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始まりはこんな感じで

お暇潰しにどうぞ。

桜舞い散る十五の春。


私は突然の事故で両親をうしない、いきなり天涯孤独の身になった。


両親が国境を跨いでの駆け落ち婚だったため、遺された子供の面倒を見ようなどという奇特な親戚がひょっこり現れる筈もなく、自立できる年齢に達していない私は自動的に養護施設行きが決定した。



「―――音彩ねいろさん?荷物は積み終わりましたよ」


声を掛けられてふと我に返れば、何もかもが運び出されて空っぽになったアパートのドアの向こうに、施設からの迎えの女性職員が気遣わしげな顔を覗かせている。


「……いま行きます」


引っ越しの多い暮らしだったせいで荷物は少ない。

片づけはあっという間に済んでしまった。

大事な物だけを貸倉庫に預けて他を処分すると、後は幾つかの鞄やキャリーケースに収まる程度の量にしかならなかった。


アパートのドアの名札をそっと抜き取り、鍵を手放す。


胸に例えようもない痛みを感じながら、親子三人で数年暮らした“家”を振り返ってみると、もうそこには何の温もりも見つける事は出来なかった。


「その手荷物は車のトランクに積み込まなくてもいいのかしら?」


「大事なものなので…」


去年の自分の誕生日に両親に無理を言ってねだり、工房にオーダーしてから半年も待ってようやく手元に届いた品物だ。

まさかこれが二人からの最後の誕生日プレゼントになるだなんて露ほども思っていなかった。


「お父さん…お母さん…」


飴色の革のケースを両手でぎゅっと胸に抱え直すと心細い気持ちがほんの少しだけ紛れるような気がして、私はそれを抱く腕に力を込める。


促されるまま乗り込んだ車が走り出して街の景色が流れてゆくのをぼんやりと眺めながら、私はいつまでもふわふわと足下が定まらない心地を味わい続けていた。






* * *






春先の乾いた風で舞い上がった砂埃に目をやられ、舗装されていない田舎道をのんびり歩いていた男は不意にその歩みを止めた。

バサバサと外套の裾を煽る風に帽子を飛ばされそうになって、慌ててそれを片手で頭に押さえ付ける。

黒いつば広の帽子は長年の旅の愛用品、うっかり無くせば色々と不自由をする。


男が痛む目で瞬きを繰り返し、どうにか取り戻した視界の先に“それ”はいきなり飛び込んできた。


―――行き倒れ。


つい先程まで自分以外ひとっこ一人いないと思っていた野っ原の道端に、それは忽然と現れたように見えた。

奇妙な話だ。


ただ素通りするのもどうかと思い、取り敢えず生死だけでも確かめてみようと男はその行き倒れに近付いた。


「―――おい、生きてるか?」


しゃがんでその顔を覗き込めば、思いの外呼吸はしっかりとしたものだった。

だからと言ってこのままこの場に寝転がして置けば、野垂れ死にするのは目に見えている。

下手をすればたちの悪い人間によって死ぬより悲惨な目に遭わされる可能性だとてあるだろう。


行き倒れていたのはまだ年端もいかない少女だったのだ。


(―――死んでいれば後腐れなく捨て置けたものを…)


男は無償で際限無く人助けをするような善人ではないものの、かといって少々の手助けで助かる人間の息の根を止めて回るほどの人でなしでもなかった。






取り敢えず手近な木陰まで少女を運び、ざっと身体の怪我の有無だけ確認する。

幸い着衣に乱れも無く、掠り傷ひとつ見当たらない。


―――となると、行き倒れの原因は疲労か空腹か。

さて、どうしたものか。


男案に暮れる男の口から溜め息がこぼれた。

いくら相手が小柄な少女といえど意識の無い人間ひとりを抱え、どれほど距離があるかも分からない次の町まで歩くのは流石に現実的に無理があるし、さりとて無理矢理叩き起こすのは論外だ。

