揺れる心
「―――それで、おチビ。お前さんこれからどうしたい?」
聞茶の後にお決まりの顔触れで昼食を摂ってから、私がサロンで約束の竪琴を演奏を始めようとしていた時の事だ。
レジオさんが前置き無しにズバンと本題を切り出した。
昨夜一晩悩んでみたけど、未だにまだ自分の結論は出せてないんだよね…。
あの歌声を抜きにしても別れ難いと思うくらいには、まだ気持ちがグリフォンに傾いたままだから。
「……昨日の昼間の時点では、以前のレジオさんのお誘いにかなり惹かれてたんだよね」
「何っ?」
「ちょっと…色々あって、自立の道を探そうかな――とか思ってたから…」
一度誘いを断っちゃってるだけに、今更頼るのもなんだかバツが悪くてゴニョゴニョと声が小さくなった。
あれだけ大見栄切っといて状況が変わったからってアッサリ手のひら返すとか、……正直気まずい。
自分が厚かましい事を言ってる自覚は充分ある。
「だがなぁ――、あの兄さんどう見てもかなりお前さんに入れ込んでるぞ?」
レジオさんの目が『お前が“要らない”と言われた訳じゃないだろう?』と、言ってるのが解った。
「ですよねぇ。人目も憚らぬあの口説き方、見物客が投げ銭しそうな勢いでしたよ」
「……うっ…!」
完全に見世物になってたっぽい!?
あの時は頭に血が昇ってたから、周りの事なんか
目に入らなかったけど…!
人前で思いっきりやらかした…!!
しかも!台詞だけ抜き出したら完全に、安っぽい三文芝居そのものじゃないさ―――――!!
「まあまあ、そう答えを急かすなよ。いざとなったら俺もリフレも嬢ちゃんの身元保証人になるくらいはお安いご用だ。何だったらうちの倅の嫁に…」
「お前んとこのはまだ十二、三の小僧だろーが!しかもこいつの好みはオッサンだ!」
「そうか…、だが俺には既に嫁がいるからなぁ」
「ラルゴの戯言はともかくとして、ネイロの決断次第です。もしネイロが定住の道を選ぶなら私達はそれを支援します。…勿論、下心はありますけど」
「シタゴゴロ…」
この三人は商人だ。
商人が求めるものと言えば“利益”そのものかな。
もし私がこの人達の手を借りるなら、将来それに見合う働きで返さなければならないって事だ。
それは大仕事だとは思うけど『取り引き』としては分かり易い。
善意からの無条件の支援だとか言われるよりよっぽどスッキリする。
「ごめんなさい…。今すぐには決められそうにないです…」
「そりゃそうだな。こっちから話題を振っといてなんだがよーく考えろ。お前さんの一生に関わる問題だ。だが“こちら側”に来れば要らん苦労は減るぞ?お前さん生まれついての流民じゃなかろう」
―――ああ、そりゃまあ、気が付くよね。
これだけレジオさんちで寛いでれば、嫌でも『贅沢』に慣れた人間だと知れるに決まってる。
きちんとカトラリーを使い分けて食事をする。手順を守ってお茶を淹れる。
そして、惜しみ無く湯を使う入浴方法。
どれも『向こう側』なら―――日本なら一般人でも当たり前に甘受していた文化だったけど、こちらでは相当な高水準の生活様式になるらしい。
…私が何かする度にレジオさん達がいちいち驚いた顔を見せるから、流民の小娘の振舞いとしては規格外だって事はすぐに察したけど、今更無知を装うのは疲れそうだからやめた。
―――や、別に装わなくたって、元々そんなに大層な知識は持ってないけどね?
「……因みにレジオさん達は、私のどこらへんを見て素性に疑問を抱いたの?」
「茶は元々薬として南方の国から伝わったんですよ、ここ数十年くらい前に。それも目玉が飛び出るような価格でね。現在でこそ嗜好品としてたしなまれてはいますけど、それこそごく一部の富裕層の間に限られてます」
ふーん。そうなんだ。
「おまけにうちの蒸し風呂は北限の国から技術者を呼び寄せて造った特注の設備で、そこらの小金持ち程度の人間に手が出せる代物じゃねえんだよ」
「へー…」
なにそれ、自慢話?とか思ったてたら、レジオさんがいきなりクワッと目を剥いてテーブル越しに身を乗り出した。
「王侯貴族並みの贅沢品に“慣れてる”流民が居てたまるか!」
「ほぇ…?」
…そこまで貴重なものだとは思わなかったよ。
私が知らないだけで、そこそこ裕福な人達の間ではフツーに普及してるものだとばっかり…。
身分制度のある世界でほぼ最底辺に位置する『流民』だけど、元を正せば皆どこかの藩民で、主に国境の領地争いやら何やらに巻き込まれて土地を失い、そのまま流れ暮らす羽目になった人達の便宜上の呼び名が、いつしかそのまま定着してしまったんだって。
不運にも流浪の民となった者達の中には、僅かながら平民以外の身分の人間も含まれていて、よく旅芸人の芝居の題材に使われたりもしてる。
『血筋をたどれば元は高貴な身の上』とか『捨て子の子供が実は――』とか、いかにも大衆が好みそうな物語がそれだ。
「お嬢ちゃんの生国がどこかは知らんが、それなりに格式のある家で育った娘だと考えれば、妙に博識な点も一応納得がいく」
ちょい渋紳士のラルゴさんが茶目っ気のある表情で片目を瞑って見せた。
あー…。要するにこの人達は私がどこかの国の“没落した良家のお嬢様”か何かと思ってるんだ。
だけど『真実』よりよっぽど現実味のある筋書きだし。
…ここは乗っておくべき?
「前に暮らしてたのはずっと東の…海の向こう側の島国なんだけど…。私にも何が何だかよく分からないうちにこっちに連れて来られて、その…気が付いたら…道端で行き倒れてて…」
だいぶ端折ったけど嘘は言ってない。
お陰でレジオさん達には私が奴隷狩りか身代金目当ての拐かしにでも遭ったんだろうって随分と同情されちゃったけど、実際問題このでっち上げの身の上話で迷惑を被る人間は誰一人いないから、赦してほしい。
「…しかしそれならば親御さんはさぞかし心配しているでしょうね」
リフレさんが眼鏡の奥の碧眼を曇らせて重い息を吐き出すように呟くと、三人とも眉をハの字にして言葉を詰まらせてしまった。
「えと…あの…、両親はもう亡くなってるんです。…身内と呼べる者は誰もいなくて…グリフォンに拾われるまでずっと独りでした」
「……そうでしたか」
「苦労したんだな、嬢ちゃん」
なるべく感情を込めずに淡々と話していたつもりだったんだけど、何しろ殆んどの部分が実話だからキツい。
一度言葉にしてしまうと普段は胸の奥にしまい込んで蓋をしている気持ちに抑えが効かなくなって、じわじわ滲み出す不安で身体が冷たい水に浸かったような心地になってゆく。
誰も居ない。
だれもいない。
ダレモイナイ。
―――自分が何も出来ないただの子供であっても、向こうには当たり前のように“自分の居場所”があった。
両親がいて、友達がいて、毎日学校に通う。
時々平凡過ぎる日常に『ツマラナイ』とか言いながらも、平穏な毎日が失われる事なんかこれっぽっちも考えてなくて。
でも、『あそこ』にはもう戻れない。
『お帰りなさい』を言って、両手を広げて待ってくれている人が誰一人居ない世界には。




