寄り添う
な んだか頭 が ふわふわ する。
からだ も ゆらゆら 揺れてる し…?
きもちいーけど…ちょっとだけ、こわい…かな。
だって、いま自分がどこにいるのかわからなくなるから…。
―――――だからおねがい。
わ たし を 呼ん で……?
*
「―――――ネイロ?」
腕に抱き上げていた酔っ払い娘がふと小さな嗚咽を漏らしたような気がして、男の口から自然とその名前がこぼれ落ちた。
貸し与えられた部屋の寝台にその身体をそっと下ろしたものの、華奢な腕は意外な程の強さで首に絡まっていて、力ずくで引き剥がす気にもなれなかった男はとりあえずそのまま隣に横になる事にした。
ネイロが酒に弱いのは早い頃から分かっていたため極力目を配るようにしてはいたのだが、時たま今回のような手違いがあってうっかり口にしてしまう事がある。
子供が嗜む程度のごく薄めた果実酒でこうだ。
危なっかしくて仕方がない。
窓から射し込む光河の明かりだけが頼りの部屋では、ぼんやりと顔の輪郭が見えるだけでその表情までは見て取ることが出来ない。
悪い夢でも見て魘されているのなら、起こした方が良いのだろうか。
男は数瞬躊躇った後に再び、腕の中の娘の名前をその耳許でそっと囁いた。
「ネイロ――…」
薄闇の中で琥珀の瞳がぱちりと開く気配がした。
「………グリフ………」
吐息のようなか細い声が男の名を呼ぶ。
「怖い……、こわいよグリフォン……どこ…?」
「―――ここに居る。…どうした?何をそんなに怯えてる」
「だって…。また……知らない場所に落ちたのかと思って…」
今にも泣き出しそうな声で語る娘。
言っている意味はよく分からないが、カタカタと小刻みに震える身体からも本気で何かを恐れている事が伝わって来る。
「大丈夫だ…」
男は娘の背に回していた腕を伸ばし、その身を更に懐深く引き寄せて腕の中に囲い込んだ。
正気の時であれば頬を朱くしてジダバタと暴れる筈の子兎が、今はされるがままに大人しく腕の中に収まり、縋り付くようにきつくしがみついて身を震わせている。
これがただ夢見が悪いというだけでの怯えようとは、とても思えなかった。
(――――己の知らぬ理由があるのだ)
そう考えた瞬間、男は何故か胸の片隅にチリリと焼けるような痛みを覚えた。
思えば男は未だにこの娘の事情を何一つ知らない。
――――生まれも、育ちも。
何故あのような人気の無い場所に行き倒れていたのかすら。
娘が言葉を解するようになっても、男も多くを訊ねはしなかった。
男が娘の身の上について知っている事と言えば、親と死に別れているという事くらいか。
別にそれ以上の事を根掘り葉掘り訊きたい訳では無いが、己の知らぬ理由で目の前でこうまで怯えられては気に掛からぬと言えば嘘になろう。
「ネイロ…、俺はどうすればいい…」
出来るだけ穏やかな手付きを心掛けながらゆるゆると背中を撫で続けていると、固く強張っていた身体から徐々に力が抜けて、次第に震えも治まり始めてゆくのが感じられ――――。
やがて眠りに落ちる寸前のどこかぼんやりした響きの声が、ぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始めた。
「…もう…独りは嫌だ…。グリフ―――私、傍にいてもいい……?………ずっと、いていい……?」
「―――――――」
「……………だめ…………?」
「………駄目なものか」
「ほんと…?嬉しいな……」
「―――好きなだけ傍にいろ。お前が俺を要らぬと言うまでは、俺がお前の“対”だ」
――――僅かな沈黙が降りた後に、くふり、と小さく笑う声が聞こえ―――…
「あのねー……いつかそのうち…グリフの“彼女”に加えてほしーなぁ……なんて…ね…………すぅ―――」
言いたい事を言い終えて気が済んだのか、娘の幸せそうな寝息がシンとした暗がりの中に密やかに響き始めた。
「…………なに…………?」
そして眠りから取り残された男は、酔っ払い兎の戯言に翻弄され一人悶々と長い夜を過ごす羽目になり、明け方ようやく眠りにつけたと思ったら、いくらも経たぬ内に弟子の意味不明な叫び声で叩き起こされて、その日は前の日にも増して女達から興味津々な視線を向けられる事になったりするのだった
*
『んにゃああああああ――――――――!!!』
夜明け間近の薄明かりで満たされた小部屋に、けたたましい叫び声が響き渡る。
その発生源は寝乱れたあられもない姿で男の上に跨がる娘。
『……朝チュンっ!?朝チュンですと!?……ナニユエ……なにゆえ記憶が無いのか、私ぃぃィっ――――!!うおおおおぉっう!!』
年頃の乙女にしては微妙な雄叫びを上げて、組み敷いた男の身体の上でガックリと四つん這いの体勢になるネイロ。
『しかも!またしても半裸!!―――はっ、よく見れば私も脱いでる!?』
「何を言っているか解らんが…。脱がせたのは俺じゃないとだけは言っておこう」
『なんですと!?』
「どこかの酔っ払った茶色い兎が夜中に暑い暑いと言いながら服を脱ぎ始め、朝方になったらなったで今度は寒いと人肌目当てに俺をひん剥いたんだが…」
「うわぁ…」
―――――痴女の所業だ。
目覚めた途端気を動転させまくり、母国語をまくし立てるネイロ。
男の方はと言えば全くの通常運転で、取り乱した様子の弟子の日本国に実に的確な予想で返答。
結果的に何故かきちんと会話が成立しているので問題は無いようだ。
「…とりあえず俺の腹の上から退いてくれるとありがたいが」
「……!」
男に指摘されたネイロは「そーだった!」と言わんばかりに慌てて男の身体の上から飛び退き、着崩れた衣服を整えにかかった。
男の方は余裕綽々のゆったりとした動作で身体を起こすと、ざんばらに乱れて顔にかかる髪を手で掻き上げながら、ふぅ、とわざとらしい溜め息をついて見せている。
(うわー…、エッロエロだ―――。朝からコレ!?)
身繕いを終えて自分の身体に特に違和感を感じなかったネイロは、今回も添い寝止まりの未遂であると確信したものの、何やらかなりいたたまれない気分を味わっていた。
(うう……穴があったら入りたいぃ……)
夕べは気持ち良く歌っているところでプツリと記憶が途切れてしまっていて、何故この状況に陥っているのかがさっぱり分からないのだ。
(添い寝の度にグリフォンを剥きにかかるとかっ。絶対オマエはどんな欲求不満を抱えてるんだ、とか思われてるぅ――――!!)
そのグリフォンは少しばかり探るような視線をネイロに向けた後、小さな溜め息と共に手を伸ばして茶色い頭をくしゃりと何度もかき混ぜた。
「お前はもう人前で酒を飲むな」
「―――お酒?……昨日のあれ、お酒だったの?全然気が付かなかった。甘くて美味しかったけど…」
「………はぁ。二人だけの時になら、たまにくらいは大目にみる」
普段あまり無理や我が儘を言わない娘の本音が覗ける事もあるだろう――――とは男は口にしなかった。
そもそも夕べの“あれ”が本音かどうかすらも判断しかねているのだ。
酔っ払いの言動ほどアテにならないものは無い。
ただ、あの言葉に密かな歓喜を覚えた自分はかなり手遅れな状態に違いない―――と男は思った。




