第五話 悪役令嬢として
あっという間にその日が過ぎた。
何とか星来との再会は果たせたものの、茜の正体には一切気がついていないようだった。
そういうこともあり、『ルビアが復学の挨拶の後にセーラに向かって走っていったのは、またしても危害を加えようとしたからだ』と、生徒たちの間で根も葉もない噂が広がってしまった。
放課後、星来が帰るのを視線で見送ったまま座っていると、自分よりも爵位が上らしい令嬢たちが近づいてきた。
「ルビアさん。ごめんあそばせ?」
「えっ」
彼女たちは馬鹿にしたような態度で茜の教科書を奪い取り、床に投げ捨てた。
「は!?何すんだ!!」
ルビアの演技も忘れて、激昂した茜は令嬢の胸ぐらを掴む。
「いいの?そんなことして。今度こそ退学じゃない?」
そうクスクスと笑う後ろから、アドリアンと他の男子生徒も近づいてくる。
諦めて手を離すと、優男王子の横に居たピンク髪の少年が、涙を溜めた大きな水色の瞳をこちらに向けながら、指まで指してきた。
「ボク、あの人怖いよ〜!ヴァレンティノ!」
「ああいった乱暴なことを繰り返していたら、いつかは聖樹様から罰が下るはずです。そのはずだ。そうでなくては」
明らかに関わってはいけないような雰囲気の、跳ねた紫髪に真っ黒の目をした生徒が、茜を見据えながらずっとぶつぶつと何かを話している。
正直怖すぎて直視できない。
「ルビア・カドウィック。この学園に居たいなら、僕たちには決して逆らわない方がいいよ」
アドリアンは彼らのリーダーなのだろうか。
にっこりと微笑んではいるものの、完全に敵対者として発言している。
「……何?そんなことを言うために、あたくしのところまでわざわざご挨拶に来てくれたって、わけですの?」
アドリアンはそんな茜の言葉を無視して、ピンク髪の少年の方に視線を向ける。
「彼はエリック・カナチア。一歳上の兄のイアン・カナチアと同じく、このカナチア学園の学園長である、カナチア公爵の孫さ」
「そうだよ〜♪よろしくはしたくないけど、よろしくね〜♪」
エリックがあざとい雰囲気で挨拶してくるが、敵意は全く隠せていない。
「こっちはヴァレンティノ・ユグドール。君も知っているとは思うけど……」
示されたのは、直視したくない紫髪の不気味な彼だった。
インパクトのある様相だが、当然茜は彼を知らない。
「知らなくてよ」
「そう?ユグドール伯爵家は《聖樹教》を支える最も熱心な信徒で、教皇も輩出している家系なんだけどな。ヴァレンティノはそこの跡取り息子だよ」
虚ろな瞳のまま微笑む男が、茜を見透かすようにじっと見てくるせいで全く落ち着かない。
「オレには分かりますアンタは絶対に不幸になる聖樹様がアンタのような女を赦すはずがない聖女様に触れるなんておこがましい赦せるはずが――」
「ヴァレンティノ。落ち着いて」
息継ぎもせずに茜に文句を言い続けるヴァレンティノは、誰から見ても危険人物だったが、これが通常運転なのか、よほど聖樹教とやらがこの国で力を持っているのか、アドリアン以外に彼を止めようとする者はいない。
「エリックの兄のイアンともすぐに会えるよ」
「会いたくな……、くてよ」
「ふふふ、必ず会うよ。僕たちは全員セーラと恋仲になる為に必死なんだ。だからずっと彼女の側にいるんだよ」
その言葉を聞いて、つい顔を背けてしまった。
星来が男に溺れているというのは本当だったのか、と気分が悪くなった。
アドリアンが一歩近づいてきたことに気づき、茜は椅子に座りながら何となく彼を見上げる。
「……君にも分かるように説明するけど、僕たちは全員、セーラを傷つけた君を許せないんだ」
突然机を強く叩かれたことに驚き、小さく声を上げる。
叩いた本人であるアドリアンは、相変わらず人の良さそうな笑顔を浮かべている。
しかし、今にも殴ってきそうな程の気迫を感じ、茜は恐怖に身を強張らせた。
「ボクたちみんなでセーラを守るんだ〜♪だから絶対近づかないでよね?」
「ああ、聖樹様……、この者に相応の罰を下してください……」
この人たち、危険だ。
不穏な宣戦布告や祈りを聞いた少女は、ここまで他人から敵意を向けられたことが無く、どうすればいいのか分からない。
ただ下を向きながら、この嵐が過ぎ去るのを待った。
男たちと、イアンとかいう男と、星来。
その中に本物のルビアを殺した犯人が居るかもしれないと思うと、更に恐怖感が増す。
怖気づいてはいけないと思いつつも、心も頭も簡単に思い通りになってはくれない。
待つばかりではいけないと、恐怖に震えながらも何とか立ち上がり、床に投げ捨てられたまま放置されていた教科書を拾い上げ、鞄に雑に詰め込む。
負けたようで悔しいが、そのまま扉に向かって歩みを進める。
他の男子生徒が足を引っ掛けようとしてきたが、持ち前の反射神経でそれを避け、何も言わないまま教室を後にした。
後ろから馬鹿にするような笑い声が聞こえてきて、茜の赤い瞳が潤む。
こんなことに負けてはいけない。そう思いながら涙を袖で拭った。
「なんとか上手くやろう……」
そう小さく呟いて、学園の寮へと戻るのだった。
その日は当然上手く眠れなかった。
翌朝、学園の巨大なホールにある階段の上で、星来と男が会話をしているのを見つける。
その男は身長が高く、赤髪に紺色の瞳を持つ、少し野性味を感じさせるような顔立ちだった。
「ルビア・カドウィックが復学したとエリックから聞いたが、何かされなかったか?」
「心配してくれてありがとうございます、イアン。私に近づこうとしたみたいだったんですが、それをアドリアンが無理に押しやったように見えたので、ルビアさんに怪我がないか心配です」
イアンと呼ばれた男は、そんな星来の言葉に眉根を寄せた。
「それは……、お前を突き飛ばそうとしたんじゃないのか?」
「えっ」
「お前のことを叩いたからあの女は停学処分になったんだろ?この短い期間でセーラを憎むようになっていたとしてもおかしくないだろう」
居た堪れなくなった茜は、彼らの後ろを通り過ぎようとした。
「でも……会えて嬉しそうな顔をされていて……、あ、でもおかしいですよね。私たち……、停学中のルビアさんに……」
星来の最後の言葉に引っかかる。
停学中のルビアが、何だ?
