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焦がれる

視点の切り替え有ります。

男が道端で拾った少女はどうやら異国の人間らしかった。


姿形に特異な部分こそ見当たらないが、言葉がまるきり通じなかったため―――勝手にそう解釈した。

そして何故だかこの少女は男によくなついた。


初対面の時こそ男の強面に怯えてプルプルと縮こまっていたものの、しばらく経つと琥珀色の大きな目で真っ直ぐ男の視線を受け止めるようになり、身振り手振りで必死に意思の疎通を図り始めた。


万人受けするとは言い難い男の鋭利な風貌をものともせずにその後ろを引っ付いて回り、無口な男の発する言葉をひとつも聞き漏らすまいとするかのように、身一つ分離れた位置から常に耳をそばだてて。


その様子がまるで周囲の気配を窺う茶色い野兎のようで、これまで愛玩用の小さな生き物とは無縁の暮らしをしてきた男は、そこで生まれて初めて“なごむ”という感覚をうっすらと理解したものだ。


自らの身を守る爪も牙も持たない、小さな茶色い野兎のような少女こども

少女は一見してごく普通の平民のような身形をしていながら、労働を知らない手入れの行き届いたきれいな手指を持っていた。



男が子連れ(?)になってまず驚いたのは、周囲の風当たりが格段に柔らかくなった事だろうか。


客商売であるがゆえに普段から見苦しく無い程度の身形は心掛けていたものの、大概初めて訪れる『仕事場』では、職業に似合わぬガタイの良さと剣呑を絵に描いたような鋭い目付きのお陰で客から胡散臭げに遠巻きに注視されるだけの事が多く、特に盛り場などではチンピラと同類視されて喧嘩を吹っ掛けられたり、やたらと化粧の濃い商売女に擦り寄られたりで、そのまま厄介事に巻き込まれる事例ケースが多かった。


それが、少女ネイロを連れ歩くようになってからというもの、『仕事場』で初めて出会でくわす客達はまず男の剣呑な風貌に驚き、警戒し、眉を潜めはしても、その後ろから竪琴を抱えてトテトテと緊張感の欠片も無い足音を立てて現れる少女に目を見張り、次いで強面の男の衣服の裾を引っ張りながら笑顔で小鳥のようによくさえずるその様子を見て、たちどころに気の抜けた表情を浮かべるようになった。


そしてそれは何処へ行っても変わらず、妙に周りの空気を読むのが上手い少女は、いつもいつの間にかその場の雰囲気にするりと溶け込み、初対面の相手であっても馴染客の相手でもするかのような自然さで、毎回その場を和ませる役目を果たしていた。


そして数ヶ月も経つ頃には、片言を喋るようになった少女はいつしか男にとって既になくてはならない相方パートナーとなり、日常のほぼ全てを共有する家族の真似事ような関係が積み上げられてゆく事になる。







甘えていたのは自分の方か。


その少女こどもは自分にとって随分と都合の良い拾い物だったように思う。


楽士の弟子として申し分のない才能を持ち、育ちが良さげなわりに慣れない旅暮らしにも嫌な顔ひとつ見せず、野宿や粗末な食事にもよく耐えた。


甘やかされて育った子供のように、感情のままに振る舞う事も泣き喚く事もしない妙に大人びた少女は、幼い子供の相手などした事が無い自分には、格段に扱い易い相手だったと言えるだろう。


最初は言葉が殆んど通じなかったため、いちいち自分の行動に煩く口を挟んでくる事が無かった事も、この“師弟関係”が長続きした理由のひとつかもしれない。


そもそも独りの自由に慣れきっていた自分に、他人に合わせて生活するなどという発想は欠片も思い浮かびはしなかったのだが。


ただ、自分以外の『音』に触れる暮らしも悪くない、と―――そう思うようになった。


特にパタパタと周囲を走り回るネイロの足音は、すぐに耳に馴染んだ。

自分と歩幅が違いすぎて頻繁に歩みが遅れ、慌ててこちらに小走りに駆け寄る姿は、何やら仔犬にでもなつかれたようで胸の辺りがむず痒いような気分がしたものだ。


ネイロと二人連れになってからも成り行き次第で朝帰りになる事はしばしばだったが、朝方になって宿の部屋に戻る度に片側の寝台でぐっすりと眠り込むその姿を確認するまで、何とは無しに落ち着かない気分を味わうようになったのはいつ頃からだっただろうか。


夜が明けて微妙な表情をしたネイロに『お帰りなさい』と言われる度に、若干の気まずさと後ろめたさのようなものを感じるようななったのも、その頃ではなかっただろうか。


それは『何故』か。


うっすらと記憶の奥底に沈んでいた『家族』という言葉を掘り起こし、『そうに違いない』と手前勝手な解釈を当てはめて、納得した気になっていた当時の自分を全力で罵ってやりたい。


ネイロが血塗れの姿で傭兵崩れの男に組み敷かれている光景を目にした瞬間、正気は弾け飛んだ。

そうとは意識せぬ間に守るべき存在となっていた少女の、変わり果てた姿を眼前に晒されてタガを外し、気が付いたら男の喉元に短剣の刃先を押し当てて掻き切る寸前の状態で。

―――第三者の声で思い止まれたのは、奇跡的ですらあった。


鳴かない兎が声を枯らして泣き叫んだその夜。


その瞬間ときから自分にとっての少女ネイロは単なる弟子というよりも、何としても守るべき存在へと変わった。

か弱く頼り無いこの小さな生き物を、二度とあんな声で泣かせるような目は遭わすまいと心に決めて。


そしてその後も自分は行きずりの女達と一夜の営みを交わし、翌朝には呆気ない別れを繰り返す日々で、いつの間にか少女ネイロだけはいつまでも変わらずに傍らに在るような錯覚をしていた。



――――結局自分が一番ネイロを傷付けていたのだと、今更気付いたところで何が変えられるというのか。


ただ…今はあの春の日向のような柔らかな音色が無性に恋しくてたまらない。


現在いまの自分を歌わせる事が出来る、唯一の音色ネイロが。








































































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