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第一章 『雷獣』(2)

「あぶないっ!」


 落ちるのかと思った。でもその予想ははずれてくれた。

 ふたりは海面上を浮き、つっぱしっている。

 そういえば飛びこむ前、ふたりともブーツに細工していた。ならば、重力を無視して海面上でも自由に動きまわれる『ジェットブーツ』なるものだろうか。見た目の印象どおりに名をつけるとするならば。


 少年は甲板に身を乗りだし、ふたりの動向を目で追う。彼らが向かう先は、アメーバのように形を変えながら邪気をまきちらしている巨大なかたまりだった。

「何だ、あれは……」

 身体中に戦慄が走る。その形相は強烈で、一度目に焼きついたら夢にまでついてきそうなくらいすさまじかった。

 妖怪のようにも見えるが、少年はひとつの結論が浮かんだ。


「ヘル・ストーム……?」


 ヘル・ストーム。

 熱雷を帯びるにわか雨で、何のまえぶれもなく現れる。巻きこまれたらまず命はあきらめなければならない。

 雨は降っていないが、以前映像で見たのとよくにている。

 ヘル・ストームっぽい邪気のかたまりは、この囚人船を目がけてまっすぐに進んでいた。

「何が、いったいどうなっているんだ?」

 目を大きく見ひらく少年は、突風で乱れとぶ赤毛を払わないまま、この奇怪な状況に見はいっていた。



 コードルと藍は、囚人船の前方約百メートルくらい先の海上で、たえず変化し続けている巨大な黒影と対峙していた。

 オオン、オオォンと、不協和音のように音程の底を探すようにおののき続けているどすぐろいかたまりは、あきらかにこの世のものではなかった。今は顔っぽい形に変幻し、かぼちゃの化け物にも見えた。

 均衡状態を保っていた両陣営だったか、ついに黒いかたまりが大きくゆらめき、攻撃をしかけた。


「うわぁ、来たああぁああぁぁぁっ!」


 大声を出したあと、少年はじりじりとしだしたのどを押さえた。

 分裂し、ほうぼうから攻撃してくる邪気の権化を、だがコードルは正面から、まうしろからも隙を見せずに中腰の体勢で、激昂を叫ぶとともに青白い炎のようなものを解きはなった。

 いっぽう、藍はえらそうに腕を組み、悠然とかまえている。戦う気はないのか。


 あれは――『気功波(オーラ)』というものではないだろうか。


 少年は、ひんぱんにつばを飲んでいた。



 一瞬ひるんだ邪影だったが、すぐにもとの大きさ以上にふくれあがり、再び藍とコードルに襲いかかった。

「おらおらおらおらおらあぁぁっ!」

 いきおいを増して突進していき、拳をふるってなぎはらっていくコードルと、指揮棒をふるような軽いしぐさだけで難なく撃退していく藍。対照的な対処法だったが、優位にたっていることに変わりなかった。

「ら、藍……」

 荒息の間に、コードルは海面上すれすれの位置で、優雅にたたずんだままの藍にへたれかけた声をとぎれとぎれ投げかけた。

「何だ?」

「何だじゃねーっ! これじゃキリねーよ! おい、いかげんに『はれ』!」

「フン、何をだ?」

「てんめぇぇっ!」

「それに、その命令形は何様のつもりだ? 人にものを頼む態度ではないな。今まで、ほとんどお前ひとりで退治してきたではないか。なら、限界までひとりで戦え。甘えるな」

「おい、マジでお前に一発食らわせるぞ? マジでだぞ?」

「あいにくだが、むだな体力は使いたくない主義をとおしている。求められているのは結果だ、経過ではない。これは艦長の言葉だ。よって、しばらくは様子を見る」

 コードルの攻撃で黒いかたまりのいきおいは弱まっていくが、相手が巨大すぎるためにきりがない。

 やがてかぼちゃのおばけだったものが大きな黒炎と化し、おもにコードルを目がけて焦点を合わせた。

「やべぇええぇぇっ!」

 叫ぶだけ余裕があった。黒炎から放たれた大きな黒い弾、コードルは真冬の海へもぐり、紙一重でさけた。

 攻撃をはずされた黒炎は、今度は獣のような形に変幻し、ふたつにわかれた。一方はひょうひょうとたたずむ藍に、そしてもう一方は海中に身を沈めているコードルにむかって行った。

「ぐげええぇぇぇ?」

「愚か者め、さっさと始末しないから面倒なことになるのだ……!」

 藍の瞳が銀色に変わり、凄烈な一閃がとどろいた。そして、顔前で両手を交差させ、ゆっくりと呼吸をため始めた。

 遠目でも瞳の色彩変化がはっきりとわかった少年は、大きく身ぶるいした。


「『棕櫚鳳来(しゅろ・ほうらい)


