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ご機嫌斜め

…………弟子が、ヤサグレている。


服を着替えて広間に戻って来てからというもの、ネイロはすっかりヘソを曲げてムッスリと黙り込んだまま。

一番隅っこの席で竪琴を膝に抱えて丸くなり、話し掛けるなと言わんばかりの不機嫌な空気オーラを纏って、微動だにせず置物と化していた。


「……あーあ。目が据わってるぜ」


「言葉が通じねえとこういう時に不便だよなぁ」


全くだ、とグリフォンは胸の内で嘆息した。

状況を説明する手立てが無いのでは、機嫌の取りようがない。

現在のネイロは兎というより全身の毛を逆立てた猫。

迂闊に傍に寄れば間違いなく引っ掛かれるだろう。

しくじった自覚が充分あるだけに、男は何とも気まずい思いになった。


…もう少し穏やかな声を掛けるべきだった。

『言葉』が意味を成さない分、ネイロは声に含まれる喜怒哀楽の感情に酷く敏感に反応する。

さっきのあの言い方では“咎められた”と受け取られても仕方がない。

ネイロのあの姿を例の男に見られてはならないと焦る余りに、ついきつい口調なってしまったのは完全に失敗だった。


「……俺が悪かった」


神妙な顔つきで謝る大きな男をジトリと睨み、少女はプイと視線を外して膝を抱えなおした。

――――ヤサグレている。




「やれやれ、若い娘の扱いがなっとらんのぅ。機嫌を取るならもちっと顔の筋肉を動かさんかい」


「とんだ朴念仁じゃわいな」


隠居二人組が嘆かわし気に茶々を入れた。


実を言えばグリフォンには女(例え子供でも)の機嫌を取った経験が無い。

大概いつも女の方から擦り寄って来るため、本人は適当にあしらっていただけで自ら手練手管を尽くした事が一度も無いのだ。

おまけに“歌”以外の事となると極端に感情の起伏が乏しくなる男は、気の利いた愛想笑いひとつ浮かべる事さえ出来ないときている。



「………参ったな…」



大の男が年端もいかない少女の機嫌を取るために途方に暮れる様は、端から見れば随分滑稽なものだろう。

実際、周りにいる客はニヤニヤしながらこの成り行きを見物している。

フーフーと毛を逆立てた仔猫を男がどう宥めるのか、一種の見世物に近い状態だ。



「はいよ、お嬢に差し入れだ」



グリフォンが手詰まりになって立ち尽くしていると、奥の厨房から姿を見せた宿の長男がネイロの目の前のテーブルに焼き菓子の乗った皿をコトリと置いた。


「親父の特性プディングだ。好きだろ?」


少女が《金の麦穂亭》に泊まった最初の晩、それは嬉しそうな表情でこれを頬張っていたのを、この長男はよく覚えていた。

硬くなったパンの切れ端を卵を溶いたミルクに浸して焼き、刻んだ木の実とハチミツをかけたほんのり甘いパンプディング。

頬をふくらませていた少女がチラリとその顔を窺うと、長男は白い歯を見せてニカリと笑った。


「ほーら、食え食え。美味いぞ?」


有無を言わさず匙を手渡された少女は、勢いに押された格好でパクリと一口匙を口に含み、そのやさしい甘さに目元をふわりとゆるめた。


「よしよし、全部食べろ」


わっしわっしと茶色い頭をかき混ぜて満足そうに目を細める青年。

手付きが犬猫を撫でる時のそれと全く同じであったため、成り行きを見守っていた見物人一同が内心で一斉に「餌付けかよ!」と突っ込んだ。


特にすぐ下の妹はやや天然気味の兄の行動にやれやれと呆れ気味で抗議の声を上げた。


「……兄さん、年頃の女の子にそう気安く触るもんじゃないわ」


「?リンカと大して変わんねーだろ?」


「馬鹿ね!確実に二、三は年上よ!」


「うええっ!?」


これにはグリフォンも少なからず仰天した。


「…そうなのか!?」


「多分ですけど。ネイロちゃん言葉は通じなくても常に周りに気を配ってるでしょ?リンカの相手をしてる時だって、あれは年下の子に対する年上のお姉さんの態度よ。

相手の表情や仕草を読み取って、まず自分より幼い子供の気持ちを優先させるとか」


この見解には当の連れの楽士も妙に納得出来る部分があった。

ネイロが今まで聞き分けの良すぎる子供であったのは間違いない。だがそれもそれなりの年齢であるとするなら幾らか頷けるのだ。


「リンカが十二だから…だいたい十四、五ってことか?かなり幼顔おさながおだな?」


「……兄さん。そのデリカシーの無さ過ぎる発言なんとかしないと、ホンっとに嫁の来手がなくなるわよ!」


兄妹の会話の応酬はまだ続いていたが、既にグリフォンの耳には届いてはいなかった。


朝方ネイロが寝惚けてしがみついて来た時の、その身体の柔らかさと意外な手応えが思い出され、今頃になって狼狽気味の状態に(無表情のまま)陥っていたためだ。


いわゆる“そういう関係”の女が相手なら、たとえ真っ裸で横に寝転がっていたところで、こうもやましい気分になりはしないのだが。

―――どうしたものか。


やがて小さな声で『ご馳走さまでした』というネイロの食後の挨拶が聴こえ、そこでようやく我に返る己の体たらくに、男は溜め息をひとつ追加したのだった。




























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