1st Stage.(2)説明会
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一礼したHAR-160はゆっくりと上体を起こすと、柔らかく微笑む。ロボットなのに黒髪おかっぱに黒目の和風美人で着物姿と妙に古風な外見なのはきっと、製作者の拘りであろう。ちなみに脱ぐと凄いらしい。球体関節的な意味で。
『え~、余談ですが使用されているCPUは科学の粋を集めて造られたZ80処理装置の二個並列で、スパコンもびっくりの性能なんですよ~』
「Z80か……それはまた随分昭和だねぇ……」
関心半分、呆れ半分で島津が呟く。隣の山路が良く判っていない顔をしていたので「大体昔のゲーム機と同じぐらいの処理能力だ」と補足してやる。
どうでもいい話だが、HAR-160の“160”という数字には、Z80が二個分という意味合いがある。
『お話を戻しまして、順番に状況を申し上げます~。まず、この世界はゲームの中ではなく、現実なんですよ~』
HARの言葉に会場がざわめく。定番の一つである“ゲーム世界の中に集団転移してしまう事案”かと思っていた人が多かったのだろうか。
『現実とは言いましても、皆様の住まわれていた日本とは別の時間軸、言うなれば並行世界の日本でございます~。それで、こちらの日本は今、かつてない危機に追い込まれていまして、もうアジャジャーにしてパーって感じですよ~』
若者には判らない擬音を駆使しつつ力説する。そんな感じで彼女が語る日本の危機の内容は概ね島津達の予想通りで、ゲーム“STO”の舞台設定に酷似していた。
まず昭和90年、つまり西暦2015年、宇宙から謎の勢力が降りてきて東京を攻撃した。言葉は通じず意思疎通もできず生物とも無生物とも知れないそれら暴虐なる敵達を、人は“侵略者”と呼ぶことにする。
何故奴らがまず東京を狙ったか理由は諸説あるが、「人口密度が高くて食料的な意味で美味しそうだったのでは」という意見が有力らしい。
日本側も当然“侵略者”に対抗しようとしたが、自衛隊や米軍の出動には国会の承認が必要なため議会内の手続きで難航中で、現場の警察と消防隊とが協力して敵の侵攻を食い止めつつ住民の避難を進めるしかなく、攻撃手段に乏しいため少しずつ敵の支配域が広がっているのが現状だ。
国会や政府の機能は現在京都に一時的に移っている。
そんな中、科学技術庁はまず今後の反撃作戦の要となる人工頭脳HAR-160を開発。それからは彼女が中心になり、生身で侵略者に対抗可能な生体兵器を秘密裏に製作することとなった。それが昭和91年の今にあたる。
『そうやって創り出されました“強化人間”が、ここでの皆様の身体になる訳ですが、実は困った問題が発覚しまして~。人工的に作られた強化人間には中身、言い換えると心とか魂とか意識とか呼ばれる内面部分が存在しないのです~』
科学の限界か生命の神秘か、いずれにしても人工生命を真に生命として動かす次の手段が必要になってくる。
『ですが、人工知能だと処理に限界がありますし生身の肉体との相性も良くないですから~、幾つかの並行世界の日本政府と政府間協議を行いまして、皆様の意識とお時間を少しお貸し頂くこととなりました~』
その目的で島津達の時空の日本にVRMMOの“STO”を開設し、ある程度参加人数が集まったところで今回の計画を発動させ、VR装置を通じて皆の意識をこちら側に引き寄せたとのことだ。昭和の割に随分とハイテクである。
尚、幾つかの並行日本の中から島津達の日本が選ばれた理由は、時空的な距離が近くて呼び易かったのと、比較的平和なため人的リソースに余裕があったからとのことだった。
『そんな訳で、どうか、どうか私達の日本を救うためにご助力頂けませんか~』
そこまで言い終わるともう一度お辞儀をする。島津としてもある程度予想できていた話ではあるが、呑み込むのに少し時間がかかりそうだ。
『まだお話の続きはありますが、ここまでで何かご質問等はございますでしょうか~?』
HARがそう切り出すと、会場から何人かの手が上がった。マイクがHARの持っている一本しかないため、彼女が壇上から降りて群衆の中を歩き回って対応する。
「えっと、俺達は元の日本に帰れるんですか?」
『はい。その点はお約束いたします~。それと、皆様の意識がこちらに来ている間、あちらの日本では無意識状態になりますが、あちらの日本政府にケアをお願いしておりますのでお留守の心配もご不要です~』
