第6話:デバッガー vs 破壊者
WONDERLAND 2.0の深部、『セクタ・ヴォルカノ』。 かつての1.0崩壊時の記憶が未だに「熱」として澱んでいるそのエリアは、もはや風景としての形を保っていなかった。演算熱が臨界点を超え、空間は陽炎のように歪み、背景にそびえるデータビルの残骸は、さながら熱した飴細工のようにドロドロと地表へ溶け落ちている。
「……あわわ、熱い、熱すぎるわよ! ちょっとリア、私の前髪がチリチリに焼けちゃうじゃない! エリートの身だしなみが、環境ダメージで損なわれるなんて演算外よ!」
カイは額にじっとりと滲む汗を拭いながら、押し寄せる熱波に叫んだ。
「カイ。君の髪はポリゴンデータです。熱による物理的な変質は起こりません。前髪がチリついているように見えるのは、単なる君の『視覚的プラセボ効果』、あるいは自意識過剰によるバグです。騒ぐ暇があるなら、その過剰な代謝機能をデバッグしなさい」
ホログラムの少女、リアがいつも通りの冷徹なトーンで返す。だが、その声もどこか空間のノイズに干渉され、僅かに歪んでいた。
「バグなわけないでしょ!? ほら、この熱! 肺を焼くようなデータの焦げた匂い、感じないの!?」
カイが不満を露わにした、その時だった。 溶け落ちたビル群の向こうから、一人の少女がゆっくりと歩み寄ってきた。
「……見つけたわ。本家の、お人形さん」
アンニュイな三白眼を細め、射すくめるような視線を投げかけてきたのは、ミナ・フォン・エヴァハーネル。148センチという小柄な背丈。しかし、そのスーツは限界まで張った豊かな胸元を強調し、引き締まった腰つきとの鮮烈なコントラストを描き出している。カイは思わず、その「嫌なほど完璧なスタイル」に気圧され、自身のパジャマ姿(今朝の記憶)を思い出してしまいそうになる。
ミナの瞳の奥には、禍々しい「赤いノイズ」が不気味に明滅していた。それは、彼女の精神がもはや正常なコードで構成されていない証左だった。
「ミナ……どうして、そんなに私を。私たちは同じ維持者の系譜なのに……!」
「黙れ。家族を見捨てた厚顔無恥な本家が……私と同じ名を呼ぶな!」
ミナが可変式ダガー『レガリア』を抜き放ち、地表を蹴る。 その瞬間、カイの視界が真っ赤に染まった。脳内に奔流となって流れ込む、かつての『ゼロ・ディバイド』の記憶。
『エラー:システム維持ノード破棄』 『警告:救済シーケンス実行不能。全パケットを破棄します』
「あ……が、っ」
非情なログが網膜に焼き付く。目の前のミナの姿が、あの日助けられなかった人々の絶叫と重なる。トラウマが指先を凍りつかせ、EXE-Cutorを握る力が抜けていく。決定的な「ドジ」。引き金が、引けない。
「死になさい! 過去に縛られたガラクタ!」
ミナの鋭いダガーがカイの頬を裂く。データの熔解が火花となって散る中、カイの耳元でリアの怒号が響いた。
「カイ! 過去の涙を演算に含めるな! 君は今、この世界のデバッガーだろう!」
「……そう、ね。エリートの計算に、過去の涙なんて変数は……入っていないはずなのに……っ!」
カイは血のついた頬を拭い、瞳をカッと見開いた。 その刹那、緋色の瞳が鮮やかなシアンへと再構築される。背後からシアンの光が、まるで大天使の翼のように爆発的に噴出した。
「私の演算に、不可能という変数は存在しない――! オーバーライド、AERO FLOW!」
ドォォォォォン!!
ソニックブームが灼熱のエリアを切り裂いた。彼女の周囲だけ時間が止まったかのような静寂が訪れた直後、カイの身体は世界の因果律から逸脱した神速で、ミナの懐へと滑り込んだ。




