあって、ウロコが真っ赤だった。みんなが、フーゴのお店が燃えちゃう!!』
クルトは「わかった」と答えるが早いか、腕を伸ばしひょいと私を肩に乗せた。窓のさんに手をかけ「行くぞ」と呟く。
『うん……!!』
クルトと私の周りをふわりと光を含んだ風が包んだ。それだけではなくとっても気持ちがよくて温かい。えっと驚いた次の瞬間、クルトと私は風をクッションにして、外の道へと降り立っていた。
外ではもう様子を見に来た宿屋のお客さんや、通りにあるお店の人たちでひしめいている。空を羽ばたいていくワイバーンにみんな声を失っていた。
「な、なんだありゃあ。あんなワイバーン見たことねぇぞ……」
「あんなのA級アップの連中が束になったって無理だろうが」
「お、おい、あっちを焼いたらこっちにも来るんじゃねえか?」
みんなは真っ青になって一気に黙り込み立ち尽す。ところがその怖いほどの静けさを、馬が駆けて来る音がやぶった。ひづめが石畳を力強く蹴る響に大声が重なる。
「――でんれーい、でんれい、伝令! 市民、及び来訪者らに告ぐ!!」
馬が私たちの前でカッと足を踏み鳴らして停まった。ユニコーンに乗ったとってもカッコいい、短い髪の女戦士のお姉さんだった。両腕の腕章にはマーヤの紋章が縫い付けられている。お姉さんはみんなをざっと見渡すと、わかりやすいよう手を高く上げた。
「この界隈にあるB級以上の冒険者!! マーヤ市および市長より要請だ。マーヤ軍に加勢していただきたい!! 報酬は成果に問わず全員に五〇ゴールドを払う!!」
人込みから「五〇!?」と驚きの声があがった。すぐ後にこんなささやきも聞こえる。
「手ごわいからそれだけ出すんだろう。軍隊だって太刀打ちできないってことじゃないか。あんなワイバーンなんて俺たちには無理だ」
きっとマーヤに出稼ぎにきた冒険者の人たちなんだろう。いっぽう、クルトは何も言わずにお姉さんのでんれいを聞いている。
「無論強制ではないがワイバーン討伐のあかつきには、功労者には最低一〇〇〇ゴールドを約束する。志ある者は大聖堂前の広場へ行ってくれ!! 」
お姉さんは言うが早いかユニコーンのお腹を蹴って、勇ましいいななきが終わる前に風のようにその場から去った。冒険者のお客は呆気に取られていたけれども、やがて顔を見合わせ「どうする」と話し合っている。
「おい、一〇〇〇ってすげえじゃねえか」
「バカ。それだけ危険だってことだろ!?」
クルトはその間もお姉さんの消えた曲がり角をじっと見つめていた。やがて私を肩からおろすと片膝を付いて目を覗き込む。
「ルナ、俺はワイバーン討伐の加勢に行く。お前はマーヤの住民の避難を手伝ってくれ。明日の朝に城門の外で待ち合わせよう」
『……』
何となくそんなことを言われる気がしていた。
「今街のどこで火が燻っているのか、どの建物が爆発しそうなのか、人間にはどうしても区別が難しい。けれどもルナ――お前は夜目と鼻が効く――だからこれはお前にしかできない」
黙りながらも真っ直ぐにクルトを見上げる私に、クルトも目を逸らさずに語り掛ける。
「ルナ、頼んでもいいか?」
クルトはずるい。ずるくて優しい。ずるくて優しくて温かい。ほんとうに危険な場所にはいつも私を連れて行ってくれない。こんなふうに頼めば私が「いっしょがいい」言えないことを、思いを飲み込んでがまんすることを知っている。
私はクルトがどんな敵にも負けないと信じている。それでもできればクルトと一緒に行きたい。私はその思いをぐっとこらえて、「わかった」とこくりとうなずいた。だってクルトを困らせたくはない。
「……よし。ほんとうに危険になったら、真っ先に逃げるんだぞ。これだけは約束してくれ」
クルトはほほ笑みながらも私の頭を撫でた。
「終わったらまたあの蒸し魔マスだ。今度は丸ごと一匹食べていい」
音もなく立ち上がり杖をとんと地面につく。そして再び金の風がクルトを包み、その身体を宙に舞い上げみんなを驚かせた。
「と、飛んだ!?」
けれどもすぐに再び顔を見合わせる。
「ありゃあ風の魔術の応用だろうよ。そ、それよりこれからどうする。逃げないと丸焼きにされるかもしれないぞ」
「そうだ、自警団の連中はどうした? 近くに詰め所があったはずだろう?」
「そ、それがよお、さっき見て来たけどもぬけの殻でよ……」
「なっ……」
不安と動揺がざわめきとなってまたたく間に広がっていく。
「逃げやがったのか!?」
「い、いや、討伐の応援に行ったってことも……」
「あいつらがいなければ、避難経路も分からないだろ!? 何てやつらだ!!」
――たいへん。
私は揉め始めた男の人たちの足もとに駆け寄った。人間は一度「りせい」をなくすと、危険を察知して回避するための、「ほんのう」も働かなくなるんだと、いつかクルトから教えられた。そこが私たち魔物や動物とは大きく違っていて、だから人間は知能と魔術なしでは最弱の種族なんだって。そんな時にはまず「りせい」を取り戻すために、落ち着かせることが大切なんだって。
『聞いて!! お願い、聞いて!!』
けれどもみんな興奮しているのか私の声は心に届かないみたいだ。どうしよう、どうしたらいいんだろうとその場に立ち尽してしまう。ところがそんな私をクルトではない別の誰かがひょいと抱き上げた。
「み、みゃあっ!?」
「ルナちゃん」と手の主が私の名前を呼んだ。この声は――。
『おかみさん!!』
そう、宿屋のおかみさんだった。
おかみさんは私を抱えたままずいと前に進み出ると、「静かにおし!!」と大声で一喝し、一瞬でみんなを黙らせてしまった。
「どいつもこいつも大の大人が震え上がって情けない。こんな時にいない連中に文句を言っても何にもならないだろう!? おまけに猫の子一匹すら気に掛けられないのかい。こうなったら全員アタシの後についておいで。大通りならきっとまだ通り抜けられ――」
『おかみさん!!』
私はおかみさんの胸にすがりついた。
『大通りは使えない。火が燃え広がっている』
「えっ、ルナちゃんはそんなことがわかるのかい」
『うん、さっき見たし鼻でもわかるの。遠くだけど木の燃えるにおいがする。第二通りもきっと燃えていると思う』
「……」
おばさんは「そうかい」ときっと顔を上げた。
「どこがまだ無事なのかもわかるかい?」
『うん、わかる、ぜんぶわかる。西通りはだいじょうぶ。そこから城門に抜けられるよ!』
「だったらさっそくみんなを誘導しよう」




