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いまひとたびの

少女ネイロはそれから数日間を寝台の上で過ごした。

怪我をした翌日になって傷が元で熱を出し、起き上がれなくなってしまったためだ。

なんとか寝台の上に起き上がれるまでに回復する頃には、雨季も終わりに近付いていた。


『今日はお天気良いんだね…』


間借りした部屋の窓から外を眺めて、少女が小さな声でポツリと呟いた。

見上げた空には実に約十日ぶりの青空が広がっている。

連日寝たり起きたりを繰り返し、気が付けばこの日はもうひる近くの時間帯のようだった。


コンコンと扉を叩く音がして少女が身体ごと振り返ると、そこには食事の乗った盆を片手に立つ男の姿がある。


『も…もうそんな時間?』


「起きていたのかネイロ。ちょうど良い、食事だ」


『……う……』


男はスタスタと無造作に近付いて寝台脇に置かれた椅子に腰を下ろすと、おもむろに匙を取り上げた。


『はい、あーん』というやつだ。


(……今日もこれかー…)


怪我をした場所が場所だけに最初は枕から頭を上げる事も難しく、ほんの少し首を動かしただけで痛みに悶絶する少女のため、女将や姉妹が食事を摂らせようと始めたのがきっかけだった。


熱で朦朧としていた少女が給餌を素直に受け入れた事もあって、当然ながらその役割は付き添いをしているグリフォンが引き継いだのだが。

どういう訳だか少女が寝台の上に半身を起こせるまでに回復してもそれは続けられていた。


『あ…あのねグリフ。もうひとりで食べられるよ?』


「ほら、口を開けて」


『いや、だから……モグ…』


「沢山食べて早く元気になると良い」


うっすらと喜色を滲ませた表情で次から次へと匙を差し出してくる男の期待の籠った眼差しには、何やら抗い難い雰囲気がある。


怪我を負い血を流し過ぎた事で気を失った少女が目を覚まして最初に見たものは、今にも死にそうな顔色をして項垂れる男の姿だった。

それは死にかけた当人が思わず焦るほどの憔悴ぶりで、考えるより先にその口から言葉が溢れ出ていた。


『なんでそんな顔してるの…』


囁くような小さな声に弾かれるようにして上げられた男の面は、いつもの余裕ありげな無表情とはかけ離れたもので、それはまるで激しい痛みを堪えるかのような、見ている方が息苦しくなる程の悲痛な表情だった。


見かねた少女が宥めるように笑いかけた事で幾らかその表情は解れたものの、直後に少女が傷の痛みで混乱状態に陥ってしまったために、男の過保護モードのスイッチがフルスイングでONに切り替わったらしい。


『……もうお腹いっぱい。ごちそうさま』


「『ゴチソウサマ』?…まだ幾らも口にしていないじゃないかネイロ。もう少し食べないと身にならない」


『だからね…―――むぐ!?』


何か言いかけた隙に口許まで運ばれていた匙を口中に押し込まれ、涙目になりながら果実の切れ端をモグモグと咀嚼する少女。

一口分にしては大きめだった甘瓜の欠片が、噛み締める度に口内に果汁を溢れさせて口の端にしずくが滴ると、男は筋ばった長い指を伸ばしてそれを拭い、ごく自然な動作でペロリと舌で舐め取った。


(うっ…、ナニこの無駄な色気…!いらんわ―――!!)


「ネイロ?…顔が赤い。熱でも上がったか―――」


頬を紅潮させてハクハクと口を開け閉めする少女の様子に男は眉をしかめ、大きな掌をその額に添えて熱を測りだした。


『……、、、』


「少し熱い、か…?」


(誰が熱を上げさせてると思ってんの―――!!)


言語の壁で言葉はお互い一方通行にしろ、時折微妙に中身が噛み合っている事を本人達は知るよしも無い。







この日は少女が軽く昼食を摂った後、幾日も間借りしていた宿屋一家の私室を移動することになった。

雨季が終わりに近付いた事で先を急ぐ旅人が次々と宿を発ち、客室に空きが出来たためだ。


『……歩けるのに』


何日も寝込んだせいで足腰が萎えてふらつく少女を、男は片手に抱え上げ苦もなくスタスタと歩きだした。

一階の奥まった位置にある《金の麦穂亭》一家の居住スペースから食堂兼談話室の広間を抜けて二階へ向かう途中で、幾人かの馴染み客が事件後初めて顔を見せた少女に労りの言葉を掛けて寄越したりもしたが、男は敢えてそれに会釈で答えたのみで真っ直ぐ部屋を目指した。


