酔っ払い兎のメドレー
またか、とネイロは思う。
酒席での営業で相方が女に取り囲まれるのはよくあるパターンだ。
お色気自慢の玄人の姐さんにしなだれかかられても顔色ひとつ変えない男、グリフォン。
「そこが良いのよ!」とは以前馴染みになった娼妓のお姉さまのお言葉。
「女に色目を使われてデレデレ鼻の下を伸ばすような男は底が知れてる」んだそうな。
右手に金髪美女、左手にピンクのゴリマッチョ。
「わー…両手に花だね、グリフ」
金髪美女の方は誰が見ても申し分のない『お相手』。
ゴリマッチョの方も本人の好みであるなら、それはそれで良しだ。
相方の色恋事情に関して一切口出ししないと決めているネイロは、今回も生暖かい視線を送るに止めて食事を再開する事にした。
情婦(?)に両脇を固められ、それその様に眉間に深い溝を刻むほど不本意ならば自力で何とかすれば良いのだ。
「まさかグリフォンが女の子の弟子を取るなんて思わなかったわ。意外だわー」
グリフォンとネイロの真ん中に割り込んだマチルダは、自分達のやり取りに我関せずでマイペースに食事を続けるネイロをチラリと見て、フンと小さく鼻を鳴らした。
ほんの一瞬で上から下まで値踏みをして自分の方が“上”だと確信したのか、勝ち誇ったような笑みを浮かべると改めて男の顔を覗き込んだ。
――――相変わらずの男前。これなら今回も相手をしてあげてもいい。
この一座ときたらマトモな男が居やしないんだもの。
「あら、杯が空いてるわよ?さぁどうぞ―――」
にこやかな表情で酌をするマチルダの姿は、見ようによっては山猫が大鷲を攻め落としに掛かっている図にしか見えなかった。
一方その隣では。
「ねぇねぇアナタ、何か弾いてくれない?昼間の音合わせも凄かったけど、他の楽曲も聴いてみたいわ。アタシ達もたまには他人の演奏を聴きたいのよね~」
「そうそう!」
「良いですよー」
旺盛な食欲を発揮しておかわりまでペロリと平らげたネイロは、ベロニカの愉快な仲間達からリクエストを受けて匙の代わりに竪琴を取り上げた。
どんな曲にしようかと僅かに考え込んで、ふと相手も玄人の集団だという事を思い出し、ならば珍しい曲の方が喜ばれるのではないかと久々に“故郷”の曲をチョイス。
同じ年代の日本人の子供なら誰もが一度は聴いた事がある、とあるアニメ映画のエンディングテーマ曲だ。
ホロリ ホロリ
聴き慣れない旋律に誰もが『おや?』と耳を澄ます。
次いで聞き覚えの無い不思議な響きの歌詞に首を傾げ、聴き入る。
中央大地全土を長い年月を掛けて旅する芸人にとって、目新しい音に出会う事はとても珍しい。
一部の流行歌を除き大抵の楽曲は代々受け継がれてきたものが多く、あちこち歩き回る事で蓄積された記憶から何を聴いても“いつかどこかで聴いたような曲”と感じるものが多くなるからだ。
「………異国語?…いったい何処の……」
誰かが落としたその呟きに、答える者は居ない。
しんみりした曲調ながらわりと受けが良かった事も手伝って、一旦飲み物で喉を湿らせてから二曲、三曲と立て続けに歌を披露したネイロは、三曲目の中盤辺りからランナーズハイのようなふわふわとしたら感覚を覚え始めた。
(……あー…なんか、きもちいーかも……うふふふ…)
どんどん調子に乗って歌謡曲メドレーを繰り出しながら、視界の隅っこに情婦(?)二人に張り付かれた相方が映り込んだ瞬間、ちょびっとだけムカついたのは気のせいだと思う事にする。
グリフォンにネイロが知らない相手との付き合いがあったからと言って、それは当たり前の事だ。
――――出逢ってたかが一年ぽっちの間柄。
お互い言わない事もある。言えない事もある。
だから、グリフォンを他人に盗られたような気がして悔しいなんて気持ちは、ただの子供の独占欲に過ぎない。
(――――ダメだなぁ…。早く大人にならなきゃ…)
ふわふわする頭で竪琴を鳴らし続けていると、なんと実際にふわりと身体が傾いで椅子ごと後ろに倒れ込み後頭部を床に強打―――――の、寸前で誰かに抱き止められた。
