開幕
――――《春節祭》当日。
首都の中央広場に隣接する神殿前は、早朝から礼拝に訪れる人々で溢れかえってた。
多神教の中央大地では土地によって信仰を集める神は異なるものの、豊穣と繁栄の象徴である《大地母神》とその旦那様で万象を司る《天空神》は神々の始祖として何処でも別格の扱いを受けてるんだって。
そしてその二神から誕生した数多の次世代神の中には、歌舞音曲といった芸技―――いわゆる芸能を司る神も存在していたりするらしい。
要は私達みたいな芸人が、いの一番に拝んどくべき神様って事かな。
「どーか今日の舞台が成功しますように~!《暁の女神》一座に《楽神》の御加護を~!!」
朝食の後、大きな仕事の前の恒例行事だとかで身仕度の済んだ団員全員で神殿に礼拝しに来た。
ここが神社ならパンパンと柏手でも打つ場面かもしれない。
真剣にお祈りするベロニカさんの鬼気迫る表情は、礼拝と言うよりむしろ丑の刻参りだ。
今回の興行では本番直前になって主演女優二人が欠けるという不運に見舞われ、座長代理の身には相当な心労だったんじゃないかと思う。
何の後ろ楯も無い流民の生活の実情はかなり厳しくて、一回の失敗が大打撃に繋がる場合もある。
座長の判断ひとつに皆の生活が肩に掛かってると思えば、結構重たい役職だ。
「《楽神》ってどんな神様なの?」
神話とか宗教にそれほど興味は無いけど、一応聞いておく。
芸人の守り神みたいな神様なら、拝んどけば御利益あるかもだし。
「神殿の壁画やレリーフなんかには竪琴を抱えた若い男の姿で描かれる事が多いわよねぇ。―――どっちかって言うと優男系?」
「そーそー、そんでもって奥さんが大勢いるのよ~。何しろ別名『愛欲の神』って呼ばれてるぐらいでね。あらやだ、見た目以外は誰かさんと被ってるじゃない~。オホホホホ!」
………ロザリー、アマンダ、ビビアン。
昨夜の女子トークで愉快な仲間達の面々とはすっかりお馴染みさんになってしまった。
素顔も年齢も本名も謎のままだけど、みんな結構イイ人達だ。
「さぁ、気合い入れなさいアナタ達!これからが本番よ~!!」
「「「「「ハイッ!!」」」」」
激を飛ばすベロニカさんの掛け声に、私もお腹にぐっと力を込めて気持ちを切り換える。
しっかりするんだ、私!
グラグラ揺れてる場合じゃない。自分の足で立つんだよ。
仮にも楽士の弟子を名乗るなら、自分の役目は果たさなきゃ。
…ごく至近距離から何だか物言いたげなグリフォンの視線を感じるけど。―――物凄く感じるけど!
今は後回し!
……………………………視線が、視線が物理的に痛い。
眼力半端無い!
頭上から見下ろされる形で、ザクザク突き刺さるよ!
やめて、頭が禿げる。
人の身体に穴を開けたいのかこの男。
話は後からだって言ったよね!?
――――舞台は幕を開ける。
広場には他の同業者や他の見世物小屋がいくつもかかっていて、それぞれ張り合うような客引きの声がとても賑やかだ。『選ぶ』のはあくまで観客だから、そりゃもう必死。
始めに木戸銭を取ってお客を囲い込む芝居小屋と違って、露天の舞台は立ち見の上“出入り”が自由だからツマラナイと思われればそれまで。
最悪タダ見されて一文の売り上げにもならない、なんて事も有り得るワケで。
「―――さあ皆さん!本日は《暁の女神》一座にようこそ~!!」
『女優しかいない一座』というのも完全なウリ。
綺麗どころから飛び道具まで幅広く取り揃えております!的な感じ?
一座の看板を背負ってる宝塚風味な美形さんと正統派美人がズラリと並ぶその隣には、極彩色の衣装に身を包んだ女形達がお色気を振り撒きながら堂々と胸を張ってポーズ。
通り掛かった人達は見目麗しい男装の麗人や華やかな美女に見とれて足を止め、笑劇的(?)な風貌でクネクネと身を捩る女形から投げキスを受けてお腹を抱えて笑い出す。
「なぁにアレ~、アハハハ!」
「面白そう!ちょっと見て行こうよー」
「え?ロメオとジュリアナ演るの?私あれ好きなのよねぇ~」
―――とまあ、こんな具合で。
一番最初は賑やかなダンス。
五組の男女のペアに扮した女優達が、複雑なステップを見事な足さばきでこなす。
列を組んだり輪を描いたりとにかく動きが激しい。
上体をあまり動かさずにビシッと背筋を伸ばすスタイルは、なんとなくアイリッシュダンスにも似てる。
くるくる翻るスカートの裾が目まぐるしく観客の目の前を通り過ぎて、その一糸乱れぬ美しい動きに思わず周囲のあちこちから感嘆の溜め息が漏れる。
もちろん演奏の方も抜かりはない。
グリフォンのギタールと私の竪琴、それから手風琴にヴィオール。笛が何名かと打楽器もスタンバイ。
やがて踊りが最高潮に達したところで一旦曲調がガラリと変わり、舞台の上の踊り手達が中央からさっと二手に割れると、今度はその奥から優美な弧を描く曲刀を手にした踊り娘が姿を現す手順になっている。
――――マチルダの剣舞だ。
異性の視線を一瞬で釘付けにする美しい面に艶やかな笑みを浮かべ、“女”そのものの魅惑的な肢体を惜し気もなく見せ付けながら、足を踏み鳴らしてリズムを刻む。
その圧倒的な存在感。
彼女がこの一座の花形のひとりであるのは間違いない。
(……うぅ。羨ましすぎるナイスバディ!揺れてるし!弾んでるし!たゆんたゆんと!)
誰からともなく自然と沸き起こった手拍子にいやがおうにも場の雰囲気は盛り上がる。
そして観客の目がマチルダ一人に向いている間に舞台の下手に下がった踊り手達は、後ろの天幕風のスペースで大急ぎで衣装替え。
今度は『役者』としての出番が控えている。
小道具の準備やら何やらで微妙な間合いが生まれると、一座で狂言回し的な役割を担う女形達がすかさず全面に出てコミカルな寸劇でフォロー。やるなぁ。
そしていよいよメインの演目という段になって周りの様子を窺うと、その頃には観客の意識はすっかり舞台の上に吸い寄せられているようだった。
私は劇中で奏でる曲を頭に思い浮かべながら、その手順を何度も繰り返しイメージする。
何しろぶっつけ本番とたいして変わらない状況だから緊張するのなんのって…。
――――そんな中だった。
始まった歌劇の最中に微かな違和感を感じたのは。




