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5 なんてこった

 ◇◆◇



 来週は期末考査がある。


 司君が記憶喪失になるという前代未聞の大事件のせいで、私はそのことをすっぱり忘れていた。テストは月曜日からの四日間で全11科目。今日はすでに土曜日。猶予は今日を合わせてももはやあと二日しかない。なんてこった。


 そんなわけで私は現在、桐原家の司君の部屋にお邪魔している。

 ここ数日は入院したりで勉強もまともに出来ていなかった司君のために、この私が親切にも勉強を教えてあげようと意気揚々と馳せ参じたのだ。


 しかし。


「参りました」


 私はテーブルに手をついて深く頭を下げている。こんなはずじゃなかった。


「……おまえ、頭悪かったんだな」


 司君の呆れたような声が後頭部に突き刺さる。聞き捨てならないその言葉にガバッと頭を上げて反論する。


「悪くはない! 普通、そう普通なんだよ私は」

「どこがだ。俺の質問にひとつも答えられてねぇくせに。それで普通は嘘だろ」

「君が良すぎるんだよ! 司君はいつもテストで学年20位以内に入ってたんだから」

「なんだ微妙じゃねぇか。俺もたいしたことねぇな」

「それは200位以内にすら入ったことない私に対する宣戦布告かね?」

「おい、やっぱり馬鹿じゃねぇか」


 馬鹿ではない。平均的なだけだ。


 とにかく油断した。司君が頭良いのはわかっていたけど、記憶もなく、ここ最近は学校も欠席していたので、今なら私が優位に立てるんじゃないかと思ったのに。とんだ誤算だ。

 この感じなら司君は期末も問題ないだろう。数日間のブランクがあるので、多少は順位を落とすかも知れないが。

 問題はむしろ私だ。いつもはテスト前一週間はがっつり勉強して今の平均的な成績をキープしているというのに、今回はあまりに時間がない。これ以上成績を落としたらお母さんにお小遣い減らされかねない。それはなんとか阻止せねば。


 というわけで。


「司君、勉強おしえて」

「……!」


 じっと司君を見つめてお願いする。困ったときの司君頼み。持つべきものは頭の良い幼なじみだ。


 しかし司君はなぜか黙り込んでしまった。しかも目まで逸らされた。まさかダメだと言うつもりか、この男。なんて幼なじみ甲斐のない。


「……なんか、いいな、それ」

「それ? どれ?」


 口元を手で隠して何やらゴニョゴニョ言っている司君に首を傾げる。よくわからないが、なんでちょっと嬉しそうなんだろう。


「記憶がないせいで、いつもは俺がおまえに色々と教えてもらってばかりだから、俺が教える立場になるのは気分がいい」


 そう言って瞳を細める司君は、そこはかとなく優越感たっぷりに勝ち誇るガキ大将のようだ。色気のある美形っぷりが台無しだ。泣きボクロ仕事しろ。


 しかしなるほど、そういうことか。確かに司君は昔から、何かにつけて私の上に立ちたがってたもんな。『もしも兄弟になったらどちらが上か』で喧嘩して以来、その傾向もより顕著になった気がする。この男、よほど私にお兄ちゃんぶりたいらしい。


「いいぜ、勉強見てやるよ」

「屈辱的だけどありがとう。助かる」

「やばそうな教科は?」

「数学と科学、それから物理もかなぁ。暗記系の科目はなんとかなるけど、こっち系はほんと無理」

「わかった。じゃあ今日は数学からやるか」

「え、今日はってことは、明日も教えてくれるの?」


 期待に目が輝く。本当に今回はやばいのだ。司君が教えてくれるなら、こんなにありがたいことはない。


「明日もうちに来い。俺が教えるんだから中途半端な点数は許さねぇ。徹底的に教え込んでやる」

「いいの? せっかくの土日を私の勉強なんかに付き合って潰して。私が言うのもなんだけど、君も自分の勉強しなきゃいけないんじゃない?」

「んなもんは、おまえの勉強見ながらでもできる。節ひとりに教えるくらい負担にもなんねぇよ」

「よ、司大明神! 天才! 男前!」


 気負いもなく平然と言ってのける司君に後光が見える。太鼓を持って叩きまくる私を胡乱げに見る視線すらまったく気にならない。



 ◇◆◇



「――司君、そろそろ休憩しよう。そうだ、それがいい、そうしよう」


 二時間ほどかじり付くように数学の勉強をした。司君の教え方は意外にわかりやすい。スパルタぎみだが私が理解するまで根気強く説明してくれるし、出来たら褒めてくれる。飴と鞭の加減が絶妙すぎて、ノンストップで二時間も頑張ってしまった。


 しかしもう無理だ。数字と記号が頭の中で激しくタンゴを踊り狂っている。やだ頭爆発しそう。そもそも私の集中力は一時間が限界なのだ。


 司君の了承を得る前にシャーペンを放り投げ、私はクッションを手繰り寄せてぐったりと倒れ込んだ。

 このマイクロビーズのパステルグリーンのクッションは優れもので、あまりの心地よさに『人をダメにするクッション』としてちまたで有名だ。通称ダメクッション。このもちもち感がたまらん。


 これは誕生日に、私と司君のお兄ちゃんの耀君とでお金を出し合って司君に買ってあげたものだ。高かったから耀君に協力を頼んだら快く了承してくれた。

 けれど、司君はあまり使ってないみたいで、ほぼ私の独占状態だったりする。私の私物と言ってもいいくらい。カバーも最初はブラックだったけど、私の好きな色に変えちゃったし。