 凛然とした、響きのいい声が闇空へ抜けた。

 淡くかがやく紫色の光が渦まき、大きな長方形を作ってく。その広がりようは、まるで風船をふくらませるかのように等間隔だ。それは、少年のいる囚人船も丸ごと飲みこまれ、またたく間に空の色は、目がとろんとするような紫がかった白色に変わった。長方形の各頂点は特に色濃かった。

 巨大な黒炎は、威力をそがれたのを見とって、藍は群青色の髪をさらりとかき上げた。


「藍、お前ってヤツはぁぁ……」


 零下に近い水温の海へ飛びこんだコードルは、わなわなと全身が震えだした。

 黒炎はみるみるうちに小さくなり、まるで踏みつぶされた虫のように弱りはてていた。音調(トーン)をはずしまくっていたうめき声のようなものも、ほとんど聞こえなくなっている。

 黒炎は形を変えながら、船の進行方向へと引いた。

「何だ、その目は。助けてもらっておいて、助けがいのないヤツというのは、まさしく貴様のことだな」

 役人のような高慢な態度に、コードルは拳をにぎりしめおたけびを上げた。両腕の血管は浮きだし、巨体を海中からひっぱりだした。

「フン、やっと上がってきたか」

「ふっざけんな! お前の法画陣(ほうがじん)がねーと、オレはくたびれ損じゃねーかよ! いっつもそうだ! ぎりぎりにならねーと出してこねぇ! そんでいいとこどりだ。とことん性格悪いぞっ!」

「貴様がいつも勝手に先陣を切っているではないか。自分のペースを乱されたくはない」

「とーぜんだろ! 先手必勝は、オレのポリシーだっ」

「結果的に出せばいい、自分はそう思っている。それと、不必要にこの『真臘力(しんろうりょく)』を使いたくはない。この力を使うと、とにかく疲れるからな。いざという時に使えないと、貴様が一番困るのではないのか?」

「く、く、く、くぅぅ〜! 今のオレを見てみろよ! この制服、まだ二、三回しか着てねーんだぞ? ぼろきれの方がきれいじゃねーか! 髪も、ぼっさぼさになっちまったしどーしてくれるんだよっ!」

「よかったではないか。髪の量が多く見えるぞ」

「い、言ったな〜! 何でおれが、髪の量気にしてんの知ってんだよっ」

 コードルは腹の底から声を出しながら、青白い気を豪快に放ち、藍のところまで飛びこんだ。そして、右手の中指を小きざみにふるわせながら立てた。だが藍は嫌味なほど華麗なながし目を向け、冷たい美貌でせせら笑う。

「お、お前はいっつもそーだ! むだな肉体労働ばっかしさせやがって!」

「わずらわしい。好きこのんでやっているくせに」

 コードルの小麦色をした肌び青すじが立った。

「うっせえっ! 同じ社員だろ、任務に私情を持ちこむんじゃねぇよっ! 助けあうのが筋っってもんだろーがっ」


「今、社員て言ったよね?」


 少年は大きくまばたいた。しかし、すぐにわき目に映る一景に気が移る。

 去っていったはずの黒炎は領域の外へ出て、再び威力をかき集めている。一番はじめに見た時の倍はあった。

「あーあ。言いあってる場合じゃないのにさ。それにしても、あのふたりは誰かに雇われてるってことになるよね。なるほど、そりが合わないふたりは、パートナーなんかじゃなかったってわけか」

 のんきにうなずく少年は、逃げるのを忘れていた。甲板の柵をまたぎ、そこに腰を据えて見はいっている。

 

