花の庭にて 4
「《暁の女神》一座と言えば…。春節祭の『ロメオとジュリアナ』がとても素晴らしかったと、街中でかなり評判になっていましたわね。それも当日限りの公演だったとかで随分と惜しまれて…」
最初に口にしたのが誰かは分からないが、茶席の会話の流れで自然とその話題が飛び出した。
というか寧ろそこに触れない方が不自然な存在感が現在進行形で庭園の片隅で放たれ続けているため、必然的にその話題になったというのが正しい。
芸能を生業にする者達の中でも『団員は女のみ』と定められた特殊な一座でありながら、たまたま、数人しかいない『女形だけ』の面子が揃えられたこの状況を、客が“当たり”と取るか“ハズレ”と取るかは微妙なところだが。
「んまぁ、光栄ですわ~!オホホホホッ!」
喉仏を反り返らせての高笑い。
女がやれば嫌味に見える仕草も、女形なら道化的な役回りとして客にすんなり受け入れられてしまうから不思議だ。
「エー、生憎と当一座の看板女優が相次いで流行り風邪で喉を痛めてしまい公演は休業致しておりますが、終幕の一場面だけでもよろしければ本日再現が可能です」
「まぁ、素敵!是非お願いしたいですわ!」
「あら…でもどなたがお演りになるの?」
「……そういえば」
一座の代表らしき女形の思いがけない提案に一瞬その場が沸いたものの、肝心の役者の姿が見当たらないため客は困惑気味の表情になる。
芝居は見たい。
が、ムッキムキのオカマ二人のラブシーンは勘弁願いたい。
観客が求めるのはうっとりするような夢の世界であって、けして暑苦しい漢女の濡れ場ではないのだ。
「『ロメオ』役は先日の舞台でも終幕で代役を務めたこのグリフォンが。そして同じく『ジュリアナ』の独唱パートをそちらにいる彼の御弟子さんに引き受けていただければ、クライマックスの一場面が完璧に再現されます」
寝耳に水の発言に大鷲と兎は揃って目を丸くした。
事前に何の打ち合わせも無かった展開にグリフォンが『どういうつもりだ』と視線を送れば、『出来ないとは言わさない』とばかりの有無を言わさぬ眼力にグイグイ押し返される。
どうやらベロニカはグリフォンの煮え切らない態度に業を煮やし、その尻を蹴飛ばす事に決めたらしかった。
(…おい、勝手に話を進めるな!歌はともかく、俺は演技なぞ出来ん)
(アナタが大根なのは分かりきってるわよ!!“演技”しろなんて言ってないでしょ!おあつらえ向きの台本なんだから、本気で口説けっつってんのよ!!)
(―――…。“演技”はいらん…という事か…)
お互いヒソヒソと声を潜めての短いやり取りには男を決断させる何かが含まれていたらしく、一瞬前まで困惑がありありと刻まれていたその面には、打って代わって真剣さが滲み出ている。
「…承知した」
「え?やるの?」
ぶっつけ本番にも過ぎるが、この男が仕事に関して口にした言葉を撤回する事はまず無い。
とはいえネイロはあの歌劇にはあくまで竪琴奏者として参加していただけで、終幕で歌ったのはその場しのぎの成り行き。
ジュリアナのパートを『歌えるか歌えないか』で問われれば『歌える』と答えるにしても、役者では無いので『演じる』のは――――。
「絶対無理」
「まあそう言わずに。あの日は結構様になってましたよ?どうせなら一部分だけでなく通しで聴きたいと私も思っていたので丁度良いです。是非とももう一度あの場面の歌を聴かせて下さい」
「あの時はカーテンコールも無しに終わっちまったからな、良い機会じゃないか」
「ぼくもききたいですー」
「ほら、うちの息子もそう言ってる事ですしね?」
「うぅ…」
「ホラホラ~、これだけ期待を寄せられて応えなかったら女が廃るわよぅ~?こちらの御当主達にはアナタも随分お世話になってるのよねぇ~?」
「……うぅ……………やります」
逃げ道が断たれた。
*
出だしは『ロメオ』の独唱。
手順の打ち合わせひとつ無いままいきなり上がった舞台の幕に、ベロニカ達が慌てて楽器を構え直すのと、諦めたような表情のネイロが膝に小さく溜め息を落とすのが同時だった。
男の喉からビブラートをきかせたテノールが滑り出た途端、真昼の庭園に突如として静謐さで満たされた空間が生じ、静寂に溶け込む艶やかで忍びやかな歌声に息を潜めた観客達は急速に物語の世界へと引き込まれ始めた。
(―――…グリフォンの歌声…)
離れていたのはたった数日。ほんの数日。
その短い数日の間にも、どれだけこの歌声に焦がれた事か。
(歌に集中しなきゃ…。これは仕事これは仕事これは仕事…、、、くっ、…にしても!甘い!甘いんだよ歌詞が!!エロいんだよ声が!!地獄!!)
芝居の役柄上過剰ともいえるほどの糖度を含んだ声音で、情人に対する恋情を切々と訴える役者の色香に、ふンはーと鼻息も荒くレースのハンカチを引き絞るご婦人が続出する中。
グリフォンの旧知であるベロニカ達は、その無駄な色香を何故普段本命相手に発揮しないのか!と内心で盛大な野次を飛ばしていたりするのだが。
そこは『グリフォンだから』としか言い様が無かった。




