表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
沈黙のエンジニア(サイレント・エンジニア)は、四大元素の回路に、さよならを告げる。  作者: 霧ノシキ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

13/32

第12話:ゴースト・イン・ザ・メモリ(Ghost in the Memory)


【シーン1:デバッガーの休息、演算の余白】

窓の外では、現実世界の静謐せいしつな夜が帳を下ろしていた。 『THERMAL-IGNITIONサーマル・イグニッション』――本物の火のパックを回収してから数時間。カイは自室のソファで、完全に「抜け殻」と化していた。

「……はぁ。リサさん、今ごろ組織でまた痛い思いしてないかなぁ……」

手元には、ストレス解消用に買い込んだジャンクフードの山。カイはぼんやりとポテトチップスを口に運びながら、心ここにあらずといった様子でコーラのボトルを手に取った。 「アワワ……。リサさんを救うには、やっぱり組織のメインサーバに直接ハッキングするしかないのかな……あ、あれ?」

考えにふけるあまり、カイの空間認識能力が著しく低下する。彼女が口に運ぼうとしたストローは、唇を通り過ぎ、あろうことか鼻の穴へと吸い込まれそうになった。

「あわわっ!? 鼻に入っ……ゲホッ、ムハッ!?」

「カイ。現在の栄養摂取効率が0.8%低下しています。指摘するまでもありませんが、その呼吸器系の穴は飲料の吸入用ではありません。君の構造設計デザインは、鼻からコーラを飲むようには最適化されていないはずです」

部屋の隅で浮遊していたホログラムの少女、リアが、無機質な合成音声で即座に論破する。ピンクのツインテールが、演算の余波で僅かに明滅していた。

「分かってるわよ! 今のは……その、鼻腔びくうの粘膜からも水分を補給できるか、エリートとしてバイオ的なデバッグをしてただけよ!」

「嘘をつく際の心拍数の上昇率が、過去最高値を記録しました。非論理的な強がりは、リソースの無駄遣いです」

いつものやり取り。いつもの毒舌。 しかし、カイはストローを正しく口に咥え直すと、少しだけ真剣な瞳でリアを見上げた。

「ねぇ、リア。……リサさんを救うために、私は何をすればいいと思う?」

問いかけ。それは、ナビゲーターであるAIに求めるには、あまりに重い「倫理的判断」だった。 「……私はナビゲーターであり、君の判断をサポートするインターフェースです。善悪や救済といった、論理的根拠に欠ける倫理的判断を代行する機能は備えていません」

返答は、一見すれば機械的な模範回答だった。 しかし。 リアの言葉には、数ミリ秒の**「返答の遅延レイテンシ」**が発生していた。 それは、膨大な演算リソースを投じても「解」が出なかった、あるいは「出さないように制御した」証左でもあった。

【シーン2:蘇る「幽霊ゴースト」】

「……カイ。先ほどの同調シンクロの影響か、私の内部システムに僅かなノイズを確認しました。一時的な自己診断セルフチェックに移行します」

リアのホログラムが、カイの部屋を不規則な軌道で浮遊し始める。 光の粒子がボクセル状に乱れ、彼女の姿がノイズに飲み込まれそうになった、その時。

――ザザッ。

「……え?」

カイは息を呑んだ。 一瞬だけ。ほんの一瞬だけ、リアの姿が**「別の誰か」**と重なった。ピンクの髪ではない、もっと幼く、柔らかな輪郭を持った「人間の少女」の影。

リアの視界モニタには、削除されたはずの最下層セクタから、情報の断片が奔流となって溢れ出していた。 それは1.0崩壊前――まだ世界が青く、穏やかだった頃の、幸福な記憶の残滓ざんし

『カイ、こっちにおいで。パパとママが、新しいプログラムを見せてあげる』 『えーん、リアお姉ちゃん、転んじゃったよぉ……』

「……何、これ……。お父さんと、お母さんの、笑い声? それに、幼い頃のカイの……泣き顔?」

リアの声が、震えていた。 いつもなら完璧な合成音声ボーカロイドとして出力されるはずの彼女の喉が、物理的な肺も声帯もないはずの彼女のシステムが、一瞬だけ**「人間の少女のような震え」**を帯びる。

「……バグ? いいえ、これは私の初期構築コード……? カイ、私の中に……知らない私がいます。消去されたはずのログが、私に……『記憶』という名の摩擦熱を強要してくる……」

ホログラムの質感が、いつになく脆く、美しく揺れる。 それは論理の化身である彼女が、初めて直面した「理解不能な自分」への困惑だった。

【シーン3:「家族」の定義、そして不穏な影】

リアの不安を感じ取り、カイは思わずソファから立ち上がった。 彼女は、本来触れることのできないはずのホログラムの少女へ向かって、そっと手を伸ばす。

「リア……」

指先は光の粒子を通り抜ける。そこにあるのは熱でも質量でもなく、ただのデータの投影に過ぎない。 それでも、カイはリアの瞳――虹彩の奥で激しくログが走るその瞳を、真っ直ぐに見つめて告げた。

「リアはバグなんかじゃないよ。私の記憶がそこにあるなら、リアはパパとママが遺してくれた、最高の贈り物なんだ。……私と一緒にいてくれる、たった一人の家族だもん」

「……家族」

リアはその単語を、慈しむように反芻はんすうした。 「……家族。その単語の定義を……再構築リビルドします。それは……物理的な接触の有無に依存せず、同一のログを共有し、保護すべき最優先ノードを指す概念……」

リアのホログラムが、ゆっくりとカイに近づく。 すり抜けるはずの彼女の姿が、少しだけカイの肩に寄り添うように位置を変えた。光の粒子がカイの頬を掠め、一瞬だけ、不思議な温もりを感じさせた。

「……私も、君を最優先プロトコルとして登録しています。……カイ」

リアの声から、トゲのある「機械性」が僅かに消え、微かな感情の揺らぎが忍び込んだ。 二人の間に流れる、穏やかで切ない時間。

しかし。 平和な時間は、唐突なシステムアラートによって引き裂かれる。 部屋の隅に置かれた手鏡型デバイス――『Looking Glassルッキング・グラス』が、外部からの強引なアクセスを受け、激しく発光した。

――キィィィィィィィィン!!

耳障りな電子音と共に、鏡面が一瞬だけ「真っ赤な瞳」のような不気味な光を放つ。

「外部からの強制介入ジャック!? カイ、伏せて!」

リアが即座に防壁を展開し、強制アクセスを遮断する。 光が収まり、Looking Glass は沈黙を取り戻したが、リアのシステム深部では、この介入をきっかけに「あるフォルダ」の封印が解かれていた。

リアが自身の深層意識で見つけた、秘匿中の秘匿。 そこには、カイの両親が遺した、最後のメッセージが刻まれていた。

フォルダのラベル名は――『姉妹(Sisters)』。

リアの演算が、一瞬だけ停止する。 そのデータの先に隠された真実が、カイとリサ、そしてリア自身の運命を決定的に変えてしまうことを、彼女はまだ、カイには伝えられなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