要は、点滴等での栄養管理や職場の公休扱いや家族のお弁当作り等、生活上のサポートを一通り賄ってくれるということらしい。
並行世界間でやりとりする政府間協議がどういうものか少し気になったが、ゲーム“STO”を時空を越えて展開する技術力の持ち主なので、きっとそういう昭和の科学の粋を集めたスゴ技があるのだろう。
『それから、皆様をこちらにお迎えするタイムリミットは1ヶ月を予定しています~。意識の無い身体は栄養状態を管理していてもやはり少しずつ衰弱しますし、それに皆様の日本と私達の日本との時空間距離が少しずつ離れておりまして~。第一希望としては皆様のお力で侵略者を全滅して頂ければ万々歳ではございますが、一ヶ月間戦線を維持して下さるだけでも議会が時間を稼げますから、戦果に関わらず皆様を元の日本へとお帰しいたします~』
無事に戻れると聞きあちこちから安堵の吐息が漏れる。この手の物語のパターンだと片道切符で二度と戻れないとか敵を全滅させるまで戻してやらないとかそういう展開が多いものだが、そこはやはり日本同士だからか意外と配慮がなされているようだ。
『では次の方、どうぞ~』
「はい。私達の身体は強化されてるとのことですが、ゲームの時と同じように侵略者相手に戦えるのですか?」
『その通りです~。ゲーム“STO”は強化人間と侵略者の身体性能をほぼ反映していますので、ゲーム版がまるっと実戦のためのチュートリアルという位置づけになります~。ご安心して戦って下さい~』
「あと、ゲームの時に未実装のボスが居たようですが……」
『申し訳ございません~。そちらは解析が進んでおらずにデータ化できなかったのです~。それと、他のボス……正式には“七つの苦難”につきましても現実では倒した事例がございませんので耐久値とかは推測になってます。戦う場合は重々ご注意願います~』
“七つの苦難”――これはゲーム名“Seven=Torment Online”の元となった、侵略者達のボスに該当する強敵のことを指す。
台東区、アメ横商店街を占拠した巨大な四足獣グラトニー。
中央区、銀座中心部にある宝飾店の時計台に陣取る冷酷な女王蜂サスピシャス。
港区、東京タワーの展望台に佇む凶暴な魔竜レイジ。
渋谷駅前と新宿駅地下で待ち構える人間に酷似した姿の死神兄妹スパイトとマリス。
墨田区、両国国技館上空を泳ぐように飛行する怪魚テラー。
そして、文京区、後楽園球場に居る暗黒の巨人アロガント。これが7体の中でも一際強力で、侵略者の実質的ラスボスと言える存在である。あまりに強すぎてまともな交戦データが取れないため、ゲームでは未実装であったボスキャラだ。
この7体が、ゲーム中でも特にプレイヤーを苦しめる障害として君臨していたのである。
コミュニケーション不可能なのに何故か名前が判るのは昔の怪獣映画のお約束みたいなものなので気にしてはいけない。
そこまで説明を受け、島津は「なるほどね」と小さく呟く。“STO”が流行ジャンルのRPGではなくあえてアクションゲームで提供されていることは過去何度も議論のネタになってきた話だがここにきてようやくその理由に思い至った訳だ。
つまりは現実をベースにしているためレベルだのHPだのステータスだの経験値だので簡略化して管理することが事実上不可能なのでRPG要素を排除しなければならなかった、ということだろう。
……実は他にも重要な理由があったりするのだがその内容が判明するのはまた後日の話である。
『それでは次の方~』
「はい! ハルさんの今日の下着の色は!?」
『今日は赤の腰巻ですよ~』
「いよっしゃあ! 滾ってきたーー!」
「……島津さん、今の声……」
「……言うな。他人のフリするぞ」
どうもパーティメンバーの一人っぽい人物の声が聞こえたので思わず頭を抱える山路と島津であった。
『お次の方、どうぞ~』
「あの、もしこの世界で死んだら、やっぱり元の世界のあたしも死んじゃうんでしょうか……?」
『それは私にも判りません~。何しろ前例の無いこと尽くしですので、もしかするとショックで意識が元の世界の方に帰って行く可能性もありますけど、確定情報じゃありませんので皆様なるべく死なないようにお願いします~』
死に戻りとか残機が1減ってコンティニューとか、そんなゲームのように虫の良い話は無いらしい。
ただそうすると、皆がリスク回避に走りだすのは目に見えている。気になった島津はすっと手を挙げて聞いてみることにした。