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第一章 『雷獣』(1)


 空を、見たかった。

 ただ、それだけを思って進んだ。


 月影の降る海面は、どこまでも平坦で、きれいな真一文字になっている。

 そして、耳がキーンと鳴るくらいに静かだ。時の経過を忘れさせてくれる一景である。

 凛とはった空気、無数に散らばるまばゆい星のかけら。ここ四百年で汚染が続いていると言われていても、まだ地球は生きている。

 以前、映像で見たことがある。何百年も前に絶滅してしまった『イルカ』という哺乳類は、淡い月の光を浴びたいために全力で飛びはねていたらしい。

 甲板の柵に寄りかかり、ひたすら無にひたる少年が、はかなげに影を作っている。その彼の背後に、大きな人影と異様な気配が、不意に現れた。


「ボウズ、こんなとこで何していやがるんだ?」


 若く、はりのある声が、少年の耳をかすめた。野蛮で奔放な口ぶりが育ちのほどをうかがわせるが、邪気はない。

 月明かりですけている緋色の髪を潮風に遊ばせ、少年は無言のままやりすごした。

「無視すんじゃねーよ。お前、自分の立場わかってんのか? そーいうわけで、答える

義務はある。命令に従え。さもねぇと――」

 安っぽいおどし文句を高圧的にくりだすが、返事はない。

 大きな人影が、少年の肩に手が届く距離でとまった。

「もう一度訊く。こんなとこで何してやがるんだ? それに、どうやってここまで出てきた? 牢やぶりは不可能なはずだぜ。誰かの手引きがあったんだろ、ちがうか?」

 おだやかなさざ波の合間に、軽い舌打ちが加えられた。もちろん、この野蛮な人影は見のがさなかった。

「空を、見たかったんだ。それと海もね。ただ、それだけだよ」

「はァァ? 空と海ィィ? んなもん、むこうに着いたらいっくらでも見られんだろーが」

「今じゃないとダメなんだ。そう、今じゃないと」

 見た目よりおさない声だった。感情の起伏がない分、大人びているふうでもない。

 頭もてっぺんが、立ちふさがる男の胸板にも満たない少年の身なりは、うす汚れたそまつな麻服だった。

 男はそのままの態度で続けた。


「囚人番号を言え」


 そして、大きく一歩踏みこむ。

「まだ質問に答えてねーよ。もう一度訊く。どうやってあの囚人牢から出てきやがった?」

愛想ひとつない野蛮な口ぶりが、さらにひどくなった。

 だが、少年は答えなかった。怖いもの知らずなのか、それとも度胸があるのか。


「こんなところで何油を打っている、コードル?」


 低く無愛想な声を、コードルと呼ばれた男はふりかえる。そこには、彫刻のように目鼻筋が整った華奢な男がたたずんでいた。まっすぐな群青色の髪をうしろでゆるく結び、結びきれなかった髪がばらけて青くすんだ瞳のかがやきをさまたげていた。おろせば、肩甲骨までかかるくらいの長さか。

「あー、らん! 聞いてくれよ、このガキが脱獄したんだ。んで、堂々と開きなおっていやがんの。どうよそれって?」

「脱走、だと?」

 おだやかではない言葉を聞き、藍はとっさに身がまえた。すさまじい殺気だ。隙という隙は、まったくなかった。

 コードルの目線につむじがくる藍は、身長はほぼ同じだが横幅がまったくちがう。コードルは筋骨隆々、一方の藍は女性のように線が細い。男か女かわからないといった、中世的な雰囲気がある。

 ふたりは、同じ服を着ていた。黒い上衣とカーゴパンツといった。きわめて質素なよそおいだった。けれど、シャープなデザインでかっこいい。カーゴパンツの上に黒いロングブーツを履き、機動性を第一に考えている。見るからに動きやすそうだ。

「逃げないよ」

「ああァ? 何だとォォ?」

 ふたりとも一瞬緊張がゆるむが、すぐに軽快なバックステップをして間合いを取り、険しい顔つきになった。油断させるために、わざとそう言ったと思ったのだろうか。

 少年は半身だけふりかえり、フッと吹きだした。

「逃げるっていっても、ここは太平洋のどまんなかじゃない。海に飛びこんでサメのえさになるのが関の山だよ。だったら、このままおとなしく護送されていた方がはるかにかしこい選択だ」

「ハン、あいにくそう思わねぇ輩がいんだよ。だからオレたちがいるのさ。このまま『そこ』へ連れていかれたら、どんな目に遭うのかわかったもんじゃねーからな。だから海へ飛びこみ、捨て身の戦法を取って逃げだすバァーカもいる。ま、そんなヤツはまれだけどよ。せいぜい人食いザメのえじきになるのが、目に見えてんな」

