雨宿り 3
その晩の《金の麦穂亭》は宴さながらの賑やかさだった。
雨に追われてふらりと姿を現した二人連れの楽士達は、見掛けこそちぐはぐな取り合わせであったものの歌も演奏もピッタリと息の合った素晴らしいもので、降り続く雨に鬱々とした気分で屋内に籠りきりであった宿の客達からは、ここぞとばかりに陽気な曲が次々とリクエストに上げられた。
どちらかと言えば男は重厚な譚詩やしっとりとした曲調の楽曲を得意としていたが、そこは腐っても本職。
不得手を感じさせない技量を発揮してみせた。
「ねぇねぇ、その子は唄わないの?」
ふと何気無く上がった声に、周囲の注目が男の隣で竪琴を奏でる少女に集まる。
「あたし、その子の歌も聴いてみたいなあ」
思わずといった風な言葉は、看板娘の妹のものだ。
自分と同じ年頃の少女が旅の楽士の連れだと知って、好奇心が湧いたのかもしれなかった。
「―――だめ?」
「リンカ…お前はまた好き勝手な事を言って」
「良いじゃないか女将さん。余興だよ、余興!」
「嬢ちゃんも唄ってくれよ~」
グリフォンとネイロはチラリと視線を交わし合った。
―――最近わりとよくある成り行きだ。
「…弟子は異国育ちで言葉に不慣れだが、それでも良ければ異国の歌は如何だろう」
「おお!そいつぁ珍しいや」
「よっ、頼むぜ嬢ちゃん!」
酒場でもないのに随分とノリの良い観客が揃っている。
『んー…、何唄おうかな…』
ネイロは口許に手を当てひとしきり思案顔をしてから、何かを思い付いた様子で竪琴を構え直した。
一瞬ニコリと宿の看板娘(妹)に笑みを向けて。
“輝く星に 心の夢を 祈ればいつか叶うでしょう…”
男の深く包み込むような声とは異なる透き通るような軽やかな歌声が辺りに響き渡り、少女にオマケの余興程度の期待しか抱いていなかった客達は、皆一様に感嘆の表情を浮かべてその歌に聴き入った。
隣にいる当の楽士も初めて聴く歌であったため、僅かに目を瞬かせた後は息を潜めるようにして耳を澄ませている。
(――――まるでタネのない“仕掛け箱”のようなやつだ。
楽士の自分が一度たりとも耳にした事のない“音”をいったいどれだけその頭の中に隠しているのやら…)
面白い、と知らず男の口許は笑みの形を描いた。
少女が音感に優れている事は出逢って直ぐに気が付いた。
小曲とはいえ初めて聴いたであろう歌を、ほんの僅かな間に竪琴で完璧に再現されては、嫌でも気付かざるを得ないというものだが。
一度手解きをすれば難なく曲を覚えて合奏に応じる記憶力の良さは正に驚嘆ものとしか言い様がない。
おまけに周囲の空気を読むのが巧く、常に当たり障りのない振る舞いをして周りに馴染んでいるため、時折ネイロと言葉が通じていない事さえつい忘れがちになる。
(……これも一種の才能というやつか…?)
今も歌い終わったネイロは客達に囲まれて和気あいあいとした良い雰囲気の中でニコニコと笑顔を見せている。
どこに行っても先ず初めにガンを飛ばされる男とは天地の差であった。
* * *
歌い終わった後、何故かお客のおじさま達に囲まれてあれやこれやと食べ物や飲み物を勧められた。
なんだか物凄く頑張った小さな子供を労うみたいに、飴玉やら何やらお駄賃が目の前のテーブルに沢山積み上げられて、ちょっとした御褒美を貰った感じになってやや驚き。
グリフォンの方をチラリと見たら、笑いながら頷いてたからお礼を言ってありがたくいただくことにした。
「凄いねぇ!素敵な歌だったよ。あなたの名前はなんていうの?私はリンカだよ!」
宿の娘さんらしい女の子がしきりと話し掛けてくれるんだけど、まだ会話力がサッパリな私は曖昧に笑っていることくらいしか出来ない。
ただなんとなく好意的に受け入れてくれてるのは解った。
相手の顔にも混じり気ない笑顔があったから。
「あのねぇ、それでね。あともう一曲だけ…お願いできないかなぁ…だめ?」
『???』
「ちょっと、リンカ!そんなに捲し立てるからその子が困ってるじゃない。言葉が不慣れだって言ってたでしょ!」
「…あっ!そうかー…」
歳上のお姉さんにたしなめられてションボリした様子が可愛い。
私より少し年下だよね…?
