羽化
成り行き上四人で広場を出た後、適当な辻馬車を拾ってからレジオさんの商会に到着するまで、私は一言も口をきく事が出来なかった。
何故ならそれは私が、決壊した涙腺との攻防戦に必死でそれどころじゃなかったからだ。
促されるままに馬車を乗り降りさせられて、知らないうちにとあるお屋敷の一室に連れ込まれていた。
「―――泣き過ぎで目が溶けるんじゃねえのか。ほらよ、茶だ」
「うぅ……喉がイタイ…」
居心地の良いサロン風の部屋に通されて、使用人の人が運んで来たお茶をレジオさんから手渡される。
爽やかな柑橘類の香がふわりと漂う甘いお茶。
「……ハチミツが入ってる」
「ええ、ハチミツは喉にとても良いんですよ。それに美味しいでしょう?」
リフレさんの説明にコクリと頷いて、甘いお茶で喉を潤す。
ハチミツなんて随分久しぶりだ。
「嬢ちゃんは茶を飲み慣れてるようだな」
ラルゴさんが驚いたように軽く瞬きをしてるのが不思議。なんでかな?
「普段飲んでるのは香草茶だけど、本当はこっちのが好き。でも甘味を入れるのはたまにだよ。甘いものの摂り過ぎは身体に良くないから」
「……………なるほど」
「?」
三人して顔を見合わせて、驚きと戸惑いの中間くらいの微妙な表情を浮かべてる。
私、マナーか何か間違えた?
気になって首を傾げてたら、レジオさんから“気にするな”的なジェスチャーが返された。
「―――で、だ。俺としては人前でお前さんをかっ拐って来た責任もあるからな。連れの旦那が迎えに来るまでうちで好きにしてくれてて構わんぞ」
「……ありがとうレジオさん」
「因みにこっちの二人も元からここに泊まる予定だったんでな。………後で俺達に久しぶりにおチビの歌と竪琴を聴かせてくれ」
「うん…」
レジオさん良い人だ。
…時々トンでもなく残念な一面があるけど、それを差し引いてもすっごく頼れるオジサマだと思う。
「レジオ、年頃の娘さんに対していつまでも『おチビ』は失礼ですよ」
「あー、悪い悪い。つい以前のクセでなぁ…」
「―――いやそれについては自分も驚きだ!この嬢ちゃん、昔の面影はあるが一気に三、四年分ぐらいまとめて成長した感じがするぞ?」
「ラルゴまで何ですか」
懐かしいなあ、この感じ。
一年前は殆んど言葉が通じて無かったけど、それでもこの三人の掛け合いは楽しかった。
ノリが良いと言うか、何と言うか。気が合う者同士の砕けた雰囲気がほっこりして、妙に居心地が良い。
思わずクスリと笑いが溢れた拍子に、睫毛の端に引っ掛かってた涙の滴がポロリと落ちて、また衣服の襟元を濡らした。
「…休める部屋に案内しよう。夕食の時刻になったら声を掛けるから、それまでゆっくりしてるといい」
力仕事もしてるらしいレジオさんのゴツゴツした大きな掌が、無造作に私の頭をクシャリと掻き混ぜる。
その温かさに、グリフォンの筋張った長い手指を思い出して、また少しだけ泣きたくなった。
*
アレグロ商会は首都ではそれなりに名の知れた商家として街の目抜通りの一等地に大きな店舗を構えており、広い敷地内の一画には遠方から商談に訪れた〈客〉をもてなす為の舘が造られている。
ネイロが招き入れられたのは、そういった建物の内でも当主の身内やごく親い間柄の者だけが使用を許される奥向きの一棟だったが、招かれた当人は無論そんな事は知るよしも無く、与えられた部屋でただボンヤリと時間を過ごしていた。
「失礼致します、お客様。夕食にはまだ少々時間がありますので、湯殿をお使いになられては如何でしょう。既に御用意は整っておりますので」
部屋の外から使用人らしき女に声を掛けられ、特にする事もなかったネイロは気分転換にと思い、誘われるまま案内の女の後を付いて行くことにした。
案内役の使用人は初老と言って差し支えない年配の女で、ふっくらとした体型に始終ニコニコと笑みを浮かべた人の良さそうな人物で、冷静さが戻り『見知らぬお宅に上がり込んだ』という自覚がジワジワと迫り始めていたネイロにとっては、無駄な緊張を強いられる必要の無いありがたい人選だった。
