雨宿り 1
中央大地にはかつて栄えた大国の名残として、旧国土の隅々にまで整備の行き届いた街道が遺されている。
過去の政変によって国が大小十六の潘に別れた現在でも、その遺産の恩恵によって民にもたらされる利益は計り知れない。
中央大地の南部地方では春から夏に移り変わる時期になると、毎年一旬程の期間雨が降り続く《雨季》が訪れる。
どんなに先を急ぐ旅人もこの時ばかりは旅籠に駆け込んで長雨を遣り過ごすしか手立てが無いため、街道沿いの宿場町では雨を避ける旅人達で軒並み宿は満室状態になるとのだという。
第十五潘国と第十四潘国に跨がる街道沿いの宿場町でも、例年通り降り始めた雨に宿を求める旅行者達が一機に雪崩れ込み、カレニアの町は俄に騒がしさが増していた。
大店の旅籠が軒を連ねる表通りからは幾分離れた場所にあるその《金の麦穂亭》も、家族経営の小さな旅籠ながら雨のお陰で客室がほぼ満員となり、急な繁盛振りに従業員は全員対応に追われて大忙しだった。
カラン、と入り口の扉の鐘が鳴り、女将は音のした方角を振り返った。
案の定そこには雨に濡れた二人連れの客の姿がある。
「部屋は空いているか」
「運が良いですよ、お客さん。お二人さんで丁度満室になりましたからねぇ」
「…では、頼む」
「はいはい、かしこまりました。―――リンカ、表の看板の向きを変えて来ておくれよ!」
「はぁーい」
女将の声に応えたのはまだ年若い娘だ。
女将と瓜二つなソバカス顔に愛嬌たっぷりの笑顔が気持ち良い。
「お代は前払いでお願いしておりまして、お一人様一泊三十ギルで食事は別料金ですが宜しいですか?」
「構わない。取り合えず三泊分を支払おう」
「―――メイベル!お客様の外套をお預かりして」
「はい、ただいまー。お客様、濡れたお召し物をこちらへどうぞ。乾いたら後程お手許にお返ししますー」
今しがた表に出ていった娘より二、三年嵩の娘ないがニコニコと愛想良く近付いて来るが、これまた女将にそっくりで一目で血縁と分かる容姿をしている。
久々に満室となった《金の麦穂亭》の最後の客の一組が受付の横で外套を脱ぎ去ると、たまたまその場に居合わせた他の客達は皆一様に“おや”と興味深そうに目を見張る表情になった。
雨風を遮る全身を覆い隠す造りの外套の下から現れたのが、大柄で引き絞った鋼のような見事な体躯をした男と、その胸の辺りまでの背丈しかない小柄な少女という余りにも意外な組み合わせだったためだ。
男の険のある彫りの深い顔立ちはお世辞にも柔和とは言い難い上に、そこに猛禽類のような鋭い目付きまでが加わると、とても堅気の人種とは思われぬ雰囲気が醸し出されてしまっている。
言い替えるなら『商売女が目の色を変えて擦り寄りそうな中々の男振り』とでも言うか。―――若しくは、『男に喧嘩を売られやすそうな顔』とでも言うか。
そしてその連れが、どこもかしこもフワフワと柔らかそうな印象の毛並みの良い少女ときては、まるきり『人拐い』そのものの体だ。
『お客を外見で差別しない』というのが《金の麦穂亭》一家のポリシーではあるが、女将や二人の娘達もこのちぐはぐな二人連れには内心首を傾げてはいた。
笑顔の裏で、いざとなったら役人に届け出が必要か?などと女将が考えかけたとき。
『グリフ、お腹空いたー』
実に緊張感の欠片も無い可愛らしい声が少女の口から飛び出した。
意味不明な言葉ではあるものの、甘えた口調で男の袖口を引っ張る様子から、少女が男になついている事だけは理解出来る。
男の無表情をものともせず、プクリと頬をふくらませて何事か主張を繰り返しているようだ。
『ねーねー、グリフー。ご飯食べよー?久し振りのお宿だよ、出来ればデザートも欲しいなぁ』
それに対して男の返事は、どうでも良さげな仕草で少女の頭をクシャリとかき混ぜたのみ。
『慣れた』感が滲み出ている。
「……連れが腹を空かせているようだ。今すぐ食事が出来るだろうか」
「え、あ、はい。簡単な物ならお出しできますよ。夕食の時間にはまだ早いので、私らの賄いと同じものでよろしければ…」
「では、それを」
何てことはなかった。
怪しく見えた相手はただの『無愛想な客とその連れ』。
宿はいつも通りの営業を再開した。
* * *
グリフォンと行動を共にするようになって、私の感覚だと二か月くらいが経った。
こっちの世界の暦がまだよく分からないから、だいたいの感じだけど。
あれから幾つかの町に立ち寄ったけど、そのどこにも長居はしていない。
グリフォンの旅に目的地があるのか、それとも旅自体が目的なのか。
―――まだ解らないことだらけ。
でも何だか最近はグリフォンの仏頂面にも慣れてきたかもしれない。
この日、ある町の近くまで来て空が急に曇りだし、
小雨がパラつき始めたと思ったらそれはあっという間に本格的などしゃ降りに変わった。
慌てて宿に飛び込んだけど何軒かは満室だと断られ、あちこち廻ってようやく部屋を取る事が出来た。
いつも通りの二人部屋。
最初は感覚がマヒしてて赤の他人の男の人と同室って事も気にする余裕がなかったけど、ある程度落ち着いた頃に突然恥ずかしくなった。
十五の乙女が!身内以外の異性と小部屋で二人きりって!
ボロくてもイイからせめて個室をお願いします!
だけどよくよく考えたら、拾われた野良猫も同然の身分で稼ぎも無いくせに要求ばっかり一人前って…、どんだけ偉そうなの私。
それに恐らくグリフォンは私を『異性』というより『子供』の括りに入れてる。
出る箇所は出て締まる箇所は締まってる、というのがグリフォンの『女』の基準だし。
おまけに何度も宿に朝帰りする御身分だから、仮に部屋を別にして貰っても無駄な出費になるだけ。
それに、万が一隣の部屋でアハンな行為に及ばれたりりするのも、ちょっと…。
ひとまず湿った服を着替えてから先に階下の食堂に降りたグリフォンを探すと、席に着いたグリフォンは数人の宿泊客と談笑しているところだった。
よしよし。今日はイイ感じ?
…この保護者。客商売なんかしてるわりに表情筋が硬すぎて、二回に一回は初対面のお客さんと気まずい雰囲気になる。
本人に悪気は無いっぽいんだけど、もうちょっとこう…にこやかに出来ないもんかな。
一度でもその歌を聴いて貰えれば、誰もが虜になること受け合いなんだけど。
最初の印象でズルズル行って物凄く損をするタイプの人種だ。
何故この職種を選んだのか、謎。