聞茶
花の庭で名前も知らない花木に埋もれ、花壇の縁に腰掛けたネイロがぼんやりと竪琴を掻き鳴らしていると、ユキヤナギに似た白い花房の向こう側から、見知った二人の男達がゆったりとした足取りで近付いて来るのが見えた。
「―――おお、いたいた。部屋に姿が無いから何処に行ったかと思ったぞ、嬢ちゃん」
「ここはなかなか良い庭でしょう?アレグロ商会の先代の道楽で珍しい品種の花ばかりが集められてるんですよ」
「…ラルゴさん、リフレさん。お早うございます。―――お仕事はもういいんですか?」
「ああ、最近働き詰めだったんでな。今日は切り上げた」
「これからサロンでお茶にしませんか。良い茶葉が手に入ったんですよ」
一人きりに何となく居心地の悪さを感じていたネイロは、その誘いに応じて素直にコクリと頷いた。
(…暇だもんね)
サロンに足を踏み入れてワゴンの上に並べられた茶壺の数を目にしたネイロはあんぐりと口を開けた。
「なに…、これからテイスティングでも始めるの…?」
テーブル脇のワゴンには少なくとも十数個の未開封の壺が置かれ、壺にはそれぞれ異なるラベルが貼られている。
おそらく茶の種類や日付等が書かれているのだろう。
「『ていすてぃんぐ』とやらが何かは知りませんが…。聞茶とでも言いましょうか…、まぁ遊びですよ」
「ふーん?でもまだ新茶の季節じゃないよね?」
ネイロのうろ覚えの知識の中にも新茶と言えば初夏、くらいの適当な記憶はあった。
「…よく知ってるな、嬢ちゃん」
「色んな種類の茶葉が有りますから、少しずつ試してみるのも面白いと思いましてね。私やラルゴの商会では茶葉も取り扱うので、試飲も兼ねてのお茶会です」
そしてテーブルの上の盆に、これでもかと並べられたお茶請けは…。
(あれ…杏?それとも桃の仲間かな、シロップみたいなのに漬けてある…。あっちは見た目がエッグタルトで、手前のはマシュマロかギモーヴ…)
―――見事にどれも甘そうだった。
「じゃあ口当たりの軽い物からいってみましょうか」
手慣れた様子で茶器の支度を始めたリフレが茶壺の封にナイフを入れると、蓋が開いた瞬間ふわりと辺りに茶の香気が立ち上った。
「ああ、良い香りですねぇ」
眼鏡の奥の碧眼を細めて笑う紳士の表情は優しげだ。
仕事だからという以前に、元から茶を好んでいるのだという事がよく分かる。
茶壺を乗せたワゴンの下段には、ネイロの知るそれより幾分小さめの茶器類が数組揃えられていて、リフレは慣れた手付きで茶を淹れ始めた。
まず火炉から下ろしたばかりの熱い湯でポットやカップを温めて置いてから、一度湯を捨てて茶葉を入れ熱湯を注ぎ入れる。
充分に蒸らしてから注ぎ分けられたお茶は鮮やかな紅色で、香りも風味も正に『紅茶』そのものだ。
「キレイな色…」
「雑味の少ない味わいだな。こいつは何も加えずにそのまま飲むのが良さそうだ」
「ええ、そのようですね。―――では次です」
ほんの数口で飲み干せるくらいの小振りな茶器の中身が次々と空けられて、聞酒ならぬ聞茶はどんどん進む。
「うわっ、…まさかの緑茶!―――こっちは…プーアル茶っぽい…?」
「……詳しそうだな、嬢ちゃん」
「え?銘柄名とかはサッパリだよ…?でも味は知ってるのと似てるのも多いかな」
「なるほど…。それじゃあ、ネイロはこの中ではどれが気に入りましたか」
「私?うーん…、紅茶…紅いお茶なら五番のやつかな。緑色のお茶も懐かしくて美味しかったし。あー…、でも最後の方の発酵が強いお茶は人によって好みが別れるよね。身体に良いのは知ってるけど…」
「…身体に良い…具体的にはどのように?」
「…ダイエット茶的な?えっと…つまり、脂肪を分解…、あー…、肥満の予防とかに効くんだよ。太り難くなるの。それにお茶には免疫力を高める成分もあるらしいから毎日飲んでれば風邪をひきにくくなったりとか…?」
「是非、その辺りを詳しく!」