「私怨を押しころして任務をこなすのが役目なはずだ! 社員手帳にも書いてあるだろ!」

「フン、わずらわしい。それは、結果が出せれば関係のない話だ。筋肉単細胞のくせに、理屈を言うな」

「な、ななな、なんだと〜!」

 コードルは、息がかかる距離まで藍に近づき、胸ぐらをつかんだ。しかし、コードルは急に海上へぐしゃりとへたりこんだ。

 藍は鼻を鳴らした。可憐な容姿にとそぐわない、俗めいた顔つきになった。

「忘れたのか? ここは自分のテリトリーだ。自分に敵意を向ける者は、あの黒炎のように力をそがれてしまう。今の貴様は、アリと同等のレベルだ」

「く、くそう……」

「それよりコードル、敵はテリトリー外に出たがいいのか?」

「な、なにぃぃ?」

 他人事のように淡々と指摘され、コードルは腰をひねりながら全身でふりかえった。すると、黒炎はテリトリー外に出ていて、最初の状態よりも大きくふくらんでいる。

「テリトリーに入ると、自分に歯むかう者は『制裁』を受ける。しかし、その時の真臘力は法画陣に注がれているため、今の戦闘力は通常時よりはるかに下がってしまうのだ」

「いちいち説明しなくてもわかってらあ」

「頭の弱い貴様のために言ってやったのだ。また、向かってくるぞ」

「――くっそう!」

 なるほど、と少年は思った。

 藍は敵の威力を押さえ、コードルは持ち前の豪力で撃退する。ふたり合わせれば最強に近い。使役主は、まったくそりが合わなくてもペアを組ませたのだろう。

 コードルは目線を走らせた。そして、少年も。

 まるでブラックホールのように、ちりや空気を飲みこみながら増大していく。いくら藍の法画陣があっても、それをけやぶるくらいのいきおいがある。

「でもよ、藍の法画陣は絶対だ。お前の体力がおとろえねーかぎり大丈夫だ。ふははははぁぁ、余裕だぜっ!」

「そうだな、大丈夫だろう。この、自分の法画じん、が……あるか、――くっ!」

「どーした藍? なにハラおさえてんだ?」

 法画陣を包む紫色の光が、あからさまに弱まった。

「おい、おい? へたな演技はやめろよ。笑えねーぞ? 術者のお前がダメージ食らったら、この法画陣の力も弱くなることくらい、オレでも知ってんぞ?」

 だが藍は言葉を返さなかった。

 ただ腹をおさえ、こってりとした汗が顔中に吹きでている。

「ハラがいてーのか? はははお笑いだな、変なもんでも食ったんじゃねーかああああぁぁぁ?」

 右ひざから落ち、藍は浅い呼吸を保ちつつ肩を上げ下げしている。

 コードルは闇がにじんでくる長方形の角を、口笛を吹きながら眺めまわした。この不自然な様子を見て、藍はコードルの背後からまわり、彼の胸ぐらをつかみ上げた。

「き、貴様、まさか……この自分に何かしたな? いったい何をした? 吐け!」

「い、いや、べっつにぃ〜? 朝めしン時に渡した茶の中に『ワラワラ』なんて入れてねーからな?」

「わ、わらワラだろとぉぉ? き、貴様というヤツはぁぁぁ!」

「ハハハ、そうわらわらすんなよ。あ、わなわなの言いまちがいデシタ。てへっ」

 しめ上げる力がいっそう強くなる。返ってくるのは、かえるを押しつぶしたようなコードルの『鳴き声』だ。


 一連のやりとりを聞いて、少年は口を押さえた。

「ワラワラだって。こりゃまた災難だったねー」

 ワラワラ。

 今から約三百年前、エジプトで製造された下剤入りのミネラルウォーターである。

 煮沸しようがしまいが、飲めば有無を言わせず下痢になる代物だ。パーティなどのサプライズ用に、出まわっているらしい。

 二十四世紀の人間は昔よりさらに弱まっているから、コードルのような野生動物ならまだしも、見るからにデリケートそうな藍がぶじでいられることなど、到底むりな話だ。


「お、お前が悪いんだぞ。なんでもっと早く下痢になんねーんだよ? オレは、てっきりバッタ物だったとばかり思って」

「自分のせいにするなぁぁぁ! じ、じぶんは、貴様などとちがってデりけェと……ぅぅ」

 言いきることもできず、藍は海上に両手をついた。汗が滝のように落ちていく。

「藍? だ、大丈夫じゃねーよなァ?」

「あ、ぁたりま……ぇ」

 浅い呼吸をする音が目だつ。

 コードルは藍につめよるが、払いのけられてしまった。


「藍、これを飲めっ」

「こ、こ、これ、は?」

 コードルのごっつい手から差しだされたのは、こげ茶色をした楕円形の錠剤だった。

「正露丸だ! しっかもウルトラ・メガトン・ハイパー・デラックスレベルだぁぁぁ〜のみゃあソッコー回復すんぞ! ちったら臭いが、その分きき目はハンパじゃねぇ!」

「こ、こんな臭いものを飲めというのか?」

「ああ、そーだ! さあ、早くしやがれっ」

「き、きさまの鼻はいかれているのか! この臭さ、ハンパではな……、ぃ……」

 首がかくん、と折れ、藍は白目を向きかけた。その隙をつき、コードルは口もとに笑みを浮かばせながら正露丸を藍の口へ放りこんだ。

「ぐ、ぐがががふぁぁああぁ……!」

 のど元を押さえ、舌を突きだした藍は、ひっくりかえった。さらに横臥したまま背中を丸め、鼓動が鳴るたびに大きくけいれんしている。

「ふう、これでひと安心だな。ったく、世話かけさせやがって」

 コードルは額の汗を手の甲でぬぐった。

「何やってるんだろ、あのふたり。漫才でもしているのかなあ、こんな時に」

 コードルに食らいつく藍の様子を見て、少年はぽつりと言った。



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