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リハビリはゆっくりと

誰かにすがりついてわんわん泣くのなんて、ちっちゃな子供の頃以来だ。

思い返してみるとかなり恥ずかしい内容を口走った気もするし。

今この瞬間だけ、言葉が通じなくて良かったと思う。


――――グリフォンは優しい。

吟遊詩人と言うには少しばかり凶悪な面構えだけど、縁もゆかりも無い小娘の面倒をこうしてみてくれるような奇特な人だ。

だから甘えてばかりはいられない、ちょっとは役に立たなくちゃって思うのに、何だかこのところベタベタに甘やかされてる感じがする。


心配されてるのは分かるし、大事にされるのも嬉しいけど。

少しばかり居心地が……。


喉の傷は幸いにも浅くて、まだジクジクと痛むけど声を発するのに支障をきたす程でも無い。

歌は当分無理でも竪琴なら問題なく弾ける程度には回復してると思うんだけど、グリフォンは再開した仕事に私を同伴しようとはしなかった。


ここ数日、陽が暮れると近くの酒場に出向いて歌っているみたいなのに、私は『待て』の指示を出されて宿で待機してるだけ。

……だから犬じゃないってのに。


一度全快アピールをして動き回り、貧血でぶっ倒れたのがマズかったかも。


実を言えばまだ長時間起き上がっているのは辛いけど、かといって何もしないでいるのもそれはそれで結構辛い。

自分が穀潰しになったようで居たたまれないんだってば…。


だから日中は自分のリハビリも兼ねて竪琴を弾く。

今までグリフォンに手習いした曲や、あちらの楽曲を自分なりにアレンジしながら『お一人様コンサート』再開。


時々宿の姉妹や女将さんが部屋に様子を見に来てくれるから簡単な会話にも挑戦してるんだけど、このところ良い感じに聞き取れる単語が増えてきた。

歌う時以外は無口なグリフォンだけが相手だと、なかなかヒアリングが上達しないからとても助かる。


昨日は夜遅く部屋に戻ってきたグリフォンをリンカに教わった通りの言葉で出迎えたら、何故か茹で蛸みたいに真っ赤になって後退あとずさりされてしまったんだけど…、ナンデ?


『[おかえりなさい あなた]』


――――って、発音が変だった?




* * *




約十日以上も降り続いた雨がある日を境にピタリと止むと、雨季特有の天を覆う厚い黒雲は何処かへ消え去り、季節はあっという間に夏に移り変わった。


カレニアは都市と都市を結ぶ街道沿いに設けられた宿場街で、これといった特色も無い代わりに人や物がよく流れ、一年中旅人の訪れが途切れる事が無い。

職業柄方々を旅して色んな土地を回ったグリフォンから見ても、それなりに過ごしやすい街であるのは確かだった。


本来なら今頃はとっくに第十五藩国のリモーネという都市を目指して移動を始めている予定だったのだが、思いもよらぬ事態でカレニアに足留めされる羽目になり、元より先を急ぐ身でもなかった男はそこそこ日銭を稼ぎつつ弟子の回復を待つ方針に切り替えた。


楽士の弟子としての少女の実力は実に申し分の無いもので、男とは出逢ってまだ間もないにも拘わらず、その存在は営業上既に無くてはならないものになりつつある。

―――仮に営業上の問題が無かったとしても、男にはもう少女を野に放り出すつもりなど更々有りはしなかったが。


ある日ふと気紛れに拾い上げた茶色い兎。

みるみるうちに自らの日常に食い込んで、あっという間に切り離す事も出来ぬ程己の中に深く根を張り巡らした、何とも不思議な生き物。


『子供』にしては少々大人びているものの『大人』というにはまだまだ未成熟。

それでいて周囲の空気を読む事に関しては大人以上に聡い。

人付き合いの苦手なグリフォンを相手に、微妙な間を保ちつつすんなりとその日常に溶け込んできた少女ネイロは、いつしか男の家族のような位置にごく自然にストンと収まっていた。




「ねぇ、お兄さん。―――今夜辺りアタシとどう?」


男が連夜大通りの居酒屋に席を構えて歌うようになるとチラホラと顔馴染みの客が増え、例によって女からの艶めいた誘いが掛かるようになった。


《アムリタ》は数ある店の中でも健全な雰囲気の大衆酒場で、《花売り》と呼ばれる売春行為は禁止されていたものの、客同士の色恋の駆け引きまでが違法と見なされる事はない。

この晩男に声を掛けてきたのは、どことなくかつての“お相手”達を彷彿とさせる女だった。


一分の隙もない化粧が施された美しい面、これでもかと焚き染められた香の薫り、女性らしい曲線美を強調した衣服―――――。

けして初な生娘では有り得ない色香を纏った強者ツワモノ

そもそも初対面の人間に必ずと言って良いほど身構えられる強面のグリフォンに挑む(?)ような女が純真な未通娘おぼこであるはずもなく、良くも悪くも一夜の供としては付き合い易い相手であろうと思われる。


南部には珍しい淡い金色の髪をわざと崩し気味に結い上げて濃いめの紅をさし、鮮やかな爪紅を施した爪先を相手に見せつけるようにしながら肉食獣さながらの笑みを浮かべる女を前に、男はいつもの営業用のアルカイックスマイルを装備すべく顔中の筋肉を総動員させた。


「――――…」


「……あら、随分焦らすのね」


「いや…、実に魅力的な誘いだ」


「―――じゃあ…」


「…だが申し訳ない。自分は崇拝者の多い美人には手を出さない事に決めている。―――要らぬ嫉妬を買いそうだからな」


「まあ、言ってくれるわね!」


要はやんわりと断られた訳だが、女はさほど気分を害した様子も無くどこか得意気にフフンと鼻を鳴らした。

自分の容姿にはそれなりに自信を持っているらしい。恐らくは取り巻きも相当数いるのだろう。

男は先程からチラチラとこちらを気にする視線を幾つも感じていた。


「ふふ、気が変わったらいつでも言ってちょうだい?」


自尊心をくすぐられる言葉で上機嫌になった女が、それからさしてしつこく絡む事もなく自分の席へ戻った事に男は小さく安堵の溜め息を漏らして、グラスの中の琥珀色を一口喉の奥に流し込んだ。


(………やれやれ、柄にも無い世辞を口にするのがこれほど疲れるとは…)


女の機嫌を損ねずに誘いを断る、などという手管は男にとっては難題中の難題の部類だ。

そんな面倒な真似をするくらいなら、すんなり誘いに乗った方がよほど楽に違いない。

いつもは使い慣れない美辞麗句を並べ立ててきゃくの機嫌を取る手間を惜しみ、後腐れ無い程度に付き合う方を選ぶのだが、今は何となくそんな気分でもなかった。


そんな事よりも、男は弟子の様子が気に掛かって仕方なかった。


怪我は日に日に回復してきているものの失った血は多く、未だに少し無理をしただけで身体をふらつかせている有り様で、とても長旅に耐え得るとは思えない状態だ。

一昨日など仕事に着いてこようと動き回り、立ち眩みを起こして気を失っていた。

――――小さな生き物ほど命を落とす時は呆気ない。

それを考えると無性にハラハラと落ち着かない気分に陥り、ついつい目を離しているのが心配になって、男は毎晩仕事を終えると真っ直ぐ宿に足を向けてしまう。


そうしてこの晩、急ぎ足で《金の麦穂亭》に帰り着いた男は、部屋の扉を開けた瞬間思いもよらぬ言葉で出迎えられ、何やら得体の知れない衝撃を受ける事になる。




「おかえりなさい、あなた」



誰 が 仕 込 ん だ。































































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