「うわぁ、サウナだー」
湯殿に足を踏み入れたネイロは思わず感嘆の声を上げた。
天国に落ちて来てからというもの、風呂といえば盥等の浅い浴槽に湯を張ってその中で全身を洗う沐浴が主流だったため、ここでも同様のものを想像していたのだが、その期待は良い意味で裏切られた。
壁のある四阿のような造りの湯殿は、大人数人が余裕で手足を伸ばして寝転がれる広さがあり、熱く焼けた石に水を掛け室内を蒸気で満たして温まる、いわゆる『蒸し風呂』形式の風呂だった。
しかも内装が大理石と色鮮やかなタイルの豪華版の上、採光の為に天井付近に設けられた小窓には硝子が嵌まっている。
こちらの生活水準で考えればとんでもない贅沢だろう。
「…まぁ。蒸し風呂をご存知でしたか?」
「ご存知っていうか、知識としてなら。本格的なのは初めてです!」
世界一の風呂好き民俗の国で暮らしていたネイロにとって、テレビや雑誌の旅行特集でしょっちゅう取り上げられるサウナは馴染み深いものだ。
地方の温泉地でなら何度か入った経験もある。
「入浴にお手伝いが必要でしたら人手を寄越しますが、如何なさいますか?」
「あ、大丈夫です。一人で出来ます」
昨日に引き続き、滅多に利用出来ない風呂を使えるとあって、ネイロは気合いを込めて全身をピカピカに磨きあげる事に決めた。
(こんなお風呂に入れる機会なんて、そうそう無いもんね)
じっくり温まって沢山汗をかいた後、水盤に張られた冷水を手桶で掬ってザブリと頭から被り、洗い場で頭の天辺から爪先まで丁寧に洗う。
荒く織られた麻布で異世界初体験の石鹸を泡立てて、それこそ全身くまなく磨き上げた。
『ふー…、気持ち良かったぁ…』
洗い上がりのスッキリした感触に感動しながらサウナを出て、再び移った控えの間がこれまたただの脱衣場とは段違いの快適さ。
広い室内には寝そべって休む為の長椅子が幾つも置かれ、テーブルの上には喉を潤す為の冷えた飲み物が用意されている。
『至れり尽くせりだ…』
元の世界にいた頃でさえここまで痒い所に手が届く生活ではなかった、とネイロ思う。
(だって庶民だから!)
湯上がりに身体に巻き付けていたバスタオル(のようなもの)を外し、脱いだ服を畳んで置いたはずの籠に手を入れ―――首を傾げた。
そこに置かれていたのが着慣れた自分の衣服ではなく、裾の長い見慣れない女物の衣装だったからだ。
『…これ、着ろってこと?』
他に着る物も無いので仕方なく袖を通して身形を整える。
デザインはシンプルでも肌触りが半端なく心地良かった。
(―――まさかの絹!?……なワケ無いか…)
サラサラと布地が肌を滑る感触が楽しくて、くるりとターンをした瞬間、ごく間近に人影を感じてハッと我に返ると、そこには見慣れない格好をした自分と同じ年頃の娘が立っていた。
『―――――――っ!!!』
(び……っ、ビックリした、ビックリした、ビックリしたぁ―――――!!っ、て鏡か――――っ!!)
自分が驚いて仰け反った瞬間、相手が同じポーズをしたためすぐに気が付きはしたものの、約一年ぶりに目にした『自分』の姿を見てそれと認識するまで、たっぷり数秒は掛かってしまった。
全身が映せる姿見などという贅沢品が普段身の回りに無いせいだ。
『……にしても、この顔。お母さんそっくり……』
ちょっとしたドッキリに遭遇した気分だった。
成長期で急激に身長が伸びるのと同時に、まるで小枝のようだった細い身体が丸みを帯びて、それなりに『出る箇所は出て、括れる部位は括れる』という見事な発育を果たしたため、短期間で一気に成人女性と変わらない体型が完成したもようだ。
しかも元々明るめの栗色だった髪が日焼けで更に淡い色に変わったせいで、見た目の別人感が半端ない事になっている。
『…ダレコレ』
鏡の前でしばらく呆然と立ち尽くしていると、先程の使用人が迎えに来てテキパキとネイロの髪を結い上げ、「広間で皆様がお待ちでございます」と告げた。




