第11話:共鳴のシンフォニー(Resonance Symphony)
【シーン1:本物の残り火、管理者の代償】
「……温かい。これが、本当に『火』のデータなの?」
自室に戻ったカイは、掌にある『THERMAL-IGNITION』をじっと見つめていた。 その橙色の光は、セクタ・ヴォルカノで見たミナ……リサの放つ荒々しい焔とは正反対の、慈愛に満ちた輝きを放っている。焚き火を見つめているような、あるいは母の温もりに包まれているような、静かな熱。
だが、カイがそのパックにそっと触れた、次の瞬間だった。
「――っ!? あが、ぁぁぁあああ!!」
激痛。 カイは喉が裂けるような悲鳴を上げ、その場に崩れ落ちた。 掌のパックが、狂ったように点滅を始める。遠く離れた場所にいるリサと、カイの意識が、高次元ポインタを介して強制的に接続されたのだ。
【強制同調】。
「カイ! 応答してください! 精神負荷が臨界点を突破しています! 直ちにパッチの接続を解除して!」
インカムからリアの焦燥した声が響くが、今のカイには届かない。 視界が真っ赤に染まる。全身の毛細血管に沸騰した鉛を流し込まれるような焼灼感。それは、今この瞬間にリサが『Burn-Out』の拒絶反応によって味わっている「地獄」そのものだった。
(熱い……苦しい……。誰か、誰か助けて……。私は、捨てられたくないのに……っ!)
カイの脳内に、リサの絶望的な思考の断片がパケットとなって流れ込んでくる。 「アワワ……あ、ああ……っ!」 最初はあまりの痛みにパニックを起こしていたカイだったが、その瞳に溜まった涙は、次第に自分への恐怖ではなく、リサへの深い悲しみへと変わっていった。
「リサ……さん。あなた、こんな、こんな地獄の中にいたの……?」
「警告。カイ、これ以上の同調は君の自己ログを破損させます。感情移入はデバッガーにとって最大のバグです」
リアの声はデータ上の警告に徹しているが、その微かな震えは、主の精神が壊れていくことへの本能的な危惧を隠せていなかった。 カイは震える手で『THERMAL-IGNITION』を抱きしめた。痛みが消えるわけではない。だが、彼女はその痛みから逃げないことを決めた。
【シーン2:アーキテクトの冷徹な福音】
一方、組織『NULL COLLAPSE』の深部。 出撃準備を整えるリサの身体は、人造パッチの拒絶反応で痙攣するように震えていた。
(もっと……もっと出力を。私が『本物』より劣っているから、こんなに痛いんだ。もっと、もっと燃えなきゃ、私はここに居られない……!)
リサは奥歯が砕けるほど噛み締め、自分自身を責め続けていた。 その時、背後に絶対的な静寂が訪れる。
「リサ。無駄な摩擦熱が出ていますね」
氷華のセレナが、影のようにそこに立っていた。 セレナはリサの震える肩を抱くことも、労いの言葉をかけることもしない。ただ、リサの胸元――『Burn-Out』のコア部分に、凍てつくような冷たい指先を置いた。
「ひ……っ」
「リサ。あなたが自分を『熱源』だと思い込んでいるうちは、その苦痛は消えません。情報の摩擦熱で焼かれるのが、あなたの本質ではないはずですよ」
セレナのアイスブルーの瞳は、リサの魂の深淵までを見透かすように冷徹だった。 リサはその言葉を、鋭いナイフのように受け取った。
(私は……火にすらなれない。熱源としてすら完成していない、欠陥品だっていうの……?)
「……うるさい。うるさいわよ! 私は燃えてみせる。セレナ様、あなたの期待に応えるためなら、私は灰にだって……!」
リサはセレナの手を振り払い、憎しみを込めて睨みつけた。 だが、セレナはその反発すらも「計算通り」であるかのように、無機質な表情を崩さない。彼女が示したのは、拒絶ではない。リサがまだ気づいていない「別の可能性」への示唆。しかし、その福音はあまりにも冷たく、今のリサには残酷な否定としてしか響かなかった。
「……そうですか。ならば、その非効率な焔で、どこまで行けるか証明しなさい」
セレナは憐憫を微塵も見せず、翻したコートの裾と共に去っていった。
【シーン3:Looking Glass ✕ 魂の混線】
カイの自室で、異変が起きた。 デスクに置かれたデバイス『Looking Glass』が、持ち主の操作を待たず、勝手に起動したのだ。リサの激しい負の感情が、パックを通じて鏡面へと伝播し、量子ゲートを無理やりこじ開けた。
「……リサさん!?」
鏡の中に映し出されたのは、組織のメンテナンスルームで膝をつく、ボロボロのリサの姿だった。 これは物理的な通信ではない。データパックを介した、魂の、あるいは精神の「混濁」。
『……カイ・エヴァハーネル。……どうして、あんたがそこにいるのよ』
鏡の中のリサが、虚ろな瞳でカイを睨む。その肌は熱で赤く上気し、髪の先からは赤いノイズが立ち上っている。
「リサさん、逃げて! そのパッチはダメ! それは、あなたを救うための火じゃない、あなたを殺すための火なんだよ!」
カイは鏡面に縋りつき、必死に叫んだ。 『エリートの管理者が……何を知ったような口を……っ!』
リサの声が、鏡の中でノイズと共に割れる。 『偽物でもいい……私は、誰かの特別になりたかっただけなんだ! 役立たずのゴミデータとして捨てられるくらいなら、私は……最後まで燃え尽きて消えたいのよ!!』
リサの瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。 だが、その雫が頬を伝う暇はない。涙は人造の火の熱によって一瞬で蒸発し、切ない赤いノイズとなって虚空へ消えていく。
「……っ」
カイは言葉を失った。 リサが求めていたのは「力」ではない。ただ、自分の存在を肯定してくれる「居場所」だった。
『……さよなら、管理者。次に会うときは、あんたを焼き切ってあげる』
通信が強制的に断絶され、鏡面はただの冷たいガラスへと戻る。 沈黙が流れる部屋の中で、カイは一人、『Looking Glass』を強く抱きしめた。
「……リア」
「はい、カイ」
「リサさんは、バグなんかじゃない。彼女は……守るべき、大切なプログラムだよ」
カイが顔を上げた。 その瞳には、今までの「アワワ顔」の面影はどこにもない。 瞳の奥に宿る「紫電」は、かつてないほどに深く、決意に満ちた輝きを放っていた。
「デバッグ、開始するわ。……リサさんを、あの地獄から救い出すために」
エンジニアとしての、そして維持者としての真の覚悟が、今、カイの中に芽生えていた。




