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その頃

「いやはや…何とも強烈な『告白』だったな…」


ゾリゾリと顎の無精髭を撫でながら呆気にとられたように呟いたのはラルゴだ。

ネイロは晩餐まで部屋で休むと言ってサロンを出て行き、その場には代わり映えのしない男三人組が残された。


「…『私の唯一で私の全て』とは、愛の告白でもなかなかここまで熱烈な台詞は滅多に聞けませんよ」


肘掛け付きの椅子に深く沈み込むようにしてもたれたリフレの声には、原因不明な疲労感が漂っている。


「……驚くのはソコだけじゃねえだろーがよ。ったくあの小動物…、おとなしいだけの娘じゃなかろうとは思ったが……実は肉食か?」


以前リフレと似たような質問をして、既に同様の衝撃を味わった男は幾分立ち直りも早かった。


「…レジオ。あれであの二人は本当に両想いじゃないんですか」


「おお、どうなってるんだ一体」


「両想いは両想いなんだろーが…、なんて言やいいのか…ナニかが激しく食い違ってんのは確かだな。俺もよくは知らん」


レジオもあの二人とはつい先日再会したばかりで、それほど情報量が多い訳では無い。


ただ、最初の夜に冗談混じりで娘に『嫁に来い』的な発言をした途端、例の保護者に今にも射殺されそうな視線を浴びせられたのは記憶に新しい。


商いで各地を行き来する者は追い剥ぎや盗賊の類いの対策として護衛を雇うのが常だが、場合によってはいざという時それなりに自ら剣を振れる程度の腕も必要となる。

そしてそれは旅に暮らす流民達も同じ。

財を持たない流民にとって自らの身の安全は、各々自分自身で守らなければならないものだからだ。


“そこそこ使える腕前”のレジオの勘としては、あの楽士は楽器の腕前より余程そちらの方向に秀でているのではないかという予感さえするが、余計な詮索をするとろくな結果にならないのは目に見えていた。


流れ者の民の中には金子次第で荒事や汚れ仕事を請け負う者がいると聞くが、そうした後暗うしろぐらい素性を暴かれて喜ぶ人間はいないだろう。


―――己が生き延びる為にやむを得ない手段としてきたならば尚更。







グリフォンが一人でねぐらにこもってからまる一昼夜が経過して、二晩目の夜。


その間当人は特に何もする気が起きず、薄暗い部屋の中でただぼんやりと狭い寝台の上に寝転がって鬱々と時間が過ぎるに身を任せ、見事な自堕落ぶりを発揮していた。

――――というか、昨年の春まではこのような状態が別段珍しくも無かった。


その気になれば満座の聴衆を酔わせ感動にむせび泣かす事の出来るその男には、どういう訳だか対人関係の能力が著しく欠けており、日常生活を送る上で必須の必要最低限の愛想さえ枯渇しているため、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる情人ものずきに恵まれない期間はいつも極端なものぐさと成り果ててしまうのだが。

――――今回は既に廃人の域に達している。



宵の口に部屋の扉をコツコツと叩く音が耳に届き、男は横たえていた大きな身体をしばらく振りでのそりと動かした。


しかしそれはけして『こんな時間帯に来客とは珍しい』などど思っての反応では無く、なけなしの希望が頭の隅をよぎってほんの一瞬正気を取り戻した結果に過ぎない。


「……ネイロ……」


そんな筈も無いと知りながら男の口から漏れたのは、遅過ぎる自覚と共に己の唯一無二の存在に成った娘の名前。

気紛れに犬猫を拾うような感覚で懐にれて、いつの間にか胸の内側深く棲みついてしまった小さな子供の、名前。


(……っ、いや…そんな筈は…、だが…もしかしたら…)


