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沈黙のエンジニア(サイレント・エンジニア)は、四大元素の回路に、さよならを告げる。  作者: 霧ノシキ


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第25話:心という名の特異点(シンギュラリティ)


【導入:絶対論理の壁】

演算室の空気は、もはや酸素ではなく純粋な情報密度によって固形化していた。 壁面のモニター群から溢れ出す「Fatal Error」の紅い光が、ヴァルターの影を巨大な断罪者のように壁に投影している。

「無駄です。君たちが何を描こうとも、私の『WONDERLAND 3.0』という数式の中では、その全てが事前に定義された誤差に過ぎない」

ヴァルターが指先を僅かに動かす。その瞬間、リサが放った黄金の雷光が、空中で透明な壁に衝突し、静止した。 物理的な障壁ではない。その座標における「運動エネルギーの存在」を、ヴァルターが演算によって強制的に無効化したのだ。

「リサお姉ちゃんの攻撃が……消された!? リア、ハッキングで座標定義を奪い返して!」

「……不可能です、カイ。彼の思考速度クロックは、既にこのセクタの全リソースを統括している。私の標準プロトコルでは、彼の手のひらの上をなぞることしかできない……っ!」

リアの悲鳴に近い通信が、カイの脳内にノイズを撒き散らす。 ヴァルターは椅子から立ち上がり、ゆっくりと歩みを進める。その一歩ごとに、カイの視界から色彩が、そして「未来」という名の可能性が削り取られていく。

「心、家族、絆。……君たちが縋るそのバグは、演算効率を低下させるだけの贅肉だ。……さあ、カイ。その不完全な思考を止めてあげよう。私が君を、完璧な数式の一部へと戻してあげる」

カイの喉が恐怖で凍りつく。指先が震え、『EXE-Cutorエグゼ・キューター』の重みが、今の自分にはあまりにも不相応なものに感じられた。 (……怖い。私、やっぱりただのドジな子供で……。パパたちが遺してくれたこの力、私には使いこなせないの……?)

『――カイ! 諦めるな!!』

脳裏を叩いたのは、リサの叫びだった。 『あんたの「アワワ」は、弱さじゃない! それは、こいつが一生辿り着けない「答え」なんだから!』

「……リサお姉ちゃん」

カイは瞳を閉じた。 ヴァルターの冷徹なことわりが、ナイフのように自分の存在を切り刻もうとしている。 だが、その痛みこそが、その「不快」という名の感情こそが、数式には記述できない「今、ここに生きている」証。

「……ヴァルター。あなたは言ったわね、心はバグだって。……そうね、確かにそうかもしれない。でも、このバグがあるから……私たちは、あなたが決めた「予定調和」なんて、一ビットも信じないの!」

カイの胸元で、四つのデータパックが激しく共鳴シンクロを始めた。

【四つのデータパック完全同期】

カイの周囲の空間が、歪み、再定義されていく。 透明なシアンと、リサから受け取った黄金のプラズマ。二つの色が混ざり合い、ヴァルターの紅い世界を力強く上書きし始めた。

「全データパック、完全同期フル・シンクロ。……これより、最終デバッグを開始します」


カイの視界が切り替わる。 ヴァルターという「完璧な神」を見るのをやめ、彼を一つの「不具合バグ」として解析し始めた。


「あなたの強さの『根っこ』は、世界の全てを『予測可能』だと思い込んでいること。……でも、それは逆を言えば、あなたは『新しいもの』を生み出す力を、自分自身で封じているのよ」

カイはヴァルターの論理の矛盾――「完全な管理は、進化の停止を招く」という根底要因を特定した。 攻撃のお題は、「予測不能な進化」。


次にカイは、自身の内部にあるリミッターを外した。 常識という名の安全装置を、自ら破壊する。


「出力制限、解除! 威力、速度、演算深度……全てを、あなたの計算値の10倍に設定!」

『EXE-Cutor』から溢れ出すエネルギーが、物理的な圧力となって演算室を震わせる。リサのプラズマがカイの『Standard』形態に流れ込み、銀白の髪がプラチナを超えて、白熱する電位のヴェールを纏った。


ヴァルターのバイザーが激しく明滅する。彼は即座に、カイの出力を「デバッグ」しようと、数兆の相殺パッチを射出した。 だが、カイはその先を行った。

「あなたの修正プログラム(デバッグ)なんて、もう遅いの! 私は、あなたに解析されるよりも速く、私自身を『書き換え』続ける!」

カイは自身の攻撃プロトコルを、一秒間に数千回の頻度で自己アップデートさせた。ヴァルターがカイの出力を予測し、最適解を出した瞬間、カイの攻撃は既に別の性質へと進化している。 理屈を超えた、無限の改善アップデートの連鎖。


そして、全ての「思考」が、「行動」へと収束する。


「……手順確認。一、リサお姉ちゃんの雷であなたの論理防壁を励起レイズさせる。二、リアのノイズであなたの観測カメラを曇らせる。そして三――」

カイは一分の隙もない完璧な手順で、『EXE-Cutor』をヴァルターの胸元へと突きつけた。

「これが、私の『心』という名の特異点シンギュラリティよ!!」

『EXE-Cutor』の銃身から放たれたのは、単純なエネルギー弾ではなかった。 それは、カイの「アワワ」という戸惑い、リサへの「愛」、リアへの「感謝」……それら全ての感情を、数理の刃として編み上げた、世界で唯一の**『不確定性パッチ』**。

「――馬鹿な。計算が、合わない……! このエネルギーの波形は……何だ!?」

初めて、ヴァルターの冷徹な声が驚愕に震えた。 彼の「Fatal Error」の紅い壁は、シアンと黄金の閃光によって、硝子細工のように粉々に砕け散った。 空間そのものが再定義されていく。 冷たい管理コードで埋め尽くされていた世界に、カイたちの想いが、鮮やかな色彩を伴って爆発した。

「……これが、あなたの計算できなかった『バグ』の力よ、ヴァルター!」

光の奔流の中で、カイは叫んだ。 それは、一人の少女が、自分を縛り付けていた全ての数式を打ち破り、真の意味で「自由」になった瞬間だった。


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