反抗期?思春期?
《暁の女神》一座の舞台はひとまず成功を納めた。
主演女優の不調による終盤での思いがけない事故が紙一重で回避された事によって、興行収益に影響が出る事態だけはどうにか免れた事に、一座の誰もが胸の内で盛大な安堵のため息を落としていた。
――――それどころではない、約一名を除いて。
演目が一通り終わると観客の約半数は思い思いの金額の硬貨を見料として支払い、それぞれ新たな楽しみを求めて祭の会場へと移動を始め、残りの半数は各々“お気に入り”の役者とのちょっとした会話や握手を求めて、彼女達の元にこぞって押し寄せていた。
「キャー素敵ぃ!ロメオ様握手してーっ!」
「ちょっとアナタ、抜け駆けしないでよ!」
「何よ、そっちこそ!」
そしてその影響は単なる助っ人楽士の方にも波及していた。
この日に備えて見映えするようにと弟子に整えられた身形のお陰で、たとえ三白眼でも多少無愛想でも、見てくれだけなら文句の付けようの無い『色男』に仕立て上げられてしまい、興奮した若い娘達に取り囲まれて、男はサッパリ身動きがとれない状態でいる。
本人としてはこんな事をしているより少しでも早く弟子と話をつけて、さっさとあの妙な誤解を解いてしまいたかった。だが、ここで観客を押し退けでもしようものなら、後から座長代理にどんな目に合わせられるか知れたものではない。
現実に、周囲に集まった観客に愛想笑いひとつ向けるでも無くただ突っ立っているだけの男に対して、ベロニカは笑いながら額に青スジを浮かせてガンを飛ばしてきている。
(――――何やってんのよ、アンタ!!ちゃんと仕事しなさいよ!後ろ掘るわよ―――っ!!)
ナニやら背筋がザワリとした男だった。
そうして渋々ながら表情筋を総動員させて営業用のアルカイックスマイルを浮かべた際に、何故か男の正面にいた町娘が数名、顔を真っ赤に染めて膝から崩れ落ちるというおまけが発生し、男の周辺は更に混乱する羽目になった。
しばらくの間一座の芸人としての対応に追われ、ふと我に返った男が弟子の様子を気にしてその様子を窺うと、先程まで舞台袖でひっそりと佇んでいた娘は、いつの間にやら数人の客と会話を交わしているところだった。
己と違って客あしらいに長けている弟子には特に珍しい光景でも無いが、男は少しばかり違和感を覚えてその『客』の顔をよくよく見直した。
(…どことなく見覚えが、あるような…)
違和感を覚えた理由のひとつは、弟子のその表情にある。
完全な営業用ではない、素に近い笑顔を相手に対して向けている。
接客はそつなくこなしていてもその実、弟子は一年前の暴行未遂事件以来、男に対してかなり警戒心が強い。
客にそれと気付かせるような真似はしないものの、普段は一分の隙も見せない徹底した営業用の仮面を装備しているのだ。
(それが、どういう訳だ…。会ったばかりの相手にあれほど親しげな表情を……―――、会ったばかり?…―――違う…)
角度を変えて様子を窺えば、三人いる男のうち一人はつい先日一年ぶりに再会した商人ではないだろうか。
――――と。ここまで思い返して、男の記憶は芋ヅル式に呼び覚まされた。
(…残りの二人…か…、)
昨年カレニアの宿で、まだ言葉も覚束ない少女だった弟子を何かにつけて可愛がり相手をしていた男達。
ネイロが宿の娘に教えた『オセロ』とかいう遊戯の一件では、居合わせた商人一同の食い付き加減が半端なく、若手(?)三人組もかなりはまっていたと記憶している。
事実再会したレジオはネイロの振った商品の話題にここぞとばかりに飛び付いて、改善点やら何やらヒントを得たあげくに保護者の目の前で引き抜きを仄めかし、更には『嫁に来い』などとふざけた事を抜かしていた。
ネイロと出逢って間もない頃の自分であれば、身請け同然の誘いだとしても弟子を手放す事に躊躇いを感じたりしなかっただろう。
たとえ下女と変わらぬ扱いだとしても、住処さえ定まらぬ流民のままでいるよりは、主の後見を受けて戸籍を得る方がよほど安定した生活が出来るに違いないからだ。
だが、今となっては――――例えそれがネイロの為になるとしても、男には素直に祝福して手放してやる事などとても出来そうに無かった。
気が付けば男の身体は人垣をすり抜けて、話し込む四人の視角から歩み寄り、小柄な身体を掬い上げてガッチリと自らの腕の中に囲い込んでいた。
「――――こいつらに、お前はやらん」
言葉は自然と口から転がり落ちた。
「他人の嫁にくれてやるぐらいなら、俺が、一生面倒をみる」
すると何故か男の腕の中の兎の表情は、みるみる険しくなっていった。
「……そんなに簡単に“一生”なんて口にしないで」
怒りを滲ませたネイロの声で、男はふと我に返った。
抱き上げた腕の中でジタバタと暴れだした娘をそっと地面に降ろすと、二つの琥珀が男の深緑の双眸をヒタリと捉える。
「―――ネイロ?」
困惑気味に名前を呼ばれた娘は呆れたように、ふぅ、と息を吐き出した。
「……言葉も何も通じない、見ず知らずの小娘を拾ってくれたグリフには、とっても感謝してる。出来れば私はグリフの片腕としてずっと一緒に旅がしたかったけど…。お荷物になりたい訳じゃないんだよ」
「そんな風に思ってなど…!」
いきなり目の前で痴話喧嘩のような会話が始まり、三人の男達は目を白黒させて大小の『知人』を見比べた。
「……いいよ、気を遣ってくれなくても。グリフに窮屈な思いさせてるのは解ってるんだから」
「…何を…」
「いつも“恋人”と別れ際に拗れてるのって私のせいでしょ?そりゃあ、こんなおっきな付録が付きまとってたら、まとまる仲もまとまらないよね。
一人なら好き放題出来るのに律儀に私の世話を焼いてくれて、逢い引きだってわざわざ場所を変えなきゃならなくて…」
「それは…違っ…」
「違わないでしょ?!何べんグリフのお相手に『あの小娘とアタシとどっちが大事なの!』って罵られたと思ってんの!」
「………すまん」
「それでも今まで“私的なお付き合い”を共同の生活空間に持ち込まないでくれてたから何とかなってたのにっ…」
ジンワリと目許に滲んできたものを懸命に堪えて、ネイロは言葉を続ける。
「……グリフと並び立てるような奏者になりたかったよ。そしたら堂々と胸を張ってグリフの相方を務めていられると思ったから。―――でも!グリフが恋人を取っ替え引っ替えしながら、目の前でイチャイチャするのに付きまとえるほど、私、神経太くないんだよ!!」
兎が、吼えた。
ここまでくると一座の周囲に集まっていた人間達も、この何やら痴話喧嘩めいた雰囲気に気が付いて、興味津々で成り行きをチラチラと窺い始めた。
単に懐かしい相手との再会を祝うつもりでやって来ていた商人三人組も、この展開には可愛がっていた娘の連れの楽士を見る目の温度が急速に下がってゆく。
「楽士の…、そりゃあねえだろうよ…」
「…あんたはもう少し分別のある男に見えたんだがな」
「これはなんとも…残念な人ですねぇ…」
「っ、…それはっ…」
―――それは、日頃積み重ねてきた行いの報いとも言う。




