求める面影は
隊商に便乗して夜遅くに到着した町で、男は方々の宿を回ってどうにか空いている部屋を探し出すと、少女を部屋に残して自分は早速営業に出掛けた。
先ずは食い扶持を稼がねばならない。
幸い宿のすぐ隣が酒場になっていて、稼ぎの二割を場所代として納める事で亭主との折り合いが付いたため、その日の晩からカウンターの隅の席で酔客を相手に歌を唄う事となった。
* * *
宿屋に部屋を取って直ぐにグリフォンはギタールを手に何処かへ出掛けて行った。
簡素な寝台が二つとサイドテーブルがあるだけの狭い部屋だったけど、慣れない野宿で疲労困憊していた私には寝台こそ正に楽園。本当に久し振りに両手両足を伸ばして寝台の上にゴロリと寝転がった。
『はふぅ……』
サイドテーブルの上にはグリフォンが何処かで買い求めて来た軽食が置いてあって、ついさっき手渡された。
「食べろ」って事だよね?
日本人としてはまずお風呂に入りたいとこだけど、ちょっとそれは無理っぽいから手足を濯ぐだけで我慢。うぅ…。
建物の作りを見る限りあまり近代的じゃないみたいだから、お風呂は贅沢なのかも。
……それにしても私って結構図太い?
いきなり死んだかも知れない状況で、訳の分からない場所に跳ばされてるのに。
――――涙も出ないなんて。
だって“あの場所”にはもう誰も居ない。
私の世界はとても狭くて、仲の良い両親と学校とそこでの友達が全てで。
親の仕事の都合で転校が多かったから友達とも付き合いは浅く、別れの時には泣いたけど新しい場所に移る度にいつも少しずつ疎遠になっていった。
あのまま向こうにいたら、養護施設のある学区の公立中学に転校する予定になってたんだっけ。
……今更だけどね。
ああ…そういえば、今年は誕生日に桜を見損ねた。
毎年進入学のお祝いが済んでから、家族三人であちこちに桜を見に行った。
『折角日本に住んでるんだから日本人らしいことしましょうよ』ってお母さんの発案で。
だいたいお父さんが日系アメリカ人なだけで、お母さんは生粋の大陸系のハイブリッドなのにね。
娘に純和風の名前を付けて、すっかり日本に馴染んじゃって…。
二人のお陰で無国籍な顔立ちに生まれた私は、名乗る度に『え?何人?』て訊かれて面倒臭かったけど、別にこの顔嫌いじゃないよ?
―――だけど、あの桜はもう見られない。
たとえこの世界に同じ花があったとしても。
きっとあのやさしい色彩はもう二度と見られないんだ……。
いつの間にか握り締めていた拳に、ほとりと滴が落ちた。
ひとりぼっちになって散々泣いて、もう流す涙なんか枯れてしまったと思ってたのに。
「私……、何でこんなとこで生きてるの。どうせなら本当の天国に行きたかったよ…」
――――…寂しい…
結局その晩は泣き明かして、色々と燃え尽きて眠った。
明け方部屋に戻ったらしいグリフォンの気配にちっとも気付かないくらい深く眠って、次の日お日様がかなり高くなって起こされるまで爆睡だった。
* * *
久し振りの仕事の手応えは上々だった。
小さな田舎町だけに客はそう多くなかったが、それだけに住人は新しい噂話や娯楽に飢えている。
男は立て続けにリクエストを受けて数曲流行りの歌を唄い、あちこちで仕入れた噂話や目新しい情報をチラチラと小出しにしながらその場を盛り上げたものだ。
店の繁盛に気を良くした酒場の亭主に、飲み食いはタダにするから暫くうちの専属でやらないかと声を掛けられ、それも良いかもしれないと男は考えた。
それにどのみち弟子の足は当分使い物にならないだろう。
その夜は程々に小金を稼いだところで宿に戻るつもりでいたら、酒場の給仕女から艶めいた誘いを受けて、特に断る理由も無かった男はそのまま夜明け近くまで女と共に過ごした。
男にとってはこれが通常通りの“営業”スタイルだ。
翌朝。
前日までの旅の疲れもあって男はかなり遅くまで寝過ごした。
夜明け前のまだ暗い時間に、眠っている少女を起こさないよう静かに部屋に戻ってその隣の寝台に潜り込み、気が付いたらこの時間になっていたのだ。
窓から差し込む日差しに目をすがめ、狭い寝台の上で男はボンヤリと隣の寝台で眠る少女を眺めた。
よほど疲れが溜まっていたのか、少女はピクリともせず死んだように深く眠っている。
手足を丸めてシーツにくるまる様子は普段より更に幼げだ。
ふとサイドテーブルの上に目を向けて、昨日手渡した食事が手付かずで残されているのに気付く。
―――空腹でないはずはない。
少女を拾ってからというもの手持ちの食料を切り詰めて、朝と夕に最低限の食事しか与えずに数日間歩き通しだったため、育ち盛りの子供にはかなり堪えているに違いないのだ。
もしやどこか具合でも悪いのでは…。
気掛かりになった男は深く考えもせずに少女の上掛けに手を伸ばして――――ほんの少しばかり後悔した。
少女の目許に明らかに泣き腫らした跡を見つけてしまったからだ。
おまけに少女が少年のような衣服で歩き回っていた時には気付きもしなかったのだが、上着を脱いで薄着になると幼顔の外見からは予想もつかないほど娘らしい体つきだという事が判明し、女の肉体など抱き心地の良い枕程度にしか認識していない男が狼狽するという、実に珍しい事態になった。
……十二、三の少女だとばかり思っていたが、もしやもっと年齢が上なのか!?
慌てて少女の上掛けを元に戻し、改めてその寝顔を観察する。
幼顔は置いておくとしても、ごく普通の顔立ちだ。
特に異国人だと示すような特徴は何も見当たらない。
強いて言うなら柔らかで印象の薄い顔立ちとでも言うか…。
相手が眠っているのを良いことに、まじまじと不躾な視線を浴びせ続けていると、不意にパチリと目を開けた少女と思いきり視線がかち合い、別に何もやましい事など無いはずの男の動作が一瞬固まった。
『ぐりふ…?おはよー…』
「……っ」
ゴシゴシと目を擦りながら大きな欠伸をひとつ。
その顔の表情はいつもと同じで、特に変わったところはない。
その事にいくらか安堵しながらも、相手を気遣う言葉ひとつ掛けてやれない事実に少しばかり男の胸が傷む。
言葉など伝わらなければ意味の無い音の羅列に過ぎない。
「……先ずは食事だな。階下の食堂で適当に調達して来るか」
『いつ戻って来たの?気が付かなかったよ』
「お前は部屋で待っていろ」
『なあに?何て言ったの?』
「……ふぅ」
男は仕方ないとばかりにグリグリと茶色い頭をかき混ぜてから、手のひらを少女の顔の前に立てて短く一言。
「待て」
少女がキョトンと目を真ん丸にして呟いた。
『………犬じゃ無いんだけど、私』
どうにか意味が伝わった瞬間だった。