「――――ネイロ…、酒を飲んだな」
この世に二人と居ないと思われるエロエロしい声が耳許で炸裂して、椅子ごと転倒する自分を支えたのが相方だと気付いたネイロはぷくりと頬を膨らませた。
「…の~んでませ~ん。『……グリフのバーカバーカ!…ヤり過ぎでいっぺんハゲろー…』……ふぁ…ねむ……」
「飲んでるだろうが…!」
途中から日本語に切り替わって意味不明だったにしろ、ろくでもない雑言なのはしっかり伝わったらしい。
「あらやだ、この子お酒弱いの?ただの薄い果実酒だったのに。もうフニャフニャじゃないの」
「デロリス…、飲ませたのはおまえか」
「んもー!過保護ねグリフォン。そんなに睨まないでよォ」
「そぉらそぉら~もっとゆぇ~」
世間では飲酒に対しての年齢制限は特に設けられていないため、十三・四にもなれば軽い物から少しずつその味を覚えていくものなのだが、何事にも例外はある。
太い首をおどけて竦めて見せた女形を擁護するように声を上げる弟子を「酔っ払いは黙ってろ」と一喝し、グリフォンはそのままヒョイと肩に担ぎ上げた。
「…今夜はこれで失礼する」
そのままスタスタ歩き出しそうな男にベロニカとマチルダが追い縋り、それぞれ別の意味で慌てて声を掛けた。
「な…何よ、そんなに急いで戻らなくたって…」
「グリフォン、あんたその娘宿まで担いで帰る気?途中で吐いたらどーすんの!泊まってきなさいよ、空いてる部屋があるから!いーわよね?チル婆ぁ」
「好きにおし」
「ホラホラ、部屋の支度をさせるから一旦ソレを下ろしなさいって~」
「………………」
ベロニカの呆れたような視線を受けて男は渋々肩の上の『荷物』を下ろし、朦朧とした頭でむずがるネイロをしっかりと膝の上に抱え直した。
『………もぉ…ねる……ねむ………』
―――くあぁ、と大きな欠伸をひとつ。
酔っ払い小娘は猫のような仕草で男の広い肩口にグリグリと額を擦り寄せた。
『くふふ~…』
「――――アラ、まあ。随分なつかれてるのねグリフォン。ウフフフ、残念だったわねぇ~マチルダ~」
「……っ、何の事かしら?」
あわよくば今夜にでもモノにするつもりで男を口説きにかかっていたマチルダは、ベロニカに露骨に当て擦られて片眉を跳ね上げた。
以前はもっとすんなり“事”が運んだ筈が、どういう訳だか今回は中々思い通りにならなくて、内心ジリジリ苛つき始めていたところにこの展開だ。――――面白い訳がない。
「―――あら、用意が出来たみたいよ。その子の部屋は二階の一番奥の突き当たり、グリフォンはアタシ達と同じ部屋で良いわよねぇ~?」
「なんですって…!」
マチルダが抗議の声を上げかける。
女形達と一緒の部屋になられては、後でこっそり夜這いをかける事も出来やしない。
裏方担当の団員が案内に立つと、男はベロニカとマチルダには構わず慣れた手付きで片腕に娘を抱えて椅子から立ち上がる。
「…しっかり掴まっていろ」
「んー…」
男の言葉に反応して細い腕がするりとその首に回り、肩にコトリと頤の重みが加わる。
その際思いの外強い力でぎゅうとしがみつかれた男が僅かに口許を緩めたのを、ベロニカは見逃さなかった。
(んまあっ…!!あの唐変木がねぇ~)
「っ、あ、そうそう。アタシ達の部屋は一階よォ~」
「……俺はこれと相部屋で構わない。どのみち宿でも同じ状況だ」
「なん…ですって…」
相部屋発言に過敏に反応したのはマチルダだ。
それでは手も足も出せないと言いたげに、恨めしそうに男とその連れの娘を見て唇を噛んでいる。
「あらあら~、もしかしてアナタ達“そういう”仲なのォ?」
ベロニカのデバガメ根性丸出しな質問に周り中の団員は興味津々で耳を傍立て、マチルダがはっとしたように目を見開いた。
この下世話な問いに答える必要性をこれっぽちも感じなかった男が、周囲の耳目を完全無視でさっさと食堂を後にしたのは言うまでもない。




