花の庭にて 2
血統を重んじる貴族の世界では、家に女児が産まれると館の奥で真綿にくるむようにして大事に育て上げられる。
たとえ跡取りの男児に恵まれ無かったとしても、確実に自らの“家”の血を残す女子に優秀な婿を宛がう事で万事が解決し、むしろ『家の血を残す』という一点においては、身持ちの悪い嫁を家に上げるよりはよほど信頼がおける、と喜ばれる風潮さえある。
そのため妙齢の貴族の子女が世間一般の人目に触れる事など滅多に無いと言っていい。
―――――だが。
二人の女性に付き添われ園遊会の会場にひっそりと姿を現したその娘は、どこからどう見ても『そういう身分』の人間にしか見えなかった。
しなやかで凛とした立ち姿。
足の爪先までを覆う裾の長い盛装は、労働とは無縁の身分である証のようなもの。
結い上げた髪には精緻な細工が施された簪が揺れ、その喉元は見事な大きさの玉を嵌め込んだチョーカーで飾られている。
そのどれもがおよそ庶民には無縁の高価な品々ばかりだ。
さぞかし由緒正しい家柄の客人であろう―――と、その場に居合わせた多くの者がそう思った。
「――――こりゃまたえらい別嬪さんになったのぅ!嬢ちゃんや」
アレグロ商会の先代当主ニコラスがそう口にする瞬間までは。
*
「―――っ…」
怒れる野兎をどうやってなだめ、如何にして口説き落としたものかとそればかりを散々思い悩んでいたはずの男は、肝心の相手が目の前に来ていた事にすら気付きもしなかった事実に呆然とその場に立ち尽くした。
(これが……ネイロか…!?これはまるで―――)
「「「……別人だわよねェ……」」」
女形三人が呆気に取られて思わず率直な感想を漏らす。
高価な衣装や化粧の効果があるにしろ、明らかに変わり過ぎだ、と男も内心呻かずにはいられなかった。
いったいどこをどう弄くれば、数日前まで場末の酒場で酔客相手に芸を売っていた娘が、生まれついての貴人と見紛う程にまで化けるのか。
―――外見だけではない。
歩き方一つ取り上げてもいつもの飛び跳ねるような落ち着きの無さは鳴りをひそめ、何気無い所作の一つ一つまでもが何故か洗練されて見える。
はたしてこれが本当に自分の知っている野兎であるのかと、男は一瞬判らなくなりかけた程だ。
だが一方の野兎にしてみれば、総額でいったい幾らになるのかも分からない程の高価で分不相応な品々を身に付けさせられ、歩みの一歩、腕の上げ下げ一つにも神経を払わなければならない緊張感から、単に動作が鈍く、表情が能面スマイルになっただけの事で、特に意識して振る舞いを変えた訳ではない。
――――とにかく体が重いのだ。
『…うぅ。十二単かっての…動きづらいぃー…』
「―――今日の招待客がこれで全員揃ったわけだが、今回の集まりは身内ばかりの気楽なものだ。皆が先代自慢の庭園と茶を心ゆくまで楽しんでいってくれ」
園遊会の亭主役を務めるレジオが招待客に向けて二言三言短い挨拶を述べる。
、それ以降は好きにやってくれと言わんばかりの無礼講となり、それぞれの客が気の合う者同士で固まって自由に過ごし始めた。
ふらりと庭園を散策する者もいれば、テーブルを囲んで会話を楽しんだりゲームに興じたりと、それぞれが思い思いの楽しみ方をしている。
「可愛いもんじゃのー。儂、髭面の糞餓鬼じゃのうてこんな孫が欲しかったぞい。嬢ちゃんいっそのこと儂の本当の孫にならんか?そこの髭男の嫁は嫌かのー」
木陰のテーブルを囲んだ席で、着飾った娘を隣に座らせたニコラスがご満悦で宣う。
実際そうして並んでいると仲の良い祖父と孫娘にしか見えないのだが。
「爺さん、あんまりそいつを困らせてやらんでくれ。無理を言って引っ張り出した招待客だぜ」
「そうですよ御隠居様。この子は是非うちの娘にと考えているんですから、勝手にレジオの嫁に決めないでください」
「『嫁』なら年齢的にはうちの倅の方が釣り合いが取れてると思いますがねぇ」
リフレとラルゴの余計な援護射撃に、レジオは自分の後頭部に浴びせられる視線の圧力がジリジリと増して行くのを感じた。
(……痛ぇつーの!俺の頭が禿げたらどうしてくれるこの野郎――――)
視線の主は言わずもがな。
先程から鉄面皮を誇る吟遊詩人の三白眼が鋭さ増し増しでレジオ・アレグロの頭部を直撃し続けている。
禿げどころか頭に穴を穿てと言わんばかりの強烈な視線だ。
(~~~~!!人様がせっかく円満解決に導いてやろうと復縁の場を設けてやってるってえのに、この男…。とっとと娘に話し掛けるなり口説き落とすなりすりゃあいいものを、視線でドスドスと人を射抜きやがって…面倒臭ぇ…!!)
そして《暁の女神》一座の女形三人もまた、演奏に徹しつつ内心では一向に行動を起こさない男に対して苛立ちを覚え始め、お互い視線で無言の会話を交わしていた。
(ほんっとにもー、ナニやってんのかしらぁ!)
(さっさと動きなさいよォ~)
(ちょっとォ、ロザリー、ビビアン。拗れると厄介な男なんだからあんまり弄り過ぎないでよ)
((だぁってェ~、見ててまどろっこしいったらないわー))
そしてそのまどろっこしい男は現在、無表情で取り乱していた。
気持ちの上では何としてもネイロを説き伏せ、自分の手元に連れ戻したいと願ってはいたが。
貴人の装いを当たり前のようにさらりと着こなし、平民とはいえ上級貴族に匹敵する豪商の館に違和感無く馴染んでいる娘の様子を見て―――かける言葉を失った。
(……ネイロは…俺の庇護など無くとも生きてゆけるだろう…)
―――むしろ自分が手離してやるべきなのだ。
一生を放浪に費やす流浪の民として生きるよりは、土地に根付いた暮らしの方がどれだけ安穏とした日々が送れる事か。
それが解っていながら、気持ちはただただネイロに向かう。
独りになって生きられないのは自分の方だと、男は今更になって唐突に理解した。
目の前にいる男は“これ”を自分に見せたかったのかと。
少なくともこの様子ならばネイロが保護者を失って路頭に迷う事は無いだろう。
――――だから安心して手を離しても構わないのだと。
だがそれでも。
ここからが勝負だ、と男は腹を括る。
自由気ままに跳び跳ねる兎を自らの傍らに留め置くために、先ずは言葉を尽くして説き伏せなければならない。
仕事では散々甘ったるい恋歌を売り物にしてきた男だが、『口説き』に関する限り実地での経験はほぼ皆無。
気難しい女心を絆すような気の利いた台詞は一つとして持ち合わせていないのが実状だ。
そして、この兎娘に上っ面だけの甘い言葉が通用するとも思えない。
男は軽く崖っぷちに立たされた気分を味わっていた。




