彼女と歩けば
駅で出会えば、の続編です。ありきたりな悩みで、ありきたりに悩む彼氏のお話です。温かく読んでくれれば嬉しいです。
俺には可愛い彼女がいる。
欲目ではなく客観的に見て可愛い人だ。道を歩けば10人中5人は確実に振り返る。
実際、過去には彼女の気を引こうと後輩らしき長身のイケメンが、一生懸命彼女に話しかけているのを見たことがある。素っ気ない返事を繰り返す彼女は気づいてなさそうだったが。それ以外にも、彼女を見て、顔を赤くしてぼんやりとしている高校生を見たこともある。…多分、朝早くて眠そうにしていた彼女にはその姿は見えてないと思うけど。
そんな彼女だから、しょっちゅうナンパされる。とはいえ、最早わざとなんじゃないかと思うくらい華麗にスルーをするものだから、ナンパされて困っている彼女を助けるというシチュエーションは一度もない。
今日は久々にデートをすることになり、俺は待ち合わせ場所である大時計の前にいた。待ち合わせの10分前には必ず来る彼女を待たせないために、早めの時間だ。スマホをいじりながら待っていると、駅の方から彼女が歩いてきた。
初夏ということもあり、彼女は涼しげなワンピース姿だ。肩まである髪は真っ黒で、毛先が少し内巻きだ。それがアイロンやパーマのせいではなく、癖毛であることを俺は知っている。
大きな目は内斜視気味で、綺麗な鼻筋や肉感的な唇は赤い。白い肌は透き通るようだ。青い花柄の白いワンピースとグレーのジャケットは落ち着いた大人の女性を思わせる、彼女の雰囲気に合ったものだ。近づくにつれて、出勤よりオシャレをしてくれているのが分かる。普段より三割増しで可愛いし、綺麗だ。
…あぁ、やっぱり色んな男が、彼女をちら見している。こんな人が自分の彼女だという優越感が少しと、誰の目にも触れさせたくないという嫉妬と独占欲が胸の内で渦巻いている。
「悠希君、おはよう。ごめんね、待たせた?」
俺の気持ちなど露知らず、彼女は明るい笑顔に申し訳なさを滲ませている。
「いや、全然。俺もさっき来た所だよ」
笑顔を作って返事をすれば、花が綻んだような笑顔を見せてくれた。その微笑みにドキリとしながら、俺はさりげなく彼女の左手を取り指を絡ませた。…通り過ぎる男性陣の落胆した表情が見える。
手を取られた彼女は頬をさっと赤くした後、恥ずかしそうに俯いてしまった。それが可愛くて、自然と口元が弛む。
…可愛い。
彼女は俺と同じ26歳。職場でも重要な仕事を任されるくらい優秀で、頭の回転が早い人だ。それは全て彼女の努力の賜物ではあるのだが、それでも生来の能力の高さに由来するものだとは思う。理知的な鳶色の瞳はそう滅多なことでは揺るがない。その彼女が俺の一挙一動に表情を変えるのを見る度、たまらなく彼女が愛しくなる。要はギャップ萌え、というやつだ。
美人で優秀な彼女。
それは自慢だが、はたして自分が彼女に釣り合っているかはまた別問題だ。
俺は、いたって平凡な人間だ。背だって高くないし、顔だって人並みだ。体型はやや筋肉質な細身で、自慢できるのはテニスの腕前だけ。そもそも、彼女に意識される要素を持ち合わせているわけではないのだ。
俺と彼女の出会った場所は通勤に使う最寄り駅だ。俺にとっては乗車駅、彼女にとれば降車駅のその場所で、出会った。…といえばドラマのようだが、実際の所は毎日すれ違うだけの、ただの顔見知り。話したこともなく、互いのプロフィールも知らない状態で恋に落ちた。一目惚れという言葉が一番しっくり来る。実は彼女の方も一目惚れだったと聞いた時は何かの冗談か、質の悪いドッキリかと疑ったものだ。
街を歩きながら、彼女の涼しげな横顔を見る。仄かに甘い香水の匂い。その匂いが分かるほど間近にいられる喜びと、彼女の隣にいて良いのかという戸惑いがごちゃ混ぜになって、思考が掻き乱される。
「悠希君?どうしたの?」
ぼんやりと横顔を眺めていた俺に彼女が不思議そうな顔をしてこちらを見上げた。
「いや、何でもないよ」
「本当?難しい顔してたよ。眉間にしわが入るとカッコよさ半減だよ?」
「…そうかな?どんな顔したって変わらないよ。俺の外見って平凡だし」
