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花の庭にて 5

あれよあれよという間に『芝居』の幕が上がり、慌てて竪琴をの弦に指をかけ――――危うく音を外しそうになる。


「……!!!」


古時計がテーマの歌で有名な、某アーティストも真っ青な極甘テノールに鼓膜を直撃されて、一瞬意識が飛ぶ寸前までいった。


(…ぜ…全力投球でキタ―――!!)


一年寝食を共にして幾らか耐性が付いてるとはいえ、グリフォンの本気の歌声を平静に受け止めるのは難しい。

最初の頃は歌詞の内容が分からなかったから、純粋に歌声の綺麗さにただ感動してたけど、少しずつ言葉が解るようになって微妙なニュアンスが理解出来るようになるにつれ、その歌声の効果の凶悪さに頭を悩ませる事になった。


特に“恋歌”の場合異性に及ぼす効果が半端なくて、夜の酒場での仕事なんかだとグリフォンの駄々漏れフェロモンにやられた女性客とのトラブルが後を絶たず、面倒臭い事この上なかった。


あんまり頻繁に厄介事に発展するものだから、何度も手加減を頼んでしぶしぶ“程々”の仕事におさめてもらってたりして。

仕事の手抜きは絶対に許せないタイプのグリフォンはいい顔はしなかったけど、いちいち毎回後ろからグサリとヤられるのを気にしてたらこっちの身が持たない。


……だから、久々の本気の歌声は……かなりクる。


いまだかつて聴いた事が無いくらい、本気の気迫だ。

もし自分が犬だったら、今この瞬間即お腹を見せて降参のポーズをしてる。

何この、禿鷲ハゲワシに狙われた獲物の気分――――!!







甘酸っぱい感情とは全く別の意味で動悸が激しくなる兎とは裏腹に、ここへきてようやく胆が据わった大鷲。

意中の相手を口説く為に気のきいた台詞ひとつ捻り出せない男だが、“歌”は己の本分でもある。

今ここで本気を見せねば後がないと解っているだけに、男の歌にはただならぬ気迫がこめられていた。


その結果、呼吸も荒く紅涙を絞らんばかりの婦人が続出し、連れの男衆を大層ヤキモキさせる事態に。


「…わたくし…なんだか胸がドキドキしてまいりました!」


「…同感」


「…右に同じく」


夢見心地の表情で少女のように頬を染めて溜め息を落とす妻達に、男達は涼しげな面を保ちつつ内心では密かにダラダラと滝のような冷や汗を流す。


彼等は目や耳の肥えた商人ばかりが集まる園遊会に招かれた芸人が“それなりの腕前”であるのは当然としても、娯楽や芸能の類いに精通している職業婦人(自分達の妻)がここまで骨抜きになる姿は想像もしていなかったに違いない。


そして吟遊詩人の歌は更に続く。


『芝居は出来ない』と言った本人の言葉通り『芝居』ではなく、全身全霊本気での直球ストレート。糖度マシマシ色気特盛状態で普段の鋼の鉄面皮からは想像も出来ないほど滴り落ちる艶。


切な気に細められた鋭利な目許から、脳髄をとろけさせる掠れた甘いテノールを紡ぐ薄い唇から、匂い立つような色香がほとばしる。


(……いっ……一休さ―――ん!助けてぇええ――――!!煩悩がっ!煩悩がああああっ!!)


恋愛未発達なネイロが思わず故郷一有名な坊さんの名前を唱える破壊力だった。


例えるなら“爽やか系”主人公ロメオが、突如として“肉食系”に豹変したとでもいうか。

ゴールデンタイムの連ドラが突如として深夜帯の番組に路線変更したとでもいうか。


濃すぎるフェロモンにあてられふらつく頭に耐えながら、ネイロは自分の出番に大きく息を吸い込んだ。





娘の喉から初々しいやわらかなソプラノが滑り出して、辺りの空気が一変する。


直前まで桃色劇場に突入しそうな雰囲気ムードに支配されていた空間が、清浄な真昼の庭園に戻ったようだった。

息を詰めるようにして歌に聴き入っていた観客達は、ここにきてようやくほっと肩の力が抜ける思いがした。


『ロメオとジュリアナ』は若い男女の純愛物だ。


間違っても百戦錬磨の色事師が手練手管を尽くしていたいけな娘をひっかける物語ではない。

場の雰囲気としてはこちらの方が正常だともいえる。


“若さからくる純粋さと危うさ”を前面に押し出した終幕フィナーレでは、芝居の世界にのめり込んだ観客が盛り上がって主人公達を後押しをするような掛け声が上がったり、時には銭が飛んだりもする。


芝居の脚本シナリオとしてはごくありふれた筋書きでも、現実に純愛を貫ける人間はそうそう居ないと、世俗の垢にまみれて大人になる頃には誰もが知るため、このての物語は大衆にとても好まれるのだ。


「清純そのもののジュリアナですわねぇ…」


「初々しいところがまたハマリ役じゃて。儂があと五十ほど若けりゃあの~」


「おほほ、御隠居様?お孫さんに睨まれておいでですよ」


「フン、あの年齢になって嫁の一人も連れて来ん甲斐性無しに睨まれたところで、ちーとも怖くありゃせんわ」



「言いたいこと言われてますねぇ、レジオ?」


「五月蝿い」


「…やれやれ。やだねえ要領の悪い奴は」


―――等々。歌の合間にこのようなのんびりとした会話も交わされていたが、歌が切り替わる度に致死量を越えていそうな男の色香を浴びせ続けられているネイロはそれどころではなかった。


しかも何故か相手はグイグイ距離を詰めて来る。

楽器を構えた時点でそれなりの間は取ったにもかかわらず、だ。


借り物の裾の長い衣装を身に付けたネイロは、椅子に腰掛けたまま竪琴を演奏しているため動くに動けない。

そして獲物が逃げられないのを良いことに、男はジリジリと距離を縮め続け、結果的に歌の終盤にはほぼ至近距離でお互い見詰め合う状態に。


(…………ほ…捕獲された……捕獲された―――っ!)




この後、ラストまで根性で歌い切ったネイロが精根尽きてぶっ倒れ、蒼白になったグリフォンに抱えられて屋内に運び込まれる一幕があるのだが。


ネイロの介抱に当たったアレグロ邸の使用人曰く、「コルセットの締めすぎ」との見立てだった。


いわゆる“酸欠”というやつである。


































































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