3rd Stage.(2)釘屋エリザベート
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若木文部大臣の訪問を受けたその日の夜。それからの戦闘任務で消費した弾薬や医薬品の補充申請書をHARの執務室に提出してきた帰りの島津は、偶然その光景に出くわした。
「もうムカツクっ! ネカマ風情が女子トイレに入って来るんじゃないわよっ! 信じられないわ!」
「ひっ! ご、ごめんなさい……!」
見ると、女子トイレの前、2人の少女が言い争い――と言うには些か一方的なやり取りをしているようだ。
責め立ててる側は、輝く明るい金髪にサファイアのような青い瞳をしたフランス人形を思わせる美少女で、アニメに出てきそうなピンク色のフリルたっぷりな制服を身に纏い、腰に片手を当てもう片側の手で髪をかき上げたお嬢様ポーズで相手を威嚇している。ただ昭和なので眉は太い。
もう一人の少女は、赤毛を肩の下辺りまで伸ばした小柄な子で、ボレロと呼ばれる丈の短いジャケットに白いブラウスとスカート、そして黒タイツといった清楚な感じの装いをしており、怯えた目で身をすくませて金髪の少女を見上げていた。
胸は慎ましやかで、いわゆる妖怪ブラいらずの仲間だ。
昔の少女漫画でありがちな、学園の女王様が庶民出身のヒロインをいびるシーンに近い物を感じる。
「どうしたどうした。また新人いびりしてるのか? 釘屋」
「げっ……島津さん」
島津が声をかけると、金髪の少女が凄く嫌そうな顔で振り向く。
彼女はキャラ名が釘屋エリザベート、パーティ『姫様のお茶会』のオペレーターである。『姫様のお茶会』はSTO内でも一二を争う戦闘力を持つと評される有名パーティで、プレイヤー間の評価では島津の居る『東京防衛戦』とトップを争う程だと噂されている。
そして釘屋の卓絶した美貌と美声とトーク能力はファンが多く、オペレーターの鑑として周囲から高い評価を得ていた。
そういった実力的に近いパーティのオペレーター同士ということもあり、島津と釘屋は顔見知りということだ。
尚、ゲーム時代のSTOではオペレーターはどちらかと言うとウグイス嬢に近い扱いで、ゲームが苦手な女性プレイヤーが活躍の場を得るための避難場所的なポジションという側面が強かった。
VRの特性上、身体を動かすことが苦手だと前線で戦うのも難しく、ましてSTOは経験値を溜めると自動で強くなるようなRPGタイプのゲームではなく純然たるアクションゲームだから前線での男性プレイヤーの優位が特に顕著と言えたのだ。
それ故に、ゲームの世界観や雰囲気を楽しみたいという女性プレイヤーはオペレーターの道に進み、パーティ内の癒しや賑やかしを担当するケースが多いのである。
島津みたいに作戦の立案や戦闘時の指示を行う者はごく小数で、大多数のオペレーターは動画配信サイトで見られるようないわゆる『実況プレイ』に毛が生えたぐらいのプレイスタイルであるが、それでも前線で戦う男性プレイヤーの士気は確実に上がるため、需要の高い職種である。
まあ部活で言うと女子マネージャみたいなものだろうか。
それはさておき、島津の方に向き直った釘屋は、甘く甲高いアニメ声を釘のように尖らせて叩き付けてきた。
「またって何よ! わたしはそんなことしないわよ! コイツがネカマの癖に女子トイレに進入してきたから怒ってるのよ!」
釘屋の放つ暴風のような言葉の勢いを困り顔で頭を掻くようにして受け流し、島津も言葉を返す。
「あー、まずは人を指差すのは行儀が悪いぞ。それにトイレなんて小学生の時は男女一緒だったじゃないか。別にそこまで気にする物でも――」
「これだから男はデリカシーに欠けるのよ! それと男女一緒のトイレなんてどんな田舎の小学校だったのよ!?」
「じゃあ釘屋は、外見は男のネナベが女子トイレに入って来ても気にしないのか?」
「そ、それは……」
釘屋が言葉に詰まる。それもそのはずで、ネナベかどうかは自己申告でしかないのだから、中身がどっちか判らない男が女子トイレをうろつくのはネカマ以上に恐怖や嫌悪の対象になりそうだ。