少し不貞腐れたような口調になってしまう。そんな俺を見て彼女はしばらくきょとんとしていたが、すぐに俺の手を引いて近くにあったビルとビルの間の吹き抜けに入った。
そして体を彼女に向けさせられ、正面から彼女と向き合うことになる。見上げる彼女の目は怖いくらい真剣だ。
「悠希君。本当にどうしたの?何か私、気に障ることした?」
「え?」
思いもよらない言葉に俺は目を丸くする。
「私、悠希君のこと、好きだよ。一緒にいられるのが嬉しいの。…でも、悠希君のそんな泣きそうな顔は見たくない」
そう言い募る彼女の方が泣きそうな顔をしているくせに。彼女は何も悪くないのに。ただ、俺が彼女に釣り合わないと嘆いているだけだ。俺だって、彼女の悲しそうな顔は見たくない。笑顔でいてほしいんだ。
「…なんで、俺だったの?」
「?」
「俺、本当に平凡だよ。穂香は綺麗で可愛いのに。本当は俺じゃなくて、もっと良い奴だっているはずなのに」
「…」
「でも、手放せない。穂香のことが好きだから。だからどうしたらいいのか分からなくなる」
零れる本音は情けない。それでも彼女は黙ってそれを聞いていた。やがて、ゆっくりと口を開く。
「世間一般のカッコいいとは確かに違うかもしれない。でも、私は悠希君が良いの。悠希君だったから好きになったの。それに…悠希君の外見、私の好みど真ん中だから、それを平凡だとか言われても私には分からないんだよね」
正直な話、普段の手抜きな私の外見を見て、悠希君こそ、よく好きになったよね。
頬を染め、照れ臭そうにはにかむ彼女。俺は何も言えずにその姿を見つめた。
少しずつ心に凝った澱が消えていく気がする。彼女は、彼女なりに俺を好きでいてくれている。言葉にされると、今まで感じていた戸惑いが薄れていくのは不思議。
「穂香、好きだ」
自然と口を突いて出た言葉に、俺は目を丸くした。唐突だったから、目の前の彼女も大きな目をぱちくりさせている。
なんだ、簡単なことなんだ。
俺は彼女が好き。彼女も俺を好き。それだけのこと。完全に吹っ切れたといえば嘘になるけど。でも今なら、自分の気持ちに自信を持てる気がした。
「それにしても、俺の外見がストライクとか…実は目が悪いとか?今から眼科に行く?」
「行かない!今付けてるコンタクトで1.2見えるんだよ?目は心配いらないってば。それより、悠希君こそ自分の顔見たことないでしょ。鏡買いに行く?」
俺の言葉に膨れながらも、すぐに切り返してくる。こういうテンポのよい会話ができる彼女の賢さも好きだなと思う。
「買わなくたって、ここに鏡があるからいい。穂香がいれば鏡は必要ない」
そう言って彼女の瞳を覗き込むと、その中に優しい表情の俺がいる。
彼女は顔どころか首まで赤くして、俺の手を握り直すと、大通りへ引っ張りだした。
「なに、」
「今日は映画観るんでしょ!始まっちゃうから、急ぐよ」
ぐいぐいと引っ張る彼女。
「…照れてる?」
「!」
図星すぎて返事もしない彼女に、俺はくすりと笑う。
「可愛い、穂香」
そう言うと、彼女は真っ赤な顔で振り返ると俺を睨み付けた。
「悠希君のキザな言葉に付き合ってたら、私の心臓が持たないよ!」
まさかそんな非難をされると思っていなかった俺は、ぽかんとして首を傾げた。
「俺は思ったことを言っただけなんだけど」
「…自覚がないっていうのが余計に悪い…」
俯いてぶつぶつと呟く声に、俺は彼女の顔を覗き込んだ。すると、怒ったような表情で彼女が顔を上げた。
「大丈夫?」
「大丈夫じゃない…。いつも私ばっかり!」
そう言った彼女の顔が一気に近づいて。
「!!?」
唇に感じた柔らかな感触と、すぐに離れた彼女の悪戯っぽい笑顔が広がる。
何をされたか分かった瞬間に、身体中が火照るのを感じた。目の前の満足げな彼女の唇の端が器用に吊り上がる。
「私ばっかり動揺するなんてフェアじゃない。たまには私に振り回されて焦ってよね」
つんと澄まして女王のような高飛車なことを宣って、彼女が軽やかに笑う。
「ほら、行こう?」
手を引いて再び歩き出す彼女に俺は付いていく。
「キミに出会ってから、俺は動揺させられっぱなしだよ」
小さな呟きはきっと彼女に聞こえない。俺は綻ぶ口許をそのままに、彼女の手を強く握り締める。
この手がどうか、ずっと離れませんように。