何気無い風を装ってはいたが、男性客が近付いて来た瞬間ネイロが身体を強張らせたのをグリフォンは見逃さなかった。

肩に回した手が無意識に男の衣服を握り締める感触に、少女の異性に対する恐怖心が消えたわけでは無いのだと告げている。

あれから少女に間近に接した人間と言えば宿の女性陣とグリフォンのみだったために、そこに思い至るのが遅れてしまっていたのだ。



『わぁ…、前より広い部屋だね』


同じ二人部屋でも今回用意された客室は二つの寝台以外にもクローゼットやソファー等の家具調度品が備わった上等な部屋で、流れ者の身分としては些か文不相応なものだ。

少女もそう感じたのだろう、しきりと室内を見回して心配そうに男の顔を覗き込んでいる。


『グリフ…無理してない?私以前の部屋と同じでも充分だよ…?』


男は少女をソファーに降ろして座らせると、その茶色い頭をポンポンと撫で付けながら説明した。


「―――言っても解らんだろうが、心配無用だ。この部屋は例の御隠居二人の厚意でな。あのお二人はお前の事を大層気に入ってくれたらしい。先日旅立たれたが“おせろ”の正当報酬だと言ってこの部屋を用意してくれたんだ」


実を言えばそれ以外にも餞別を受け取っている。

何とも気前の良い老人達だ。――――もしくは弟子の人徳か。

どちらかと言えば後の方だろう、と男は微かに口の端に笑みを浮かべた。


――――何とも不思議な子供。

出逢って間もない相手に、これだけの好意を抱かせる。

ネイロには親しくなった相手が『何かしてやりたい』と思わせるものがある。

たとえ相手が誰であれ、媚びる様子が無いだけに尚更その気を起こさせるのだろう。



『ねえ、グリフォン。私の竪琴ライアーどこ?』


部屋に落ち着いてしばらくすると、ふと少女は何かを探すようにキョロキョロと視線をさ迷わせ、男に何事かを訊ねてきた。


指先の微妙な仕草で何を求めているのかすぐに気付いた男が先に運び込まれていた飴色の革のケースを手渡すと、少女は慎重な手付きで蓋を開け中身をそっと取り出し、指で弦を弾き始める。


『……よかった、なんともない』


大事そうに竪琴を抱える口許に微かな笑みが浮かぶ。

少女にとってこの竪琴は何より大切な物であるらしい。

常に肌身離さず持ち歩き、野宿の時等は腕に抱いて眠るほどだ。よほど思い入れがあるのだろう。


――――ひとしきり音を確かめた後、少女がふと思い詰めたような顔で言葉を紡ぎ始めた。


『……色々迷惑かけてごめんなさい、グリフ。元はと言えば私が一人で勝手に行動したから…こんな事になったんだよね…。私っ…、お荷物になってばっかり…、ご…めんなさい…ごめんなさぃ…』


「ね……ネイロ?」


怪我が回復に向かうにつれ徐々に平静さを取り戻し、今まで穏やかな表情を崩さなかった少女が突然涙を流して泣き始めたために、男は未だかつてない程の勢いで焦り、表情筋総動員で狼狽えた。


「ど…どうしたんだ。傷が痛むのか!?―――どこか苦しいのか!?」


先日の夢現の夜や熱に浮かされていた時と違い、少女は今の今まで何事もなく穏やかな状態に見えていただけに、男の動揺っぷりは激しかった。

大きな背を丸めて膝をつき、いい年をした大人がオロオロと小さな少女の顔色を覗き込んで手を出しあぐねている。


『…もぉ勝手な事しないから…。ちゃんと、や…役に立つから、おねがい……捨てないでっ…!』


時折嗚咽で喉を詰まらせながら、懸命に何事かを訴える少女。

涙で潤んだ大きなにすがるように見上げられて、男は危うく謎の心臓発作を起こしかけそうになった。


「…………うっ…………!!」


(――――――何を言っているのか解らん!!

解らんがっ…!!

今、ここで、何か言ってやらなければならない事だけは判る。)


ぷるぷると身を震わせた少女に乞うような眼差しを向けられ続け、男は絶体絶命の窮地に追い込まれた心地になった。

今ほど言葉が通じない事が口惜しいと思った瞬間は無い。

――――ただ、言葉が通じたところで自らに泣いている女子供を宥める甲斐性があるとは、これっぽちも思ってはいなかったが。


男はおそるおそる掌を伸ばして少女の頬に触れ、出逢った時の言葉をもう一度繰り返した。




「俺は……、こんな時に気の利いた言葉ひとつ掛けてやる事も出来ない男だ。…だがそれでも構わないなら、一緒にいてやるくらいの事なら出来る」















































































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