「へ?ただの雑学程度の知識だし、証明なんか出来ないよ」
「是非!」
「……嬢ちゃん、リフレんとこは薬問屋が本業でなぁ。素直に吐いた方が楽だぞ?」
「何気に訊問されてる!?」
つい今までまったりお茶を楽しんでいたはずが、何故かお茶の効能の説明の辺りから眼鏡紳士の食い付き加減が半端無くなってきて、ネイロは目を白黒させた。
「……つまり、嬢ちゃんの故郷じゃあ茶を飲むのはごく一般的な習慣なのか」
「うん、そう。値段も種類もピンキリだけどね。うちはコーヒーよりも紅茶党だったから毎日欠かさず飲んでたよ」
「『コオヒィ』?と言うのは何ですか?」
「あ。……えっと、苦い豆…?木の実の種の部分を煎って粉にして熱湯で濾したものを飲むんだけど…、お茶と同じ嗜好品かな」
「―――苦い汁を飲むのか?」
「苦い汁……、う、まぁ、そう言われると…その通りなんだけど。すごく香りの良い飲み物なんだよ。砂糖やミルクを入れると美味しくてね」
「…色々と興味深い話ですね」
聞かれるままにあれこれと答えてはみたものの、自分は何かまずい内容を口走ってはいないだろうかと、ネイロはチラリと一瞬考えて―――たかだか十五・六の小娘の脳ミソに詰まっている程度の豆知識などたかが知れている、と結論付けた。
そもそも元の世界でどれだけ便利な道具や贅沢品にまみれて暮らしていたとしても、それはあくまでも『消費者』としての立場で、それらの構造や仕組み、どんな材料でどういう風に作られていたかについては、全くと言って良いほど知識が欠けており、意図して隠さなければならないような重要な情報はこれっぽちも持ち合わせていないのが実情だ。
「今日の試飲は初めて扱う商品も含まれていたので、参考までに茶を飲み慣れている人の意見を聞いてみたかったんですよ。…どうでしたか?」
「どれも美味しかったよ。―――でも最後の方の黒いお茶は、蒸らす前に一度『洗茶』すると良いかも」
「「センチャ?」」
「えっと…その黒いお茶、淹れ方にコツがあって―――。あ、ちょっと道具貸りるね」
口で説明するよりやって見せる方が早いと、手近にあった茶道具一式を引き寄せて実演を始める。
「このお茶って多分、年数をかけて熟成させるほど味が良くなるやつだと思うんだけど、保存の過程でカビがついたりするから美味しく淹れるには一手間必要になるの」
急須に茶葉を入れて熱湯を注いだ直後、その湯を別の器に棄て新たに熱湯を注ぐ。
そして深めの盆を受け皿代わりにして、今度は急須の上からも全体的に熱湯を回しかけてじっくりと蒸らす。
「…確かこんな手順だったと思うんだ。ハイ、どうぞ。飲んでみて?」
流れるような一連の動作に目を見張った男達は、目の前に差し出された茶器におそるおそる口をつけて、今度は驚きに目を丸くする。
「―――茶の味が…全くの別物です!」
「…こいつはたまげた…!」
「でしょ?」
ニコニコと満足げに茶を啜る娘は、細い指先で砂糖菓子を摘まんで口に放り込み「やっぱり甘い」と口許を笑みの形にゆるめた。
「…………ますますこの子がうちに欲しくなりました」
「待て待て、それはこっちも同様だ。それにレジオの奴も同じ事言うに違いないぜ」
「レジオにあの保護者を出し抜く甲斐性がありますかね」
「さてなぁ―――」
何やら面倒な行き違いがあるにしろ、あの楽士がこの娘を溺愛しているのはまず間違いないだろうと男二人は踏んでいる。
昨年の春の時点でさえ、ただの師弟と言うよりは血の繋がりのある身内同士のような親密さが垣間見え、実は親子なのでは?と本気で思う瞬間があった。
ましてや昨日再会した時の、男女の愁嘆場にしか見えないあの一幕。
「……嬢ちゃん、いつのまにか大人になっちまって。オジサン吃驚だぜ」
「じじくさいですよ、ラルゴ」
なんにせよ、育ち盛りの子供にとって一年という時間はけして短いものでない事は確かなようだった。




