夜鷹
短めです。
男が廊下でベロニカに連れられて行くネイロの後ろ姿を見送って部屋に戻ると、そこにはもう女の姿はなかった。
待たれたところで女の求めに応じるつもりなど欠片も無かったが、妙な誤解の種を蒔かれてしまった事に関しては一言物申したい気分であった。
――――に、しても。
女絡みの問題を起こしてネイロに呆れた目を向けられるのはいつもの事だが、今回は何故かそれだけでは済まされなかった。
男は弁明の余地すら与えられず、あっさり三行半を突き付けられた格好になってしまったのだ。
何故だ。そんなに俺が信用ならないのかと憤りかけて、ふと男は普段の自分の諸行を思い出し、女性問題に関しては寧ろ小指の爪の先ほども相方に信用される要素が無い事実に、今更ながら気が付いて愕然となった。
――――いつもの事。
そうだ。いつもの事だ。
自分が相手を選ばないのも、押し倒されればそのまま流されて朝帰りになるのも、ごくごく当たり前の日常。
そしてそれは仕事でも同じ事が言えた。
今まで組んだ相手とは、なんやかんやと揉め事が起きる度あっさり別れて単独に戻り、それを特に惜しいとも残念だとも思わずにいたのだ。
今回も同じ事なのかもしれない。
今手を離せばきっとあの兎娘は好きなところへ跳び跳ねて行くだろう。
全く言葉が通じなかった一年前とは違い、現在は日常会話で不自由しない程度には共通語が上達している。
新たな仕事を探すにしても、あの器量と人当たりの良さならさほど苦労せず次の職を得られる可能性さえある。
――――と、ここまで考えて男はとある商人の顔を思い出した。
『………うちの商会で働かないか――――…なんなら俺の嫁に来い―――…』
(…………………“嫁”………………?)
(…………誰が、…………誰の?)
「……嫁……」
あの時ネイロは何と言った?
「気持ちは嬉しかった」と、そして「いつか嫁に行くなら本当に好きになった人のところに嫁に行く」とも言っていたような…。
“年頃の娘が嫁に行く”実に当たり前の事だ。
十六にもなれば町娘なら縁談の一つや二つ舞い込んでもおかしくはない。
そこまで考えて「今のところグリフが一番」だと笑いながら話していたネイロを思い出し、僅かに気分が浮上したところで、連鎖的に次の台詞も思い出した。
『身持ちの悪い人はお断り』
男は今だかつてない絶望的な気分に陥った。
*
朝になって館の食堂で顔を合わせた二人は、それぞれ神妙な面持ちでお互いの様子を確かめあった。
「…おはよ、グリフ」
「ああ…。昨日の件は…、お前が考えているようなものじゃない。今日の仕事が終わったらきちんと話そう」
「うん。今後の身の振り方もあるしね…」
「だからそれは…!…っ、とにかく引き受けた仕事を全うしてからだ!楽士を名乗る以上半端な仕事はするべきじゃない」
「ん…、わかった」
そしてその様子をベロニカと愉快な仲間が少し離れた位置から眺め、揃って溜め息を落としていた。
「……何やってんのかしらアレ」
「『俺の女はお前だけだ!』ぐらいの台詞を吐きなさいよォ~」
「そこら辺は期待するだけ無駄よ、ムダ!あの男、いっつも女の方から寄ってくるもんだから、相手の機嫌取りなんかしたこと無いのよ!!」
「…今までよくそれで客商売がやってこれたわねぇ…」
「ほんとホント~」
ヒソヒソと声を潜めてやり取りをする女形達の更にその後ろでは、噛み合わない会話を繰り広げる師弟の姿を遠目に、コッソリとほくそ笑むマチルダがいる。
(…なぁんだ、拍子抜け。これならすぐに落とせそうね)
そもそもマチルダが元情夫にちょっかいを掛けたのは単なる思い付きで、特に思惑があっての事ではない。
ただ男を口説く際に自ら口にした言葉が、時間が経つにつれて何となく良い考えにも思えてきて、次第にマチルダの心の天秤は『それも有り』の方向に傾きつつあった。
現在の《暁の女神》一座での踊り子としての花形的な立ち位置も悪くはないにしろ、常に異性からチヤホヤと持て囃されていたいタイプの女にしてみれば、周囲が『女性だらけ』という状況はけして満足のゆく環境では有り得ない。
(―――旅慣れた連れ合いなんてそうそう見つかりっこないし…良い機会よねぇ…?)
『次』への足掛かりにする相手が好みの男であるなら尚更この機は逃せない。
(あの子には悪いけど…本気で狙わせて貰おうかしら…)
久し振りにマチルダの胸は躍った。