「“ネイロ”というのがその子の名前だ。最近弟子にしたばかりでまだ駆け出しだから、仕事に慣れるためにも場数を踏ませて貰えるのは歓迎する」
何やらグリフォンがフォローに回ったもよう。
何?なんて言ったのかなー?ん?
グリフォンの筋ばった長い指が私の竪琴をトンと小突く。
―――“唄え”の合図だ。
もう一曲?それは良いけど……何歌おう。
さっきは“女の子”に受けそうな某名作アニメの曲を選んだけど。
うん…じゃあ、今度はお姉さんのイメージであれいってみよう。
不朽の名作。しかも伴奏はハープの曲だから違和感無いし。
選んだのは【ロミオとジュリエット】。古い映画を観るのを好んだ両親と何度かDVDで観た記憶がある。話の内容より吟遊詩人の唄う切々とした旋律の方が頭に残ってて、竪琴を手に入れた後真っ先に練習した思い出の曲でもある。
………歌詞?うろ覚えだからテキトーにアレンジで!
さっきとは明らかに変わった曲調にお客さん達が、おや、という表情をする。
だよねー。だってこれ恋歌だから。多少の演出はしますとも。
私は女優!の心意気で唄いきって見せますよ!
歌い終わって一礼。
お姉さんの顔を見るとやけにキラキラした表情で胸の前で手を組み合わせてる。
…気に入ってもらえたのかな?
因みに他のお客さんは拍手をくれる人、口笛を吹く人、何故か顔を赤らめる人、反応がバラバラ。
はて???何かしくじったかな?
「ネイロ…、その声はどこから出してる…」
何だかやけに脱力した様子のグリフォンが、額に手を当てて頭痛を堪えるような表情で何事かを呟いた。
『???』
「―――凄い、さっきと全然違う声!大人の女の人みたいに艶っぽくてドキドキしちゃった!」
「ね、どうやったらあんな声が出せるのー?」
『………えーと…?』
姉妹のこの興奮振りから失敗したわけじゃなさそうなんだけど…?
訳が分からず首を捻っていたらお開きの合図を出されて、私は一足先に部屋に戻された。
* * *
「いやぁー、大したお弟子さんだ。将来“歌姫”の称号も夢じゃないんじゃないか?」
「あぁ、あの声にはたまげた。最初は子供らしい可愛い声で唄ってたから、二曲目のあれを聴いた時はまるきり別人じゃないかと思ったぞ!」
「なんだってあんな色気の無い格好をさせてるんだい旦那。勿体ないじゃないか、折角可愛い顔をしてるのに!」
――――等々。
先程のネイロの歌を聴いた“観客”達は口々に弟子を誉めちぎり、話題に乗せた。
「いやぁ、あの子は将来物凄い美人になるぞ!」
……それは何となく分かる。
だがこの商売は都合上どうしても色の道とは切っても切り離せない部分があり、出来るだけそういったものから遠ざけておきたいのが親心(?)だ。
少年のような格好をさせておけば、幾らかでも好事家の目を誤魔化せるのではと思っていたのだが。
――――あの声はまずい。本気でマズイ。
声だけ聴いてたら完全に“女”だ。
あの貧相な身体で何故、あんな声が出るんだ!
と、本人が聞いたらちゃぶ台返しをしそうな感想を、この日から男は一人悶々と抱え込む事になった。
【ロミオとジュリエット】の吟遊詩人は男性なので、あの歌を女子が色っぽく唄うのは難しい…かも。
楽曲の解釈についてはほぼ捏造。
インチキだ!!と叫ばれた方、ごめんなさい。