「あの……、それって……」
茜は星来に向かって手を伸ばしながら声を掛けた。
「危ない!」
何故かイアンが声を上げ、星来を庇おうとして、
次の瞬間、派手な音がして、止まる。
「きゃあーっ!」
数秒後、階段下から女生徒の悲鳴が上がった。
星来を守ろうとして階段を転げ落ちたイアン・カナチアは、頭を打ったのかぐったりとした様子だ。
「兄さん!!」
駆け寄ったのはピンク頭のエリック。その後ろからアドリアンとヴァレンティノも走ってきた。
「ルビア・カドウィック……!」
あの可愛らしい顔が、今では怒りのせいで見る影もなく歪んでいる。
鋭い瞳が階段上にいる茜を睨みつけた。
「あの女が兄さんを突き飛ばしたんだ!」
「えっ……、あたし……何も……」
ルビアが突き飛ばしたせいで、イアンが落下したのだと、この場にいる誰もが思っている。
「あの!ル、ルビアさんは突き飛ばしてないと思います!そんなに強く押したようには……」
意外にも星来がこの状況に対して反論した。
茜は驚いて隣に立っている彼女を見る。
「イアンがケガをしているんだ!そんな女のことは庇わなくていい!」
「で、でも……」
星来は不安そうな表情で茜を見る。
こんなに至近距離にいるのに、正体に気づく様子は無さそうで、そのことがチクリと胸を刺す。
「……とりあえず医務室に運ぼう」
「ルビアさん。私も一緒に先生に話しますから、職員室に行きましょう」
頭がぐらぐらする。
イアンが階段から落ちる前に話していた内容から察するに、星来と取り巻きの男たちは、停学中のルビアと接触していた。
もしかしたら星来がルビアの殺人事件に関与しているのでは、と疑いが強まってしまう。
しかし、それなら当事者であるはずの星来が今、ルビアを庇う為に職員室で状況説明しようとしているのはおかしい。
訳が分からない。
パニックになった茜はうっかり、元の世界に帰りたいと考えてしまった。
途端に胸の辺りがざわざわと痒くなる。
「あっ……!」
その場で蹲る。
獣の毛が生えてくる感覚に意識が向かい、元の世界への意識は薄れたが、焦りからか冷や汗が出てくる。
「大丈夫ですか?……ルビアさんも医務室で診てもらった方が――」
「大丈夫でしてよ!」
もし医務室で身体を調べられたら、死に一直線だ。
茜は先導を切って職員室へと向かう。
付いてくる星来のことを気にしながら、茜は自分が実際にどれほど追い込まれているか考えた。
星来が聖女かどうか確認出来てしまった現在、茜の第一目標は彼女と一緒に元の世界へ帰還することにすり替わっている。
帰りたいと考えることは、魔獣化を悪化させることでもあるのだと、頭の悪い自分でも理解してしまった。
星来と帰ろうとすること自体が、いや、そもそも『自分が結海茜である』という自覚さえも、自らを死へと導いているのかもしれない。
この世界に来てしまった時点で、茜は既に詰んでいたのだ。
「ルビアさん。大丈夫ですか?」
止めどなく溢れる涙。
きっと星来から見れば、イアンに怪我を負わせてしまったことを悔やんでいるように見えるだろう。
あのね。星来。あたし、茜だよ。
そう思うだけで、背中の方まで痒みが出て、心が静かに暗くなっていくのが分かった。
星来が一緒に状況を説明してくれたことで、表向きにはイアンが足を踏み外して階段から落ちてしまったということになったが、前科のあるルビア・カドウィックの立場は悪化の一途を辿る。
幸いにもイアンの怪我はさほど酷くなかったが、同じクラスである弟のエリックが明らかに敵対心を剥き出しにするようになった。
最初に失くなったのはノートと教科書。
次に失くなったのは鞄と運動着。
次に失くなったのは筆記用具と私物。
それらは発見された時には既にボロボロの状態であることが多かった。
少しずつ、しかし確実に、茜の心は蝕まれていく。
そうして一日、一日、じわじわと時間が経っていく。