 なぁ、そーだよな、とコードルから同意を求める目配せをされ、藍は大きく一回舌うちをした。

「愚かな。しかも今、通過している海域は――」

「藍、どした?」

 藍は闇夜の中でもさんさんと青く光る瞳を、右へ左へと何度を往復させた。すると、青白いかげろうのような濃い光暈がブーツを包みこんだ。

「何だ、あれは」

 少年は右目を怪訝に細めた。

 何かが起こる、と直感した。ふたりの足もとから起こる風圧をもろに受け、足を踏んばった。

 あれほどおだやかだった大海原は、そこにはなかった。消されたというか、どこか別の海へワープしたというか。積乱雲のようなぶあつい雲が、ごうごうと低くうなりながら水平線近くに不穏な一角を作っている。その色は、すべてをぬりつぶす闇色のさらに上をいくどす黒さだった。いっさいの光沢を受けつけないたどんよりもはるかに黒い。

 そのかたまりは、動いていた。ごわごわとうごめいている。風にあおられているのではない。意思を持ってうごめいているようだった。

こちらを目がけて近づいてきた。しかも、確実に。


「ほら、ボウズ、受けとれーっ!」

「……っ?」

 呼吸を整え、戦闘態勢に入るコードルから何かが投げられた。

 だが、少年は受けとらなかった。視線で追うことすらしなかった。

 雷雲のようにどよめく不吉な音が、まわりの空気を従えながら大きくなっていく。

 投げられた物体は、寄せ木のはざまに入り完全にとまった。歯のように平らな山吹色の物体、それはとうもろこしの粒だった。

「とりあえずとれ食べとけ。あとはオレたちにまかせろっ! いいな、ぜぇったいに食べとけよ、わかったな?」

 言いきかすようにていねいな口調で叫んだコードルも、手のひらサイズのきんちゃく袋から何かを取りだし、口の中へ放りなげていた。きっと、とうもろこしの粒だ。

「食べとけよー、魔よけみてーなもんだからさ〜」

 念を押すように言われたが、少年は反応しなかった。見ずしらずの輩からいきなり言われて、は、そうですか、と素直に聞く方がばかげている。

 ち、とあからさまに舌うちをするコードルの様子が数メートル離れていても、少年にはうかがえたが、さらりとやりすごした。


「おい藍、お前も食えや」

「いらん、そんなものに頼る必要はない」

「ちぇー、お前の自信過剰には毎度毎度うんざりするぜ。そのうち、いつか痛い目みんぞ?」

 左どなりで闘気を放つ藍が、コードルが差しだした左手を払った。ふれていないのにとうもろこしの粒がふっ飛び、床へ転がっていった。

 好意を拒まれ、コードルの表情があからさまに険しくなる。

「ハン、わかったよ、わかったよ! お前はそーゆーヤツだ。……いつかその、天狗の鼻をへし折ってやる」

「フン、いつでもかかってこい。ただし、今は『あれ』を抹殺することが先決だ」

「わかってるぜ! いくぜ藍! 一気にたたきつぶしてやるっ!」

「わずらわしい。自分に指図するな」

「けっ、しゃらくせぇ!」

 コードルが豪快に言いはなったのを合図にして、ふたりはほぼ同時に寄せ木の床をけり飛ばし、少年の視界から消えた。


「あぶないっ!」


 落ちるのかと思った。でもその予想ははずれてくれた。

 ふたりは海面上を浮き、つっぱしっている。

 そういえば飛びこむ前、ふたりともブーツに細工していた。ならば、重力を無視して海面上でも自由に動きまわれる『ジェットブーツ』なるものだろうか。見た目の印象どおりに名をつけるとするならば。


 少年は甲板に身を乗りだし、ふたりの動向を目で追う。彼らが向かう先は、アメーバのように形を変えながら邪気をまきちらしている巨大なかたまりだった。

「何だ、あれは……」

 身体中に戦慄が走る。その形相は強烈で、一度目に焼きついたら夢にまでついてきそうなくらいすさまじかった。

 妖怪のようにも見えるが、少年はひとつの結論が浮かんだ。


「ヘル・ストーム……?」


 ヘル・ストーム。

 熱雷を帯びるにわか雨で、何のまえぶれもなく現れる。巻きこまれたらまず命はあきらめなければならない。

 雨は降っていないが、以前映像で見たのとよくにている。

 ヘル・ストームっぽい邪気のかたまりは、この囚人船を目がけてまっすぐに進んでいた。

「何が、いったいどうなっているんだ?」

 目を大きく見ひらく少年は、突風で乱れとぶ赤毛を払わないまま、この奇怪な状況に見はいっていた。




 はじめまして。無謀にも、長編を書き始めました。

 初投稿なので右も左も分からない状態ですが、よろしくお願いします。

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