……面倒な事になった。


それにしても、と男は木陰に横たえた少女の姿に視線を落とした。


一人前には程遠い十二、三の年頃の娘がこんな辺鄙な場所で行き倒れている理由が分からない。

自分のような宿無しの流民にしては身形が身綺麗であるし、その衣服も平民の少年が着るようなチュニックにズボンといった軽装で、とても長旅に備えた姿には見えない。

荷物といえば小さな背負い鞄と何やら大事そうに両手でしっかりと胸元に抱え込んだ見慣れぬ革のケースのみ。

意識こそないものの特にその顔色が悪い訳でもやつれた風でも無い。

いったい何が原因で道端で昏倒するような事態になったのやら。


「やれやれ…」


―――何にしろ今すぐ命に関わる状態で無いことは確かなようだが、娘が目を覚ますまでの間くらいは側に付いていてやるしかないだろう。


そうと決めると男は日陰を求めて身を寄せた木の根本にドサリと深く座り直した。

肩に掛けていた布包みの紐をほどいて商売道具の楽器を取り出し調弦を始める。


男の生業なりわいは流れの楽士だった。歌も歌えば弾き語りもする。

時には旅のついでに手紙の配達人のような真似事もする時もある。ようは何でも屋だ。

流れの楽士は複数で組む場合が多いものだが、男は大概一人だ。

その方が気楽だからという理由もあるが、他人と組んでも何故かいつも長続きしないというのが実際のところだ。


ギタールの糸巻きを締めたりゆるめたりしながら一弦ずつ音の調子を整え、仕上がりを確かめる為に緩やかな小曲の一節を奏でる。

持ち運びのしやすさで選んだ楽器だが、その独特な硬質で澄んだ音色を男も特に気に入っていた。


そうして弦を爪弾くうちに自然とその唇からは歌がこぼれ落ち、いつしか現在の状況がすっかり頭から抜け落ちるほど音の世界に没頭してしてしまい、知らぬ間に目を覚ました少女がキョトンとした表情で自分を見詰めている事に気付くまでかなりの時間を要する事になった。







―――夏毛の茶色い兎のようだ、というのが男の少女に対する第一印象だった。


艶のある栗色の髪につぶらな琥珀の、オドオドと上目遣いにこちらを窺う様子は正に小動物そのもの。


「……気が付いたのなら、良かった。具合はどうだ?」


『あの、ここ何処ですか?』


「?何と言ったんだ?…済まない、聞き取れなかった。もう一度―――…」


『……え。何処の国の言葉?全然解んないよ…。私何でこんな所にいるの…?』


言葉が通じなかった。


考えられるのは少女が異国人である可能性だが、そもそもこの辺りは辺境と言って差し支えのない程の田舎で、生粋の土着の民ばかりが暮らしているような土地である。

ならばこの少女はいったい何処からやって来たのか、という事になる。


「―――連れは居ないのか?何故一人でこんな場所に行き倒れていたんだ」


『………………何言ってるのか解んないよ』


途方に暮れた表情の少女の目元にジンワリと涙が浮かぶ。


「うっ…!」


これは俺が悪いのか!?


