第19話:『アワワ』の残響と共鳴(レゾナンス)
『セクタ・クライオ』の最深部。絶対零度の沈黙を支配していた水晶の回廊は、今や黄金の雷光と、そこから漏れ出す柔らかな熱量によって、幻想的な水の世界へと変貌しつつあった。
「……あ、アワワワ! お姉ちゃん、近すぎ、近いわよぉ! 鎧が、私の最強の氷装甲が、お姉ちゃんの雷でパチパチして……変な感じがするぅ!」
リサの腕の中で、銀白の髪を振り乱してパニックに陥っているのは、他ならぬカイだった。 ビジュアルは依然として、感情を捨て去ったはずの最強の管理者――『Mode: ALICE』。透き通るようなシアンの瞳に、宝石のように冷徹な氷のドレス。触れるものすべてを瞬時に標本へと変える「絶対零度の女神」そのものの姿だ。
だが、その口から飛び出すのは、いつもの情けない「アワワ」の絶叫。 鎧の隙間から見える肌は真っ赤に上気し、神々しい美貌を台無しにするほど顔をクシャクシャにして、リサの胸元でバタバタと足を動かしている。
「ふふ、いいじゃない。死ぬかと思ったって言ったのはカイの方でしょ? ほら、もっとちゃんと同期させて。私の雷が、あんたの凍りついた演算回路を隅々まで解かしてあげるから」
リサは、妹を抱きしめる腕にさらに力を込めた。 リサの髪の一部はプラズマを帯びて**黄金色**に輝き、その全身からは、かつて彼女を焼き切ろうとしていた『人造の火』とは似て非なる、生命の躍動そのものである『雷』が溢れている。
「セレナは私を『熱源』という名のゴミだと呼んだ。……でも、今はその言葉が誇らしいよ。この熱があるから、私はあんたを温めてあげられるんだもん」
「ふぇぇ……お姉ちゃんが、お姉ちゃんがカッコよすぎて、私の管理権限がバグっちゃう……っ!」
カイはリサの首筋に顔を埋めた。 最強の姿のまま、子供のように甘える妹。 その瞬間、二人の異なる属性――「水」と「雷」が、物理的な距離をゼロにして激しく接触した。
――『RESONANCE』。
二人の力が無意識に共鳴(響き合い)を起こした次の瞬間、セクタに奇跡が起きた。
パキパキと音を立てて解けていく氷の床から、光り輝くデジタルな粒子が立ち上る。それは空中で幾何学的な模様を描き、透き通った青と黄金の光を纏った**『蓮の花』**として、次々と水面に咲き誇っていった。
組織『NULL COLLAPSE』が定義した、冷酷で完璧な管理コード「WONDERLAND 2.0」。 その冷たい数理の世界を、二人の溢れ出した感情という名の「バグ」が、圧倒的に美しい風景へと塗り替えて(レンダリングして)いく。
『……観測終了。論理を超えた共鳴。……やはり、私のアーカイブにはない変数が混入していますね』
遠く離れた組織の監視ログの向こう側。セレナのアイスブルーの瞳が、鏡面を通じてこの「小さな奇跡」を静かにスキャンしていた。だが、その視線には、かつての冷徹な拒絶ではなく、未知の数式を解き明かそうとするような、歪な期待の色が混じっている。
「……ふわぁ。綺麗……。私の水と、お姉ちゃんの雷で……こんな花が咲くなんて」
カイはうっとりと、水面に浮かぶ光の蓮を見つめた。 最強の管理者外装はそのままに、彼女の心は今、完全な「人間」としての温もりを取り戻していた。リアが初期セクタから掘り起こしてくれた「家族」という名の最優先プロトコルが、今のカイの核となっている。
しかし、その穏やかな時間は、唐突に訪れた物理的な「揺らぎ」によって遮られた。
「……っ!?」
カイがふと真剣な表情になり、座り込んでいたセクタの床に片手を触れる。 銀髪の毛先が、微かな電位の乱れを感知して跳ねた。
「カイ? どうしたの?」
「……感じる。最後のピース……『土』のセクタが、悲鳴を上げているわ」
カイの瞳のシアンが、鋭く明滅する。 その視線の先にあるのは、世界の質量と不変性を司る、最も強固なストレージ・プロトコル。 そこが崩れ始めているということは、組織の計画が、世界の根幹にまで手を伸ばしている証拠だった。
「行きましょう、リサお姉ちゃん。……アワワなんて言ってる暇は、もうないみたい」
立ち上がったカイの背後で、銀白の氷の翼が大きく展開される。 ドジな妹と、最強の管理者。 二つの顔を合わせ持った真の『Mode: ALICE』が、黄金の雷鳴と共に、次なる戦地を見据えた。