「そもそも、この子がネカマだってどうやって知ったんだ? まさか会う人全てに、お前はネカマかって訊いてる訳じゃないよな?」
「そ、それはっ、そいつが用を足すとき、水を流してなかったからっ!」
「あー……」
島津が眉間を押さえて呻く。確か島津達が初日に受けた悠里からの講習にもそういったトイレのマナーが含まれていたのを思い出した。
「それで不審に思って問い詰めたって訳か」
「あ、あのっ、ごめんなさいっ、次から気をつけますっ」
気の毒なほど萎縮してぺこぺこと頭を下げる赤毛の少女。だが釘屋はその姿を見ても感銘を受けなかったようだ。
「第一、どうして男の癖に女キャラ使って男の気を引きたがるのよ!?」
「別に男の気を引こうとか考えてないけどな。このゲームではオペレーターやるから声が欲しかっただけで」
「島津さんは声以外手を抜きすぎなのよ! もっと頑張りなさいよ! 何よそのオペ子って名前はふざけてんの!?」
「……声以外のキャラメイクにあまり時間をかけなかったのは事実だが名前のことはエリザベートちゃんには言われたくないな」
「なっ!? 一緒にするんじゃないわよ! わたしが名前考えるのも含めてキャラメイクにどれだけ時間かけたと思ってるのよっ!?」
金髪を猫のように逆立てる勢いで釘屋が激昂した。赤毛の少女はそれを見て「ひっ」と息を呑み島津の背中に隠れる。
「あ、あの、ボクだって別に気を引こうとかそんなんじゃなくて、同じ大学の仲間と一緒に色んなゲームに参加してたのですが、男ばかりで華が無いから持ち回りで女性キャラを作る掟になってまして……」
「成程ね、それでたまたまお前さんが“当番”の時に、こういう展開になっちまった、と……」
「は、はい」
「という訳だ、釘屋。お前さんの取り分を侵害するような事にはなるまいよ」
「ちょっ! ととと取り分って! そそそそんなんじゃないわよっ!?」
目に見えて釘屋がうろたえ、追求の手が緩む。その隙を逃さず島津は畳み掛けることにした。リアル女性相手の口喧嘩は長期戦になると分が悪い。
「それとな、釘屋。ネカマが性別詐称して他人の気を引くのが悪みたいな言い方してたが」
「な、何よ。実際その通りじゃないの。ネカマってキモいのよ」
「だったら、年齢詐称して男を侍らそうとするのも同罪なんじゃないのか? おばさん?」
「なっ! お、おばっ!? 言うに事欠いてなんて失礼な! わたしはまだまだ若いわよ!」
「そう言えば、火狩GENZIって、パラダイス何とかだけの一発屋だったよな」
「寝ボケた事言ってるんじゃないわよっ! あの当時は出せば売れる超人気アイドルグループだったしそれこそ木曜夜の歌番組にだって毎週のように……っ!」
「ほほぅ、若い割に随分昔のアイドルにお詳しいな」
ニヤリ、と悪どい笑顔――美少女の外見だとせいぜいちょっとした悪戯に成功した程度の迫力しかないが――を見せる島津に対して釘屋は「ぐぬぬ」と呻くと、
「くっ、いつか殺すっ!」
捨て台詞を一つ残して去って行った。
「はあ~~~っ。こ、恐かったです……」
嵐が過ぎ去るまでの間ずっと息を潜めていたらしく、赤毛の少女は大きく息を吐いて心情を零す。そんな彼女に、島津は一つ提案をすることにした。
「さて。お前さん、時間はあるか? ウチのパーティの女性陣はネカマにも理解があるからこの機会に聞きたい事があれば勉強しておくといい」
「は、はいっ、ご迷惑でなければ。それに『東京防衛戦』の皆様にはいつかお礼を、って思ってたところでして」
「お礼?」
「あ、えっと、こちらに来た初日、ワイバーンに襲われてたところを助けて頂きまして、その節は本当に感謝しております」
「あー、あの時のポニーテールのガンナーか。髪型が違うから判らなかった。距離が遠すぎて顔なんて確認できなかったしな」
「それは、その、髪を自分で結ぶのが難しくて、つい……」
彼女が島津達の事を知ったのは、恐らくあれからHARに訊いたからだろう。
「ところで、光源氏って……古典の話ですか?」
「…………これが若さか…………」
赤毛少女の何気ない天然な一撃に、島津は珍しく肩を落として沈んでしまうのだった。
 




