そこ、大事だから!
ぽつりぽつりと自らの身の上を語る言葉の間合いが徐々に開いてゆき、しまいには何かを堪えるように薄紅の唇をきゅっと噛み締めて黙り込んだ娘のその様子で、三人の男達はふと唐突に我に返った。
「―――悪ぃ…、不躾にあれこれ訊き過ぎたな」
今後の身の振り方について『よく考えろ』などと大人の説教めいた事を言っておきながら、自分達の好奇心を優先させて繊細な年頃の娘の心情も思いやらず、根掘り葉掘り詮索をし過ぎた事に、今頃になってようやく気付く。
娘は大きな琥珀色の目を涙で潤ませながら、それを溢すまいと瞬きを必死で我慢しているため自然と上目遣いに男達を見上げる格好になり、そんな小動物めいた視線の直撃を受けた中年三人組は、心臓を鷲掴みされたような衝撃を受けて三人三様の姿勢でガックリとテーブルの上に突っ伏した。
―――豪奢な長椅子の隅っこに、追い詰められたような表情でプルプルと身を震わせて縮こまるいたいけな娘。
「お嬢――…勘弁してくれ…!まるで自分が初な生娘を“お買い上げ”した助平爺ぃにでもなった気分だ…!」
「すみません、すみません。つい好奇心が勝ってしまって…。―――もういっそこのまま私の娘に…」
「おおおお…おまえ、なんちゅー反撃の仕方を―――!!」
「―――…は?」
男共の狼狽えっぷりの原因が一向に解らない娘は、すんすんと鼻を鳴らして滲む涙を袖口で拭い、コテリと首を傾げて不思議そうな声を上げた。
衣服で擦れた目許がほんのり赤らんで、余計に艶を増してしまっているあたりが更に凶悪だ。
「……お前さん、そんじょそこらの野郎に拾われなくて良かったぜ。保護者があの旦那でなきゃ確実に女衒に売り払われて終いだったぞ」
「…『ぜげん』て?」
苦々しげなレジオの台詞に聞き慣れない単語が含まれていたせいで、娘の表情がキョトンとしたものに変わる。
ようは金で女を売り買いする商人の事だが、そのての知識が無いという事は、娘がそういった環境から遠ざけられていたという証しに他ならない。
「同感です。本人の身持ちの悪さはともかく、弟子を大事にしていたのは間違いないでしょう」
「…それならそれで、もうちっとばかし要領良く立ち回れないもんかね、あの兄ィさんは」
旅芸人が己の食い扶持を稼ぐために身を売る事がごく当たり前とされる世の中で、清いままの身体を保つのは並大抵の苦労では無い。
特に何の後ろ楯も持たない身では、身分や権力を嵩にきた理不尽な暴力に晒される危険が常に付いて回るからだ。
つまるところ、目の前の娘が今現在“無傷”であるとするならば、あの『保護者』がこれまでそれ相応の注意を払って守り通したという事になる。
たとえ己に関してはどれだけ爛れた女性関係を築いていたとしても、だ。
「……とにかくだ。お前さんはもういっぺん、よーく考えろ」
レジオが先程の台詞をもう一度繰り返したところで、その両脇を固める二人からは別の声も上がる。
「私はやはり定住を勧めます」
「―――俺もだ」
「おい、お前ら…。こいつが考える前に余計な口出ししてんじゃねーぞ」
「いえ、言わせて貰います!私は心配ですよ!これだけの器量良しの娘さんが、夜の酒場や街角で仕事をしなければならないなんて!今まで何も無かったからといって、これからも無事でいられるとは限りません」
「そうだぜ嬢ちゃん、わざわざ危ない道を選んで歩く事ぁない」
唾を飛ばしそうな勢いで拳を握り締めて力説を始めるリフレとラルゴ。
どちらも妻帯者の上に子持ちであるため、独り者のレジオより庇護欲が勝ったようだ。
実際、身綺麗にしてきちんと身形を整えた娘はどこから見ても良家の子女にしか見えず、このまま下町界隈を歩き回れば浮き上がる事は間違い無し。
付け加えて言うならば、男女共に背が高くガッシリした体形とくっきりとした目鼻立ちが特徴の中央大地の人間達の群れにポツリと紛れ込んだ娘は、極彩色の花壇の中に一輪だけ趣の異なる花が咲いているのと同じで、かなり人目を引くのだ。
――――身体の線の細さ、柔らかさ。
ひとつひとつが小振りで華奢な造りの部品に対して、こぼれんばかりに大きな琥珀の瞳。
同年代の娘と比べて特に小柄というほどではないにしろ、全ての造りが華奢で控え目な印象を抱かせる。
こういった“女子供”に対して男が抱く強い感情は主に二通りある。
無条件に守りたくなるか、あるいは踏みにじりたくなるか。
明確な身分制度のある世で、相手を従わせる事に慣れた人間であれば、流民の旅芸人ごときを手折る事に躊躇わないのは確実だろう。
「―――おチビ、俺達は商人だ。まるまる全部が善意からの提案てな訳じゃねえ。きちんと損得勘定もした上でお前さんを“欲しい”と思ってる。無理強いはしねえが…あいつ以外の誰かを頼るつもりがあるなら、俺達にしとけ」
「おや、結局レジオも口説いてるじゃないですか」
「しかも熱烈だな」
「……煩ぇぞお前ら」
目の前の男達とは短い付き合いではあるものの、自分に対して親身になってくれている事は娘にも何となく理解出来た。
(…こうゆうのも後援者て言うのかな?)