『なにこれぇ……どゆこと?なんでいきなりこんな訳分かんない事になってんの…。私、施設行きじゃなかったの?』


男には少女の言葉はサッパリ解らないが、目の前の小動物めいた少女が酷く困惑している事だけはよく判った。

キョロキョロと周囲を見回し心細げに身体を縮こめて戸惑う様子から、今の状況が本人にも全く理解出来ていない事が察せられる。


「参ったな…。どうすれば良いんだ…」


相手が大人で五体満足なら、じゃあ後は勝手にやってくれと放り出す場面だ。

男は大して子供好きでもなければ、誰にでも親切を振る舞う博愛主義者でもない。

むしろ感情のままに泣き喚く子供は苦手な部類に入る

だからといってこのまま放置するのも寝覚めが悪そうでかなわない―――。


だが、男の予想に反してその少女はそれ以上取り乱したり泣いたりする事も無く、何かをじっと考え込む様子でずっとうつむいたままで黙りこくっている。


そして何に思い至ったのか急に顔色を変えて立ち上がり、その弾みで腕に抱えていた飴色の革のケースを取り落とした。


『――――あっ!!』


余程大事な物なのか、ゴトリと音を立てたケースを少女は慌てて拾い上げ、中身の無事を確かめるべくその蓋を開いた。





『良かった…っ、傷、付いてない…』


「――――竪琴リラ…?」


飴色のケースの中身はなんと、楽士をしている自分でさえ見た事の無い形状の美しい白木の竪琴だった。

雫を模したシンプルな形のそれは少女の腕の中にしっくりと収まる小振りなサイズで、おそらくは特別にあつらえた品であるに違いなかった。


ほろり ほろり。


少女の指が聞き覚えのある旋律を奏でる。

それは先程まで自分がギタールで爪弾いていた曲だ。


「……あの、短い間に覚えたのか。たいしたものだ」


音を確かめて安堵したのか、少女は小さくほっと溜め息を漏らした。


―――悪くない腕だ。事情はさっぱりだがこのまま捨て置くには惜しい。

どのみち頼る相手も居ないのであろうし、弟子に取るのもまた一興か。


男は大層気紛れな性格であった。


「―――俺の名はグリフォン。お前は?」


自分の胸元を指で指し示して名乗り、次いで少女に指先を向ける。


『ぐり…ふ…、ぐりふぉん…??』


「そうだ」


単純な手段ほど伝わるものであるらしい。


『私は音彩ねいろ遠野音彩とおのねいろ…えと、“ね、い、ろ”』


「“ネイロ”」


少女はこくりと頷いた。


「ろくな世話も出来ないだろうが、それでも良いならこの手を取れ。一緒に居てやるぐらいの事なら出来る」


『………………』


差し出された手をどう受け止めるべきか、迷っているのだろう。

“ネイロ”と名乗った少女は小首を傾げながら男の目をじっと見詰め返し、束の間ためらった末に小さな掌を男のそれにそっと重ねた。


『…………よろしくお願いします…?』


疑問形なのは男の行動に対する自分の解釈に、どうしても不安が残るからだ。

何が何だか訳の分からない状況で、たった今会ったばかりの相手をすんなり信用出来るかと問われれば、誰しも『否』と答えるだろう。






* * *






天使の歌声が聴こえた。


吹き抜ける風のような、降り注ぐ光のような。

想いも、願いも、なにもかも溶かして全てを包み込む妙なる調べ。


……私、いつの間に天国に来たんだろう。

でも、それならそれで良いかも。

ここが天国ならきっとお父さんやお母さんに会える筈だから。

そう思って辺りを見回したら、すぐ傍に人が居た。


木の根本に座って小振りなバンジョーみたいな楽器を弾きながら歌を歌っている。


天使の歌声だ。


修道士が歌う聖歌のような、荘厳な響き。


――――ああ、でも。

天使がこんなガッシリした男の人の姿をしてるなんて思わなかった。


肩幅が広くて無駄な贅肉なんてこれっぽちも付いてなそうな筋ばった身体、おまけに随分大柄だ。

日本人とは真逆の顔立ちの高い頬骨に鷲鼻わしばな、眼は伏せられていて色が分からないけど額から目許にかけての彫りの深さは美術室の石膏像も顔負けな感じ。

天使といえば自分的には中性的なイメージしか抱いてなかったから物凄い違和感だけど、この“天使”の歌声にはそれを上書きするくらいの存在感がある。


ガン見しながら聴き惚れていたら、歌い終わった天使とバッチリ目が合った。


「――――…――――?」


何だか解らない言葉で話し掛けられた。

………………何語?


「――?―――――…?…」


やっぱり解らない。

天国って言葉通じないの?とかアホな事を考えて、ハタと我に返った。


――――ここ何処?


見渡す限りの大自然て……。そもそも私、車に乗って移動中だったのに。

地方都市だけどそれなりにおっきな町で、養護施設に向かう最中信号待ちしていて……、、、


…………そうだ、ぼうっとしてたら運転席から悲鳴が聞こえて…、顔を上げたら車の窓越しにトラックが有り得ないくらい近くに迫って見えた……。


――――嘘……。


ここ、ほんとに天国かも――――。




あんまりな結論に取り乱して立ち上がったら、弾みで腕に抱えていた竪琴ライアーのケースを落っことした。

今となってはただひとつの両親の形見の品。


慌ててケースから取り出して無事を確かめる。

傷は無し――――…音は!?


ふと思い付いて、さっき聴いたばかりの曲を再現してみる。

頭の中で再生する歌声に合わせて即興で音を編む。

どちらかと言えば竪琴ライアーは主旋律よりも伴奏向き、何となくでも様になる。


ひととおり音を確かめてほっとしてたら“天使”が何やらあれこれ話し掛けてきて、お互いの名前だけは何とか理解する事が出来た。


私、これからどうしたら良いんだろう。


そう思っていたら、不意に目の前に大きな手が差し出された。


天使―――“グリフォン”が意味不明な言語であれこれ何かを語りかけて来るけど、ごめんなさい、ワカリマセン。

このタイミングで握手?を求められるということは…………?


「……………よろしくお願いします…?」




突然、保護者が出来ました。














































































ギタール→造語。

ギターとシタールをひっかけてみました。

古典の民族ギターっぽい感じでご想像ください。


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