 そんなクッションに懐き倒し、深く息をつく私に、司君が何か言いたそうにしている。何を言われたってもう勉強はしないぞ。


「……それ」

「え?」

「そのクッション、おまえのだったのか」


 私があまりにも我が物顔でクッションを使っているから怒ったのかな? そりゃそうだ。私にとっては日常的な行動だったが、記憶のない司君からしたら、自分の部屋のものを断りもなく使われたらいい気分はしないだろう。ちょっと反省。


「……ごめん、勝手に使っちゃって。これ司君のだよ」


 はい、とクッションから降りて司君に差し出す。もう気軽に使えなくなると思うと切ない。さようなら、マイクッション……。


「俺はいい。使いたいなら好きに使えよ。……でもそうか、やっぱり俺のだったのか?」


 司君はどこか納得のいかないような顔をしている。

 それを不思議に思いながら、お許しのでた私は改めてクッションにもたれかかった。おかえり愛しのマイクッション。


「どうしたの? そんな顔して」

「いや……、それ、あんまり俺の趣味じゃねぇのに、なんで前の俺はわざわざ買ったのかと思って」

「違う違う、司君が買ったんじゃなくて、これは私と耀君が誕生日にあげたやつだよ」

「節と兄貴が?」

「うん。司君が欲しがってたみたいだから、耀君に協力してもらって買ったんだ。大奮発だよ」

「……俺がこれを? 特に魅力も感じねぇけどな」


 なんと失礼な言いぐさだろうか。こんなに素敵なのに。もはや魅力の塊なのに。


「人をダメにするクッションなんだって、これ。座ったら最後、あまりの心地よさにもうここから離れられなくなるんだよ。私なんて、これに座りたいがために用もないのにこの部屋に毎度お邪魔してるくらいだからね」

「ああ――なるほどな……。なんとなくわかったぜ、前の俺がこれを欲しがった理由が」


 そうでしょうとも。本当に素晴らしいんだから、このクッション。さすがの司君だって一度は体験してみたかったんだろう。あんまり合わなかったみたいだけど。そのくせ、使わないならちょうだいと言っても絶対にくれないのだ。実は私がいないときはこっそりダメ人間になってるのかな。


「誕生日といえばさ、私たち来月誕生日だよ」

「ふーん。いつ?」

「1月25日。何か欲しいものある?」

「……べつに。おまえは?」

「私は、そうだなぁ、このクッションくれ」

「それは駄目だ、絶対にやんねぇ。使いたいならおまえがここに来い」


 記憶のない今ならひょっとして……という私の淡い希望はあっさり砕かれた。


 それにしても、司君はこれから大変だろうな。12月はクリスマスで1月は誕生日、2月は修学旅行とバレンタインがたたみかけてきて、3月は三年生が卒業だ。毎年のことながら、このシーズンになると司君への告白ラッシュが始まる。モテる男は辛いね。


 そんな話をしながら休憩していると、ドアがノックされた。


「節ちゃん、今日は夕飯うちで食べてく?」


 顔を出したのはおばさんだ。今日も美人で何よりです。


「どうしよっかな。ちなみに今日のごはんは何?」

「今日は節ちゃんが来てるからお鍋にしようかと思うんだけど。どうする?」

「やった! 食べてく食べてく!」

「ふふ、了解。なら準備が出来たら呼ぶわね」

「あ、何か買うものとかあるなら私お遣い行ってこようか?」

「いいわよ、司と勉強中なんでしょ?」

「今は休憩中だから大丈夫。息抜きも必要だし」

「うーん、じゃあお願いしてもいいかしら?」

「任せて」


 おばさんからお金を受け取り、お買い物リストをスマホに送ってもらった。

 それから司君もついて来るというので、一緒に家を出た。


 まずは私の家に寄り、今日の夕飯は桐原家でご馳走になることをお母さんに伝えた。


「あら、そうなの? よかったわね。ところで司君、うちのアホ娘、あなたに勉強を教えてやるって張り切ってたんだけど、どうせ司君に迷惑かけてるんでしょ」

「……いえ、べつに」

「あらあら、何よそんな借りてきた猫みたいに畏まっちゃって! ここもあなたの家みたいなものなんだから、楽にしてくれていいのよー」


 そう言ってけらけら笑うお母さん。司君が押され気味だ。まあ記憶があった頃もこんな感じだったけど。


「迷惑なんてかけてないよ。それよりお母さん、私たち今からスーパーに行くんだ。何か要るものあるならついでに買ってくるよ」

「じゃあお米をお願いね、10キロ」

「徒歩だよ無理だよ腕ちぎれちゃうよ!」

「まあ軟弱な子だこと。司君ならいけるわよね?」

「はい」

「司君! お母さんの言うことなんてまともに聞いちゃダメだよ! ほら、もう行こう」


 このままじゃ無理難題を言いつけられてしまう。


 私は司君の腕をぐいぐい引っ張って鬼の住処から脱出した。


「……あんまり似てねぇな」


 しばらく歩いたところで司君が言った。似てないとは、私とお母さんのことか?


「まあね。私はお父さん似だから」

「へえ。会ってみてぇな」


 人見知りの司君にしては珍しい。そういえば昔から、司君はうちのお父さんにけっこう懐いていたな。なら今の司君もお父さんのことを気に入るかも知れない。


「どうせすぐ会えるよ。お隣だもん」

「そうだな」


 スーパーでさくさくと買い物を済ませて家に戻ると、私たちは再び勉強を再開した。


 ちなみに司君が本当にお米10キロを買って帰ったので、喜んだお母さんにご褒美として芋けんぴを貰った。でかした司君。

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