などと胸の内でやけに女々しい葛藤をしながら恐る恐る古い扉に手を伸ばすと、鈍い音を立てて開いた戸口の隙間から室内へやにスルリと滑り込んで来る人影があった。


「……っ、、」


「―――捜したわグリフォン。貴方いつの間にか消えてるんだもの」


「――――…」


色艶を含んだ女の甘ったるい声が暗がりに響いて、男は自分の期待がものの見事に外れた事を知った。


そもそも有り得ない妄想だったのだ。


自分がこれまで散々無神経に振り回し、あれほど怒らせた娘が、あちらから歩み寄ってくれるのではないか、などどいう虫のいい望みは。


「………何の用だ、……マチルダ」


相手を正しく認識した男の声からはおよその感情というものがゴッソリ抜け落ちて、それは薄暗い室内にひどく無機質に響いた。


招かれざる客であるマチルダはやや怯んだものの、座長チルチェットに頼まれた用件を盾にどうにか強気を保ち、拗ねた口調で男の腕にしなだれかかった。


「何よ、そんなに素っ気なくしなくたっていいじゃない…。わざわざ今回の報酬を届けに来てあげたのに。ねぇ…?まだ宵の口じゃないの、これから私に付き合わない?」


『―――大事な話があるの』と続く予定の台詞はそこで唐突に途切れる。


男の大きな掌が不意に伸びて女の喉元をおおい、言葉を呑み込ませたためだ。


男の筋張った手指には全く力がこめられておらず、喉元にそっと添えられているだけにも拘わらず、女はまるで首を締め上げられているかのようにヒュッと息をひきつらせ、身体を強張らせた。


過去に幾度か情を交わしほんの一瞬前まで色仕掛けで簡単に落とせると踏んでいた相手が、いきなり得体の知れない狂人と化して自分をくびり殺してしまうのではないかという、訳の分からない恐怖を感じて。


「…………用が済んだなら、帰れ」


指先が肌に直に触れる寸前で止まり、薄い唇から熱の失われた短い言葉が発せられると、女はふるりと身震いをして無意識にその場から後ずさった。

自ら抱き付いたはずの相手と、少しでも距離を置きたいと“身体”が感じてでもいるかのような仕草だった。


「…グリフォン…。あ…貴方が独奏ひとりに戻るなら……、…私と…組んで…―――」


女は裏方の団員から使いの走り役目を取り上げてまでここに訪れた目的を、沈黙の恐怖から逃げたい一心で半ば上の空に口走った。



「―――お前では、俺を歌わせる事は出来ない」



まるで鏡で自分自身を見ているようだ、と男は思う。


自らに利する限りけして流れに逆らわず、己の欲求の赴くままに振る舞う事を欠片も躊躇ためらわない自己中心さ、他人に対する執着の薄さ。

物事に常に受け身の男に対して、目の前の女はかなり積極的な部類に入るという違いこそあるが。

身勝手さ加減はお互い似たようなものだろう。


気付けばいつの間にか女の姿は部屋から消えていた。


男の方にはそれほど強く脅したつもりも無く、ベタベタとまとわりついてくる相手がいささか鬱陶しかったために、不機嫌さを隠さずに対応しただけだったのだが。

女の方は死神にでも出会でくわしたような心地がしたらしく、暗がりの中でも酷く動転する気配が始終伝わって来ていた。


良くも悪くも男の常日頃の鉄板の無表情は、内側の激し過ぎる感情を覆い隠すためにも必需品であるらしい。


目を閉じて黙って歌でも歌ってさえいれば『ガタイの良い優男』で通るものを、無駄に鋭い目付きとふてぶてしく見える態度のせいで、これまでどれだけ無用の揉め事を生んで来たか知れない。


基本的にものぐさで怠惰な男が、自ら進んで厄介事トラブルに巻き込まれに行った事は一度も無いが、こればかりは相手次第でもあるため避けられない場合も多い。


身に降りかかる火の粉を払うべく、腕っぷしは必要に迫られて自然と磨かれたものの、厄介事を招き寄せる性質たちは長年改善されぬまはまだった。



男にとっての『変化』は現在いまから一年前、少女こどもの姿で訪れた。


楽士を生業なりわいにする人間が、たまたま出会でくわした行き倒れがたぐい稀な音感の持ち主とは、いったいどんな巡り合わせか。

―――ともかく男の興味が少女に向いたのは確かだった。

















































































































































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