「ありがと…です」
見知らぬ館に足を踏み入れてから、やや張り詰め気味だった娘の緊張の糸が不意にゆるみ、男達の目の前でふにゃりと無防備な素の笑顔が晒される。
(((――――うっ…!!)))
営業用に繕われた大人びた笑みとは全く別物の幼げなその表情を目の当たりにし、とうの昔に世俗の垢にまみれ薄汚れた大人達は揃って胸の内側で嘆息した。
よくもここまでスレずに綺麗なままでいたものだ、と。
環境がいとも容易く人間を変える事を、それなりの時間を生きてきた大人達は経験として知っている。
ほんの少しの切っ掛けであっという間に底まで堕ちてゆく者もいれば、ギリギリその場に踏み留まる者もいる。
生まれつき贅沢に慣れた子供など、本来なら最底辺の暮らしに早々に音を上げて潰れるか、おかしな方向に捻くれて育ってしまいそうなものだが。
幸運にも保護者に恵まれたためか、それとも本人の資質によるものか、目の前の娘の性格や言動には、全くといって良いほど瑕疵が見当たらない。
それどころか外側を整えただけであっさり上級貴族の娘と言っても通用しそうな様子だ。
自分達が使用人として雇うにしろ養女として迎え入れるにしろ、何ら問題は無しという事で男達の意見は早くも一致していた。
問題点があるとすれば、例の無自覚色事師である保護者の出方次第だという事。
あの男が人前であれだけ独占欲を発揮しておいてあっさり娘を手離すとは思い難い上に、娘の方も保護者をそれなりに慕っているため、本人の気持ちがどちらに傾くかはまだ判らないのだ。
「実際のところネイロは彼の事をどう思っているんですか?単なる師弟というだけの間柄では無さそうですが…」
柔らかな口調でグイグイ攻めるのがリフレのやり方で、普段の商売でもこの手段が遺憾無く発揮されている。
そしてその問いに対する娘の答えは。
「…あの人はこの世で私の唯一で、私の全てだよ」
思いもよらない返答に、問い掛けた本人とラルゴは目を丸くして娘の顔を凝視した。
「―――男女の仲とかそういうんじゃ無しにね。
グリフォンは何もかも失くした私を拾い上げて、一から全部を与えてくれた。言葉も風習も違う場所に身体一つで投げ出されて途方に暮れてた私には、あの人と歩いてきた道程が“この世界”の全てなんだよ」
それが娘にとっての偽らざる真実。
生まれ変わったようなものだね、と笑う娘。
事実そうとしか言い様がないのだが、そこは説明しきれない部分が多過ぎるため割愛された。
『異世界』から来た、などと訴えて果たしてどれだけ理解されるだろう。
“妄想癖のある痛々しい娘”と、うろんな目で見られて色々とおしまいになるのが関の山だ。
「……私は、グリフォンと一夜のお相手みたいな関係になりたかった訳じゃなくて、肩を並べて歩ける相方になりたかったの。ぶら下がってるだけのお荷物じゃなくて、必要とされる人間に―――」
男達は娘が哭くのではないかと思った。
激情に堪えるようにその白い面は悲痛に歪み、身体の奥底から重い重い溜め息が絞り出される。
そして――――――。
「…恋愛に関して言うなら、一応私にだって夢があるんだからねっ…。少なくとも相思相愛が理想だし、誰彼構わずヒャッハーするムスコさんをお持ちの男の人なんて…ぜっっったいに、嫌っ!!そんなヒトと一緒になって常に浮気の心配をしなきゃなんないなんて御免だよ!呪うよ!お百度参りで不能の呪いをかけるよ!!」
ナニやら意味不明な単語を交えながら、額に青筋を立てて娘が吐き捨てた。
「あー…ようするに、あの男はお前さんの恋男としてはダメダメなんだな…?」
レジオの呆れを含んだ台詞に他の二名はガックリと肩を落とす。
――――身も世もなく泣き崩れるかと思っていた娘は、それどころでなくお怒りらしかった。




